第64話 VS大鯨
「ガキンチョどこへ!? 待て!!」
背後で刹那が慌てて呼び止める声が聞こえた。だが、今の俺に止まる理由はない。
ブモォォォォォォォォッ!!!
大鯨は、自爆で失った駒を補充しようと再び背中の噴気孔を開いた。またしても黒い雨――新たなアンヴァーの群れが吐き出され、俺と刹那たちの間に分厚い壁を作る。
「ッチ! また出しやがった!!」
刹那は舌打ちし、モーニングスターを構え直した。目の前の雑魚を処理しなければ、俺を追うことすらできない。
「風香! 援護しろ!!」
「は、はいぃぃっ!!」
一方、音速の壁を突き破った俺の体は、一発の純粋な破壊弾となって天蓋の鯨の懐へと潜り込んだ。目の前には、巨大な岩盤と見紛うばかりの下顎が迫る。俺はそこに、加速の勢いと理不尽なまでの怒りを乗せた右拳を叩き込んだ。
ドォォォォォォンッ!!
幼女の拳一つ。大鯨との質量差にして数百万倍。だが、叩き込まれた衝撃は物理法則をねじ伏せ、巨体を無理やり宙へと突き上げた。
『――ッ!?!?』
大鯨の巨体が、大きく天を仰ぐようにのけぞる。衝撃波が円形の波紋となって空へ広がり、周囲の暗雲を根こそぎ吹き飛ばした。俺は反動を利用して空中で一回転し、鯨の額にそびえ立つ大角へと着地する。
「てめぇ……」
俺はギリギリと歯ぎしりをしながら、目の前の山のような顔面を見上げた。その瞳に宿るのは、正義の炎でも魔法少女の使命感でもない。取りっぱぐれた魔法ポイントへの凄まじい執着という、ドス黒い怨念だ。
「俺の獲物を横取り(自爆)して……タダで済むと思ってねえだろうなぁ!!」
その殺気に応えるように。のけぞっていた鯨が、ゆっくりと、重厚な威圧感を伴って首をもたげた。
ギロリ。
まず、額にある巨大な単眼が、俺という極小の敵を捉えた。続いて、顔中にびっしりと張り付いていた無数の複眼もまた、一斉に蠢き、一箇所へと焦点を合わせる。
ギロギロギロギロギロギロギロ……ッ!!
数百の瞳。その全てが、ただ一点、大角の上に立つ「さいか」を射抜くように見つめていた。空間が物理的に重くなるほどの、圧倒的な殺気の奔流。
だが、俺は怯むどころか、さらに深く拳を握りしめ、ニヤリと凶悪に笑い返した。
「いい度胸だ。慰謝料代わりに、てめえのポイント貰ってやるよ!!」
ギィィィィィィンッ!!
天蓋の大鯨の角が、再び目映いばかりの黄金色に輝いた。
その出力は先程の比ではない。全身の魔力を過剰なまでにスパークさせ、空間そのものを雷の檻へと変える広範囲殲滅攻撃。
バリバリバリバリバリッ!!!
空から数百、数千の雷撃が降り注ぐ。
逃げ場などない。空間そのものを焼き尽くすプラズマの豪雨。
普通なら、かすっただけで消し炭になる運命。
その中を、俺は一歩、無造作に踏み出す。
すぐ後ろを雷撃が激しく通り抜け、爆風が髪を揺らす。
俺は最小限の動き――半歩ズレる、体をわずかに捻る、顔を傾ける。それだけで轟雷の隙間を縫うように、悠然と前進していく。
ズドンッ!!
回避と同時に鋭く踏み込み、鯨の眉間に渾身の拳を叩き込む。
『……ッ!?』
巨大な単眼が激しく痙攣し、不気味な白目を剥く。数秒の意識消失。
だが、流石はA級のタフネス。すぐに意識を取り戻すと、鯨は怒り狂ってさらに激しい雷撃を全方位へと乱射した。
ドガガガガガガッ!!
四方八方、逃げ場のない放電の嵐。
だが、俺はその全てを「数センチ」の死線で見切っていた。
「当たるかよ」
雷を最小の予備動作で避け、剥き出しの頬を殴る。
雷を潜り、目を潰す。
スッ、ヒュン、パァン!
それはもはや、一方的な暴行ショーだった。
俺の拳が唸るたびに、山のような鯨の巨体がピンポン玉のように空中で弾む。
絶対的な強者だったはずの怪物が、今やただの、サンドバッグに成り下がっていた。
バリバリバリバリバリッ!!!
天蓋の大鯨は、さらに半狂乱となって周囲に落雷を撒き散らしていた。視界を埋め尽くす光の奔流。逃げ場など数センチも存在しない飽和攻撃。だが、その全てが「さいか」という特異点を避けるように通り過ぎていく。
(……なんかこう、ピリッとするんだよな)
俺は稲妻の隙間を欠伸が出るような動作で潜り抜けながら、冷めた思考を巡らせていた。
こちらに向かって雷が落ちる直前、肌が粟立つような、空間が帯電するような微かな違和感がある。
それが俺には、敵が「今からここを攻撃しますよー」と丁寧に叫んでいるようにしか思えなかった。
(攻撃しますって宣言してる攻撃なんて、当たるわけねーだろ)
ヒュンッ。
また一歩、半身をずらす。直後、俺の残像を極太の雷撃が貫く。
俺はそのまま跳躍し、がら空きになった巨大な横顔に拳を叩き込んだ。
ズドンッ!!
もはや戦いではない。完璧な回避と、必中のカウンター。
A級という災害指定生物が、一方的にボコボコにされていた。
『ギィィィィッ……!?』
大鯨の巨体が屈辱と苦悶の悲鳴を上げる。
本能的な恐怖を感じたのか、怪物は強引に巨体を捻って旋回した。敵対行動の放棄。戦域からの離脱。そして――
フォォォォォ……ッ
距離を取りつつ、額の角が「深緑色」へと変化する。
傷ついた肉体を修復するための「超再生」の構えだ。
「あ?」
俺はその浅はかな思考を鼻で笑った。
「回復なんて……させるわけねーだろォッ!!」
ドォンッ!!
バリアで足場を作り、それを土台にしてステップして加速する。
逃げる鯨の速度を遥かに上回るトップスピードで、俺はその頭上に躍り出た。
そして、再生の光が全身を包むよりも早く、渾身の右拳を脳天に振り下ろす。
メゴォォォォォォォォッ!!!
頭蓋骨が軋む音が響き渡る。
衝撃が脳髄を揺らし、鯨の意識を強制的に刈り取った。
『ブ、ブギュウゥゥ……ッ』
巨大な単眼が完全に白目を剥き、だらりと力なく舌を出す。同時に、角に灯っていた緑色の光がプツンと電球が切れるように消滅した。スキル発動の強制キャンセル。
大鯨は気絶したまま、ただの巨大な肉塊となって落下していく。俺はその大角にしがみついたまま、意識の無い化け物に囁いた。
「休憩時間なんてねぇぞ。……さあ、ラウンド2だ」




