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第66話 黄金郷

時は数分だけ遡る。

俺――辰巳才牙は、巨大なサンドバッグをタコ殴りにしていた。


「オラァッ!!」


メキョォォォォッ!!


渾身の右ストレートが、奴の生命線である大角に深々とめり込み、盛大な亀裂を走らせる。鯨はこれまでにない悲鳴を上げ、その巨体を激しく痙攣させた。


(……なんだよ、もう終わりか?)


俺は空中で軽くステップを踏みながら、内心で毒づいた。

手応えが軽すぎる。以前一人でぶっ飛ばしたA級アンヴァー『八岐大蛇ヤマタノオロチ』の時は、もう少し殴り甲斐があった気がする。

まあ、こいつは雑魚を撒き散らして色々やる『後方支援型』っぽいし、本体の強さはこんなもんか。つまんねぇ。


さっさとトドメを刺して、下で戦ってる刹那や風香と合流するか。

そう思った矢先だった。角を割られ、完全にブチギレた大鯨が、魔法も雷撃も捨てて、洞窟のような大口をガバァッと開けて突進してきたのだ。


「……あ?」


俺は鼻で笑った。あの程度の突進、欠伸をしながらでも避けられる。


(はいはい、お疲れさん。回避ついでに、そのまま大角を根元から叩き折ってやるよ)


ひょいと躱して、大角にカウンターを入れる。

その完璧なイメージを脳内で組み上げ、回避行動に移ろうとした――その瞬間だった。


俺の天才的(自称)な脳に、電撃的な『気付き』が走った。


(……待てよ?)


こいつは先ほどから、背中の穴から大量のアンヴァー(C級やB級)を撒き散らしていた。あれが魔法的な召喚なのか、体内で養殖しているのかは知らない。だが、もし後者だとしたら。


(こいつの腹の中って……まだ吐き出してない『魔法ポイント(アンヴァー)』が、大量に詰まってんじゃねーのか?)


もしここで本体を殺せば、腹の中の敵も一緒に消滅してしまうかもしれない。だが、生きたまま中に入ればどうなる?


(移動の手間ゼロ。周囲は敵だらけ。殴れば殴るだけポイントがチャリンチャリン入ってくる……完全密室の『黄金郷エルドラド』じゃねーか!!)


俺の目が、完全に「$(ドル)」の形に染まった。

途方もない100億ポイントを目指す必要がある俺にとって、こんな美味しい「機会」を逃すわけにはいかない。


回避のために踏み込もうとしていた足の力を、俺は意図的に『ゼロ』にした。

空中で、ピタリと動きを止める。

外から見れば、「硬直した」ようにしか見えなかっただろう。


(さあ、食え! 俺を『黄金郷』に案内しろデカブツ!!)


俺は満面の笑みで巨大な顎を迎え入れた。


――パックン。


***


――パックン。


 巨大な顎が閉じられ、空を華麗に舞っていた銀髪幼女の姿が完全に消失した。

ドーム内の上空で起きたそのあっけない幕切れに、地上で戦っていた刹那と風香、そして指揮車の中にいた雅たちは、文字通り「唖然」としていた。


「…………」

「…………」


誰もが言葉を失い、時間が止まったかのような錯覚に陥る。

A級アンヴァーの捕食。それは通常、対象の「完全な死」を意味するからだ。


だが、その凍りついた空気を真っ先にぶち破ったのは、歴戦の魔法少女である刹那だった。


「おい!! 風香ぼさっとしてんな!!」


刹那は己の頬を両手でバチンと張り飛ばし、血走った目で天の鯨を睨みつけた。


「ガキンチョがヘマして食われたとは思えねぇ!! 何かあるはずだ!!」


ヤンキーの直感、とでも言うべきか。

先ほどまで、数百の雷撃を「完璧なステップ」で回避し、巨体を一方的にタコ殴りにしていた異常な強者。あの生意気なガキンチョが、あんな大味な突進を避け損なうわけがない。

避けられなかったのではない。『あえて避けなかった』のだと、刹那の勘が告げていた。


「は、はいぃぃっ!!」


刹那の怒声にビクンと肩を揺らし、風香もまた我に返った。その瞳に浮かんでいた絶望の涙は、一瞬にして「狂信的な光」へと塗り替えられる。


「そ、そうです! さいか様があんな鯨なんかに負けるわけありません!! きっと、内側から食い破るつもりなんですぅっ!!」


風香は杖を握り直し、崇拝する神の無事を微塵も疑わずに再び魔力を練り上げ始めた。


――指揮車の中、モニターに映し出された「捕食」という二文字に一瞬思考を止めていた雅だったが、マイク越しに響いた刹那の怒声に弾かれたように扇子を閉じた。


「……ふぅ」


一度深く、肺の奥まで酸素を送り込むように息を吐き出し、熱くなりすぎていた思考を強制冷却する。

A級相手に圧倒的優位に立っていたという高揚感――それが、指揮官としての冷静な判断を曇らせていた。


「そもそも……あまりの優勢で頭から抜けとったわ。アンヴァーを完全に沈めるには、当たり前やけど『コア』を破壊せなならん。それを大前提とする」


雅は自らを恥じるように独りごちる。

対アンヴァー戦における基本中の基本。どんなに肉体を破壊しようとも、中枢たるコアが健在である限り奴らは何度でも再生する。

ましてや今回の相手は、絶大な自己修復能力を見せつけたA級だ。生半可な体表ダメージなど、奴らにとってはただの擦り傷に等しい。


「機動力があるとはいえ、あれだけの巨体や。敵から真正面から接近戦に持ち込まれたら、振り払うのは難しい……。それに、あれだけ目立つ『大角』がコアとは考えにくいわ」


雅の脳内で、先ほどの戦闘データが高速で再生される。

さいかは執拗に角を狙い、その根元にヒビが入るほどの打撃を与えた。だが、鯨は激しく悶絶しこそすれ、機能停止する気配は微塵もなかった。


(……つまり、あれは急所コアやない。あの子はあえて角を叩くことで、そこがコアではないと『確認』したんや)


そこまで思考を巡らせ、雅はある一つの確信めいた「仮説」にたどり着く。


「……コアは『体内』にある。そう考えるのが自然やな」


外部装甲の硬さ、異常な再生速度、そして角への攻撃反応。

あらゆる情報を統合すれば、弱点は何層もの強固な肉の鎧に守られた、最深部に隠されていると推測できる。

そう考えれば、あの子――さいかのあの不可解な行動、「回避を止めて飲み込まれた」ことの辻褄が合致する。


(あんな絶望的な状況下で、あの子は極めて冷静にアンヴァーの確実な駆逐を計算しとったんや……)


あのA級アンヴァーは、外からの攻撃で再生速度を上回る決定打を与えにくい。ならば、内側から直接コアを叩く――これ以上に確実な戦術はない。


雅は己を恥じる。本来ならば自分自身が真っ先に気が付き、指示を与えなければならなかった事だ。


(敵も馬鹿やない。無理やり口をこじ開けて侵入しようとすれば、全力で暴れるか、あの噴気孔から雑魚と一緒に吐き出されて終わりや。……やけど、自ら『餌』として認識させればどうや?)


敵は自らの意志で、異物を体内へと招き入れたのだ。即座に吐き出そうなどとは夢にも思うまい。


(トロイの木馬……いや、自らを毒餌に変える特攻作戦か。なんちゅう胆力や、そして何より……)


雅は、モニターの端に映し出されている「あるもの」を指さした。


「見とき、みんな。アレが何よりの証拠や」


そこには、上空を覆い尽くすドーム状の半透明な膜。

さいかの展開した『空間遮断』が、今もなお霧散することなく、絶対的な強固さで維持されている様が映っていた。


「術者が意識を失えば、維持に多大な魔力を要する魔法は解ける。やけど、あの『檻』は今も、あの巨躯を閉じ込めとる」


それは、さいかの魔力が途切れていないこと、そして彼女の意志が依然として戦場を支配していることの証明。


「あの子は生きとる!!いや……今まさに大鯨の体内で、最深部の『コア』を破壊しようとしとるんや!」


雅の力強い宣言に、指揮車内の重苦しい空気は一変し、一気に引き締まった。

誰もが確信した。

あの空の王者は、決して食べてはいけない「最悪の爆弾」をその腹に収めてしまったのだと。

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