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第68話 やる気

目の前でドクドクと脈打つ、巨大なコア(金塊)。

それに飛びつこうとヨダレを垂らしかけた才牙(俺)だったが、ふと、その手前で

”ある異物”が視界を遮っていることに気づいた。


「……あ?」


どっかりと。

まるでその心臓を守護するように、巨大コアの真ん前に『ソレ』は座り込んでいた。


一言で言えば、それは「悪夢の具現化」だった。

異常なまでに細く、そして長い手足。光を一切反射しない、虚無のような真っ黒な両目。三日月型に大きく裂けた口元には、獲物を逃さないノコギリのようなギザギザの歯が並び、顔の中心からは、嘘つきの代名詞のような『長い鼻』が不自然に突き出している。


童話に出てくる操り人形の少年ピノッキオを、地獄の釜で煮詰めて悪意を凝縮させたような不気味な人型アンヴァー。

身の丈に合わない少年のシャツと短パンを着ているように見えるが、よく見ればその服自体が赤黒い肉壁の一部であり、背後のコアに呼応するようにドクドクと不気味に脈打っていた。

そいつは、真っ黒な瞳をギョロリと動かし、侵入者である才牙をじっと見つめると、不快なノイズのような音を発した。


『5004(117→9.44(22296☆*(/¥4』


鼓膜を直接針で引っ掻くような、理解を拒む不協和音。

だが、その直後だった。


「ひゃー! めっちゃ怒っとる!! めっさキレとるで!!」


俺の頭上でフワフワ浮いていたチーポが、短い手で頭を抱えながら大袈裟に叫んだ。


「あん?」


俺は眉間に深く皺を寄せ、頭上のポンコツキノコを睨み上げた。


「チーポお前、あいつの言葉がわかんのかよ?」


アンヴァーは人間の言葉など話さない。ただの破壊衝動で動く化け物だと、そう思っていた。

だが、チーポは短い腕を胸の前で組み(組めているか微妙なところだが)、これ以上ないほど腹立たしいドヤ顔を作ってみせた。


「ふふん。ワイら妖精は別次元の超・高次元生物やで? 多次元の言語なら、翻訳するくらい朝飯前やねん!」

「……そのドヤ顔うぜー。で、なんて言ってんだアイツ」


俺が拳をポキポキと威嚇するように鳴らしながら急かすと、チーポはわざとらしく咳払いをして、番人の言葉を代弁した。


「『ナンダオマエラ、ドコカラハイッテキタ』……って言うとるわ」

「……なんだそりゃ」


俺は呆れたようにため息をついた。

外見はホラー映画のクリーチャーのくせに、言っていることは完全に「不法侵入者を見つけた警備員」のそれである。


「どこからって、お前の親玉の口から入ってきたに決まってんだろ。アホか」


俺は、両拳を胸の前で力強く打ち合わせた。


「おいチーポ、翻訳して伝えろ。『ここは俺のボーナスステージだ。邪魔するなら、その生意気な長い鼻ごと根元からへし折ってやる』ってな」

「んなん嫌やわ! あんな不気味なやつに自分から話しかけとうないわ!」


チーポが露骨に嫌がって渋っていると、人型アンヴァーが再び不気味なノイズを発した。


『71☆☆.2222~「429+62299°』


不快な高周波が、再び大空洞の肉壁に反響する。

俺の背後(というか、ふくらはぎの裏あたり)に情けなく隠れたチーポが、ガクガクと震えながらその言葉を代弁した。


「『マアイイ、ココヲミタカラニハコロス』……やて! うひぃーっ、あいつ殺る気満々やで才牙!!」

「はん!」


俺はチーポの情けない悲鳴を鼻で笑い飛ばす。

指の関節を派手に鳴らし、フリルのついたスカートを翻して、嘘つき人形へと真っ向から歩み寄る。真っ黒な虚無の瞳を持つ『嘘つき人形』の真正面に立った。


「どの道、テメェらアンヴァーをこの檻から生かして逃がすつもりはねぇんだよ!全部、俺のポイントになれ!」


可憐な超絶美幼女の姿でありながら、その顔面には最凶番長が放つ凶悪極まりないメンチ(ガン飛ばし)が張り付いていた。


「いい度胸じゃねぇか。表へ出ろなんて言わねぇ。ここでケリつけてやるよ!!」


俺と嘘つき人形。脈動する巨大コアの前で、両者の視線が激しく火花を散らす。

互いの殺気が膨れ上がり、空洞を満たすドクドクという脈動すら一瞬止まったように感じた、その直後だった。


『――』


先制攻撃を仕掛けてきたのは、人形のほうだった。

関節など存在しないかのような細長い右腕を、しなやかな鞭のようにしならせて、俺の顔面へと真っ向から放つ。

大振りで、単調極まりないストレート。


(……遅ぇ。止まって見えるぜ)


俺は欠伸を噛み殺しながら、いつも通り半歩だけ体をズラした。

俺の異常な動体視力と修羅場を潜り抜けてきた喧嘩の勘からすれば、あんなミエミエの直線攻撃、かすりもするはずがない。

拳が空を切り、がら空きになった胴体へ無慈悲なカウンターの右フックを叩き込む――その完璧な喧嘩のロジックが成立するはずだった。

しかし。


(……あ?)


空を切るはずだった人形の拳が、俺の鼻先数センチのところで、『あり得ない挙動』を見せた。


グチャァッ……!


生々しい肉が無理やり引き伸ばされるような、おぞましい音。

人形の腕が、まるで高度な柔軟性を持つゴムのように、あるいは内部から新たな関節が急造されたかのように、物理的な限界を無視してそのリーチを唐突に『伸長』させたのだ。


距離感が、完全に狂わされる。

俺が「絶対的な安全圏」と踏んでいたはずの間合いが、一瞬にして逃げ場のない死地へと裏返った。


(なんだコイツの腕――!?)


即座に回避行動を修正しようとしたが、あまりに近距離。もはや間に合わない。


ドゴォォォォォォンッ!!!


「ガハッ……!?」


正面からダンプカーに撥ねられたような、重苦しい衝撃が肺腑まで突き抜けた。

俺の小さな幼女ボディは、千切れた紙切れのように軽々と宙に舞い上がり、後方の粘着質な肉壁に向かって一直線に吹き飛ばされた。


ズガァァァァンッ!!


分厚い肉壁に背中から激突し、周囲を這い回る巨大な血管が衝撃で破裂、赤黒い体液が雨のように降り注ぐ。


「さ、才牙ぁぁぁぁっ!?」


その一部始終を後方で見ていたチーポの目が、驚愕のあまり文字通り飛び出さんばかりに見開かれた。


「うそやろ!? あの才牙に……あの才牙に、攻撃が当たったやと……!?」


チーポの悲鳴にも似た驚愕の声が、不気味に静まり返った大空洞に空しく、そして高く響き渡った。


『○*(.2(004(6%42』


吹き飛んだ俺を悠然と見下ろし、嘘つき人形の三日月型の口から、不満げなノイズが漏れた。それを聞いたチーポが、短い手足をバタバタと溺れるようにばたつかせながら再び悲鳴を上げる。


「『チッ、ガードシタカ』やて!? 才牙ぁ! 生きとるか! 大丈夫なんかぁ!?」


チーポは慌てふためき、俺が弾丸のごとく突き刺さった後方の肉壁へと一直線に飛んできた。


ズボォッ、と大鯨の不気味で粘着質な肉に深々とめり込みながら、俺(才牙)は、じわりと広がる痛覚よりも先に、己に対する激しい呆れと猛烈な恥じらいを感じていた。

直前、脳が警報を鳴らすよりも早く、喧嘩の嗅覚が腕を交差させてガードを完成させていた。だからこそ致命傷には至っていない。だが、小虫のように吹っ飛ばされたという屈辱的な「事実」が、俺のプライドを針で刺すようにチクチクと刺激する。


(……あーあ。良いもん久しぶりに貰っちまったな、……マジでダセぇ)


俺は肉壁に埋まったまま、脈動する暗い天井を見つめて自嘲した。

冷静に考えれば当たり前の話だ。相手は理外の化けアンヴァーなのだ。腕がゴムのように伸びようが、関節が増殖しようが、何の不思議もない。


それなのに、俺は相手が『人型』を模していたというだけで、無意識に「人間の喧嘩ステゴロ」と同じ尺度で間合いを測ってしまった。骨の髄まで染み付いた、番長としての経験則が仇となった形だ。完全な油断、そして慢心。


「才牙! 生きとるか!? 返事せえや……って、んあ?」


俺の顔を覗き込んだチーポが、言葉を失ってピタリと動きを止めた。

そして次の瞬間、青ざめていた顔を沸騰したように真っ赤にして怒鳴り散らした。


「なーに不気味に笑ってんのや!! アホかお前は! 心配して損したやないか!!」

「……ん?」


俺はチーポの剣幕に、ポカンと抜けたような瞬きをした。


「ああ、俺……今、笑ってんのか」


そっと頬に手を当てると、確かに俺の口角は、目の前の怪物と同じように吊り上がっていた。その顔は、本来なら誰もが庇護欲をそそられるはずの、愛くるしい超絶美幼女のものだ。しかし、今の俺から滲み出ているオーラは、隠しきれないほどドス黒く、そして底知れず凶悪だった。


それは、第七地区の不良どもがその名を聞いただけで震え上がった「最凶番長」の真のかお。純粋な『暴力への歓喜』。


ズチュァッ!

不快な音を立てて肉壁から自力で抜け出し、服の汚れを無造作に払った。

無傷の完封勝利も悪くないが、やはり、拳と拳がぶつかり合う泥臭い殴り合いこそが、喧嘩の醍醐味ってもんだ。


「まあ……」


大空洞の中央に鎮座する嘘つき人形を、獲物を定める猛禽類のような鋭い眼光で睨み据えた。


「やっと、やる気が出てきたところだ。」


単なるポイント稼ぎ(アルバイト)から、魂を削る殺し合い(喧嘩)へのシフトチェンジ。静まり返った大鯨の奥底で、本物の「怪物」がついにその牙を剥いた。

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