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第55話 VIPルーム

魔法科本部。本来なら関係者以外立ち入り禁止の要塞だ。 だが、俺と刹那は、一般ゲートではなく裏口にある『VIP専用通路』を通っていた。顔パスでゲートが開き、職員たちが最敬礼で迎える。


「よっと。ここだぜ」


刹那が重厚な扉を開けた。俺は覚悟を決めていた。中には無機質な机と椅子、そして険しい顔の柊たちが俺の正体を暴こうと待ち構えているのだろうと。 しかし。


「…………は?」


扉の向こうに広がっていたのは、ファンシーショップの陳列棚のような光景だった。 目に痛いほどのピンク色の絨毯。テーブルにそびえ立つ高級菓子のタワー。そして、部屋の四隅を埋め尽くすほどの大量のぬいぐるみ。


その中央のソファに、いつもの威厳をどこかに忘れてきたような満面の笑みを浮かべた支部長・柊と、なぜか見知った顔がもう一人座っていた。


「ようこそ! 待っていたよ、さいか君! よく来てくれたね!」

「きゃーーっ! 来たぁぁぁっ! さいかちゃんだぁぁぁっ!」


黄色い悲鳴を上げて、ソファから弾丸のように身を乗り出してきたのは、葵だった。


「……なんで葵がいんだよ。お前、自分の担当地区はどうした」


刹那が心底嫌そうに顔をしかめ、ゴミを見るような目で葵を睨む。葵は「テヘペロ」と古すぎる擬音が聞こえてきそうな仕草で舌を出し、悪びれもせずに答えた。


「いや〜、今日さいかちゃんが来るって小耳に挟んじゃって!これは先輩魔法少女として、後輩の安全を確認しに駆けつけるしかないかなって!」

「はー……。柊さんは、葵に甘すぎるんすよ。こいつ絶対仕事サボって来ましたよ」

「ははは、まあ、今日くらいはいいじゃないか。見知った顔が多い方が、さいか君も緊張しなくて済むだろう?」


柊は力のない笑顔でごまかした。


(……帰っていいか?)


俺は扉の前で、石像のように立ち尽くした。 俺の、修羅場を潜り抜けてきた「番長」としての野生の勘が、警報を鳴らし続けている。ここは会議室ではない。「幼女を愛でる会」の会場だ。


「 立ち話もなんだし、こっちにおいで! ほら、ウサギさんのぬいぐるみもあるよ〜!」


葵が獲物を狙う肉食獣のように目を爛々と輝かせ、手招きをする。 俺は反射的に、今日ウサギフードの紐をギュッと握りしめ、刹那の背後に隠れるように身を潜めた。


(……100億のためだ。すべては魔法少女引退。耐えろ、俺……!!)


俺は、一歩進むごとに尊厳が削れる音がする地獄のVIP接待へと、鉛のように重い足を踏み入れた。



—―「はーい、さいかちゃん! あーんして? あーん」


VIPルームのふかふかなソファ。そこで俺は、かつてない屈辱を味わっていた。


「…………」


俺は今、葵の膝の上にちょこんと座らされていた。鼻をくすぐる甘い香水の匂い。そして目の前には、パステルカラーの高級マカロンを摘んだ葵の指先。


「ほらほら、遠慮しないで! これ、すっごい甘くて美味しいお菓子だよ〜?」

「……あーん」


 俺は機械的に口を開いた。  マカロンが放り込まれる。甘い。死ぬほど甘い。


「きゃーっ! もぐもぐしてる! リスさんみたい! 可愛いぃぃぃッ!」


ギュウウゥッ!!


葵が背後から俺を抱きしめる。窒息しそうなほどの抱擁。そして、やわらかい感触と共に頭をこれでもかと撫で回される。


「今日も頑張ってるね〜! エライね〜! よしよし、さいかちゃんはお姉ちゃんが守ってあげるからね〜!」

(……耐えろ。俺の心は虚空だ。俺は今、辰宮才牙ではない。俺は無機質なぬいぐるみだ……。)


俺の精神力メンタルは、すでにゼロを割り込みマイナス域に突入していた。しかし、この地獄のような苦行に耐えなければ、交渉の席にすらつけない。すべては100億のためだ。

向かいの席で、柊支部長がようやく苦笑しながら紅茶を啜り、仕切り直した。


「まあ、仲が良いのは結構なことだが。……葵くん、そのくらいにしておきなさい。そろそろ本題に入ろうか」

「……ん」


俺は葵の腕に埋もれながら、死んだ魚のような目で、かろうじて頷いた。


「九条(刹那)くんから聞いているよ。なんでも、大量の『魔法ポイント』を貯めたいそうだね?」

「えーっ!」


その言葉に食いついたのは、俺の頭を撫でていた葵だった。


「なになに? さいかちゃん、何か欲しいものでもあるの? お洋服? それともお家? 宝石? なんでも言ってごらん?」


葵は俺の顔を覗き込み、自信満々にその豊かな胸を叩いた。


「お姉ちゃんが何でも買ってあげるよ! こう見えてもエースだからね、貯金はたっぷりあるんだよ〜?」


その申し出は、本来なら魅力的だった。だが、俺が欲しいのは豪華な家でもブランド服でもない。


「…………」


俺は葵の方を一切見ず、完全に無視して柊の方を真っ直ぐに向いた。


「……100億ポイント。……ためたい」


部屋の空気が、一瞬で絶対零度まで凍りついた。


「ぶっ……!!」


柊が紅茶を吹き出しそうになり、慌ててカップを置いた。


「ひゃ、100億……!?!?!?」


常に冷静な支部長の仮面が完全に剥がれ落ち、ひっくり返ったような声が出る。そして、俺の背後で固まっていた葵が、わなわなと震え出し――。


「えぇぇーー!?!?!?」


葵は俺を抱きしめたまま、この世の終わりでも見たかのような悲痛な叫びを上げた。


「ひゃ、100億は……さ、流石にお姉ちゃんも、そこまで貯金してないよぉぉぉ!! うわぁぁん!」


ガックリと項垂れる葵。さすがはエースといえど、個人資産で国家予算並みのポイントなど持っているはずがない。


「ごめんねぇ……お姉ちゃん、甲斐性がなくてごめんねぇ……!」


俺の銀髪の頭に、ポタポタと葵の涙が落ちる。俺は無表情のまま、ポケットから取り出したハンカチで自身の頭を丁寧に拭った。


(……知ってた。)


葵の涙で頭が湿っていく不快感に耐えながら、俺は柊支部長との交渉を続けた。柊は眼鏡の位置を指で直し、先ほどまでの動揺を隠して真剣な眼差しで俺を見据えた。


「うーん、100億か……。それは『現金換算で100億円』ということではないよね? 純粋な『魔法ポイント』で100億、という話で間違いないかな?」

「うん、まほうぽいんと」


柊は「ふむ」と顎に手を当て、納得したように頷いた。


「……ということは。君の狙いは、妖精アイテムリストの『一番上』にある……」

「なんでもかなえるけん。……ほしい」


俺が食い気味に答えると、柊は眉間に深い皺を刻み、難しい顔をした。


「むぅ……。現金なら、予備費をかき集めれば用意できなくもないが……」

(あんのかよ!?)


俺は内心で盛大にツッコんだ。おい、この組織はどうなってんだ。100億円をポンと出せるのか。だが、柊はすぐに首を横に振った。


「『魔法ポイント』となると、話は別だ。非常に難しい」

「……なんで?」

「さいか君は、魔法ポイントの入手方法は知っているよね?」

「うん。アンヴァー、たおすと、もらえる」


俺は基本ルールを口にした。敵を倒す。システムがそれを判定する。ポイントが入る。単純明快だ。


「うん、それで合っているよ」


柊は指を一本立て、残酷な事実を告げた。


「つまりだ。当たり前の事ではあるんだが――『アンヴァーを倒す他に、ポイントの入手方法が存在しない』んだよ。ポイントは通貨のように『発行』できるものではない。敵を討伐した際に発生するエネルギーを数値化した、絶対的な総量だ。我々協会であっても、無からポイントを生み出すことはできないんだ」

「……むぅ」


柊の言葉が重くのしかかる。 つまり、どれだけ権力があっても、ポイントだけは「ズル」ができないということだ。100億ポイントを手に入れるには、100億ポイント分の敵を、この手で葬るしかない。

柊支部長は、少し言い淀んでから、もう一つの可能性を提示した。


「後はそうだね……『ノーマッド(違法魔法少女)』を捕縛した場合だ。彼女たちの所持ポイントは全没収され、半分が協会に、残り半分が捕獲者であるさいか君の物になる」


「……はんぶん」


相手が大量に持っていれば、一発逆転もあり得る。だが、柊はすぐに首を横に振った。


「だが、あまりオススメはしないね」

「なんで?」

「基本的に、ノーマッド達は獲得した魔法ポイントを即座に『現金化』していてね。捕まえた時には、ポイントを所持していないことが殆どなんだよ」

「……いほうなのに、げんきんにできるの?」


俺は首を傾げた。正規の魔法少女ですら、換金には身分証や手続きが必要だ。だからこそ、さいかは換金を諦めていたのに。

柊は苦々しい顔をした。大人の汚い事情を、子供に話すべきか迷うように。


「うう、痛い話だけど……魔法ポイントは、現代の魔法科学において非常に重要な『エネルギー源』に変換できてね」

「……えねるぎー」

「喉から手が出るほど欲しい資源なんだ。だから国は、そういった『換金の抜け道』を意図的に作っておいて、ノーマッド達から魔法ポイントを裏で回収しているのさ」


柊は自嘲気味に笑った。


「正義だ悪だと表向きは言っても、背に腹は代えられないということだね。……ちょっと、さいか君には難しい話だったかな?」


その説明を聞いた瞬間。俺の思考は、国のエネルギー政策への憂いではなく、個人的な衝撃に染まった。


(……は?)


抜け道がある? 身分を明かさず、違法な連中でも換金できるルートが、国公認で用意されている?

つまり。俺がビビって換金せずに貯め込んでいた、あのポイントは、その「抜け道」を使えば、足がつかずに普通に現金化できていたということか!?


「がーん」


俺の口から、魂の抜けた音が漏れた。 俺は今まで、ありもしない「身バレの恐怖」に怯え、目の前の現金をドブに捨てていたも同然だったのだ。

俺が白目を剥いて硬直していると、背後からギュウゥッと強い力が締め付けてきた。


「きゃーっ! 『がーん』って口で言っちゃうさいかちゃん、可愛いぃぃぃ」


葵が俺の頬に自分の頬をスリスリと擦り付けてくる。


「大丈夫だよ〜、お姉ちゃんがマカロンもう一個あげるからね〜!」

「……」


俺は悟りを開いた僧侶のような顔で、マカロンを口に押し込まれた。 俺が「換金できたのにしなかった」という事実に打ちのめされていると、柊支部長は少し言いづらそうに、しかし重要な補足を付け加えた。


「まあ、それでも……違法ルートで一度に大量の魔法ポイントを現金化するのは、技術的にも足がつきやすさの点でも難しいんだ」

「……む?」


俺の虚ろな目が、わずかに動く。


「数万、数十万ならともかく、百万、ましてや千万位のポイントを一度に換金しようとすれば、必ず当局の監視網に引っかかる。だから、報奨金が出るクラスの大物ノーマッド……それこそ、君が戦った『キリカ』クラスであれば、使いきれない大量のポイントを、そのまま所持していた可能性が高いね」


柊はコーヒーカップに視線を落とし、残念そうに呟いた。


「彼女クラスなら、数千万……いや、下手をすれば『億』を持っていたかもしれない」


その言葉が、俺の脳天をハンマーで打ち砕いた。


(お、億……!? あの野放しにした鎌女、億持ってた可能性があんのか……!?の、逃した魚が……でけぇぇぇぇぇぇッ!!!)

「あ、あれ? さいかちゃん?」


葵が異変に気づく。俺の口からは、半透明の白い魂のようなものがヒョロヒョロと抜け出ていた。目は完全に白目を剥き、焦点が合っていない。あまりの精神的ショックに、自我が崩壊し、シャットダウンしたのだ。


「きゃーっ! 無防備なさいかちゃんも可愛いぃぃぃ!」


だが、慈悲はない。葵は俺が抵抗しなくなったのをいいことに、ここぞとばかりに抱きしめ、自分の頬を俺の頬に押し付けた。


「すりすりすり〜」

「…………」


柔らかい感触と甘い匂いが俺を包むが、今の俺には何も感じない。ただ、「逃したキリカ」の残像だけが、走馬灯のように脳裏を駆け巡っていた。

向かいで見ていた刹那が、心底哀れむような目で呟いた。


「……南無」


――魂が抜け、葵にされるがままになっていた俺の耳元で、凛とした、それでいて艶のある京都弁が響いた。  パチン、と扇子を閉じる音が空気を震わせる。


「ほな、魔法科で『バイト』でもしてみる?」

「……ばいと?」


その単語に含まれる「報酬」の響きに、俺の意識が冥府から急速に引き戻された。  白目を剥いていた瞳に光が宿る。俺は葵の腕からニュルリと顔を出し、声の主を見た。

そこに立っていたのは、一人の女性だった。 切れ長の瞳に、艶やかな黒髪。 白衣の下には、着崩した着物を纏い、手には雅な扇子。

柊支部長の補佐官であり、この支部の頭脳とも呼ばれる村雲雅むらくも みやびだ。


「せや。今、街中に『偵察型アンヴァー』がギョーさんおるの、知ってるやろ?」


雅は扇子の先で、部屋のモニターを指し示した。そこには、街のあちこちに赤い光点(敵反応)が無数に映し出されていた。


「うちの隔絶魔法と、この探知システムと合わせて、あいつらを一網打尽に……大量に狩り取る作戦ハナシがあるんや」


彼女は糸目の奥で、怪しげに、しかし魅力的に微笑んだ。


「それに、さいかちゃんも参加しぃへん? ……無からポイントは作れなくても、譲渡はできる、報酬は、はずんだるで?」

「……!!」


俺のウサギ耳がピンと立った。大量発生したザコ敵。協会の探知サポート付き。  そして、「バイト」という名の合法的な大量虐殺(ポイント稼ぎ)。

それは、100億への果てしない階段を登り始めた俺にとって、渡りに船どころか、ジェットスキー並みの好条件だった。


(……やる。やらない理由がねえ)

「やる!」


 俺は葵の抱擁を振りほどき、雅に向かって前のめりに身を乗り出した。


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