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第70話 VS大鯨(クジラ1号)2

『ブオォォォォォォォォォォォッッ!!!』


上空のドーム内に、大気がビリビリと震えるほどの憤怒の咆哮が轟いた。

A級アンヴァー、命名『クジラ1号』の単眼が、血走ったように赤く染まり、眼下の二人をギロリと睨みつける。


クジラ1号にとって、最も警戒すべき天敵さいかはすでに胃袋の中だ。地上に残った魔法少女など、羽虫も同然。歯牙にもかけない「ゴミ」だと認識していた。

だというのに、そのゴミどもの放った不可視のジャミング(魔力干渉)によって、己の絶対的なテリトリーであったはずの空が、重くまとわりつく泥沼へと変貌させられている。


王のプライドを酷く傷つけられた怪物は、怒り心頭に発し、全身の魔力を頭部へと一気に集中させた。


バチバチバチバチッ!!


「金色」にバグったまま固定されている大角から、鼓膜をつんざくような不快な放電音が鳴り響く。そして次の瞬間。


カッ!!


クジラ1号の角から放たれたのは、空間そのものを焼き尽くさんばかりの極太の雷撃。それは逃げ場を塞ぐ死の壁となり、地上めがけて一気に押し寄せた。


「ひぃぃっ!? あんなん、どこに逃げても避けられねえぜ!!」


地上で土下座したままのパーナポーが、絶望的な悲鳴を上げる。

だが、その圧倒的な破壊の光を前にして、透明な風の羽を得た刹那は、獰猛な牙を剥き出しにして笑っていた。


「はん! 随分と大雑把なもんを張ってきやがる!!」


ドンッ!!


刹那は地を蹴った。

風香の魔法支援「シルフの恩恵」を受けた彼女の体は、文字通り『疾風』と化していた。

重力を完全に無視した凄まじい推進力。迫り来る雷撃のわずかな隙間に、彼女は自ら真っ向から突っ込んでいく。

あまりの加速、そして「泥沼」の中でもがく自身の鈍重さゆえに、クジラ1号は対応を一歩遅らせた。


刹那は両手で巨大な鉄球モーニングスターの柄をミシミシと軋ませるほど握り締め、背中の筋力を限界まで引き絞った。


「オラァァァァァァァッ!!!」


気合いの咆哮と共に、迎撃の鉄球がフルスイングで振り抜かれた。

規格外の膂力と、風香の魔力による加速。そのすべてが乗った、渾身の必殺の一撃。


パァァァァァァンッ!!


乾いた爆音を立てて、モーニングスターがクジラ1号の側面を深々と打ち抜いた。


『ブモォォォォォォォォ……ッ!?』


弾丸の如き速度で肉薄する刹那。

空を「泥沼」に変えられ、その巨体ではもはや回避が不可能だと悟ったクジラ1号は、巨大な単眼に見る見るうちに焦燥の色を浮かべた。


物理的な迎撃はもはや間に合わない。ならば、手駒を壁にするまで。

クジラ1号は背中にある噴気孔をこじ開け、体内で培養した「手下」どもを一斉に空へと射出した。


ボポォォォォォォォォッ!!


黒い泥をぶちまけるような音と共に、空を埋め尽くすほどのアンヴァーの群れが吐き出される。

刹那は迫り来る無数の敵影に目を細め、モーニングスターの柄を握り直した。


(チッ、また雑魚の盾か。さっきみたいに厄介なB級が混ざってくると面倒だが……)


一度でも足を止めれば、数の暴力に押し潰され、大鯨への射線が塞がれる。

そう警戒し、乱戦を覚悟した刹那だったが――飛び出してきた群れの「質」を確認した瞬間、拍子抜けしたように目を瞬かせた。


「……あ?」


空を覆い尽くしているのは、羽の生えた目玉のような『偵察型』と、ヒルや寄生虫が力なく羽ばたいているような低質な『C級アンヴァー』ばかりだった。

本来ならば、この規模の射出であれば、部隊の指揮を執るはずの強力な『B級アンヴァー』が何体か混ざっているのが定石。しかし、探しても、その中ボスクラスの姿がどこにも見当たらないのだ。


(B級がいねぇ。何でだ……弾切れか?)


刹那の鋭い戦闘勘が、微かな違和感をアラートとして鳴らす。

大鯨から溢れる魔力は、依然として無尽蔵。それなのに、なぜ最も効果的な防衛戦力であるB級を出してこないのか。


「……まあ、こっちに有利なら四の五の言う必要はねえか!!」


だが、生粋の武闘派である刹那は、考えるよりも先に身体が動くタイプだった。

敵の戦力が期待外れなら、そのまま轢き潰すのみ。

刹那はニヤリと凶悪に笑い、透明な風の羽を力強く羽ばたかせると、雑魚の群れへと単騎で真っ向から突っ込んでいった。


「オラァァァ! 道ィ開けやァァァァッ!!」


モーニングスターが空気を切り裂く咆哮を上げ、C級アンヴァーたちを文字通り一撃で次々とミンチに変えていく。


***


なぜ、大鯨から肝心のB級アンヴァーが出てこなかったのか。

その理由は、外で戦う刹那はもちろん、冷静に分析しているはずの雅でさえ予想もつかない、あまりにもくだらないものだった。

――そして何より滑稽なことに、アンヴァーを生み出している主である『クジラ1号』自身すら、その致命的な事態に気づいていなかったのである。


(ヒャッハー!! B級だ! B級はポイントが高いぞォォォ!!)

(才牙ぁ! あっちの太い血管の裏にもB級が隠れとるでぇ! 逃がすなッ!!)


黄金郷ボーナスステージ」と称して胎内で狂喜乱舞している強欲な最凶番長とポンコツ妖精。

彼らが「ポイント効率が良いから」という最低な理由で、体内にストックされていた精鋭のB級アンヴァーを優先的に、それこそ根こそぎ狩り尽くしてしまっていたのだ。


***


B級(中ボス)が混ざっていないとはいえ、空を黒く染め上げるほどのアンヴァーの群れ。

透明な羽で空を駆ける刹那は、迫り来る無数の顎や触手を前に、小さく息を吐いた。


(いくら雑魚ばっかりでも、この数は流石に骨が折れるな……。だが、特攻つっこむしかねぇ!)


鉄球の柄を握り直し、被弾覚悟で敵の群れの中央へ飛び込もうとした、その時だった。


ヒュルルルルルルル……ッ!!


突如、刹那の目の前を飛んでいた飛行型の偵察アンヴァーやC級アンヴァーたちが、まるで殺虫剤を浴びた羽虫のように、次々と空中でバランスを崩して地面へと落下していったのだ。


「……あ!?」


ボトッ! ボトボトボトォッ!!


地上に叩きつけられ、無様に蠢く怪物たち。

空を埋め尽くしていた黒い群れが、見えない滝に呑み込まれるように次々と墜落していく異常事態。

驚いて動きを止めた刹那のインカムに、後輩の頼もしい声が響いた。


『刹那先輩! 雑魚は私に任せてください!!』


地上で杖を高く掲げる風香。

彼女が展開していたのは、A級アンヴァーの巨体を泥沼に沈めた『魔力ジャミング』の広域展開版だった。

大鯨ほどの出力を持たない低級の飛行アンヴァーたちにとって、魔力の流れを乱されることは致命的だった。空の支配権を奪われ、彼らはただの「地に這う肉塊」へと成り下がっていた。


「はん! 頼もしいじゃねえか、風香!!」


道が開けた。

邪魔者が消え去り、目の前には泥沼でもがく巨大な「クジラ1号(本体)」だけが剥き出しのまま残されている。刹那は再び強烈な加速を加え、一直線に大鯨の顔面へと肉薄していった。


***


一方、地上。

次々とアンヴァーを撃ち落とす風香の背中を、精霊シルフは静かに、そして誇らしそうに見守っていた。


(ふふふ。そうよ風香、空は私たちの領域。それで良いのよ)


シルフは顔の風車をゆっくりと回しながら、契約者の急成長に目を細める。

風をぶつけるだけの攻撃魔法から、空間そのものを支配する『隔絶魔法』への昇華。かつて「期待の新人」と呼ばれた才覚が、今まさに大輪の花を咲かせようとしていた。


だが、シルフのボタンのような可愛らしい目が、ふと憂いを含んで伏せられた。


(……けれど)


精霊の目は決して見逃してはいなかった。

力強く杖を掲げる風香の額にはべっとりと冷や汗が浮かび、その顔色が、青白くなっていることを。


(A級アンヴァーの巨体を縛り付け、さらに無数の雑魚の飛行を同時にジャミングする……。流石の風香でも、この規模の魔力消費は無茶が過ぎるわね)


精霊の視点から見れば、風香の体内魔力マナはまさに土石流のように激しく流出していた。

今は精神力だけで無理やり立っている状態だ。魔力枯渇による意識喪失は、もはや時間の問題だった。


(持って、あと20分……といったところかしら)


シルフは胸の前で組んだ手を、さらに強く握り締める。

それ以上長引けば、風香の生命にすら関わる。そして大鯨の拘束が解け、一気に形勢が逆転するだろう。


(頼んだわよ、みんな)


空の覇権を巡る外の戦いは、明確なタイムリミットを持つ「背水の陣」へと突入していた。

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