第46話 サイカちゃん係
会議室の空気は、さらに重苦しく沈殿していった。 内部に裏切り者がいる。その事実は、この場にいる全員――特に、組織のトップとして柊支部長の顔を、深く、暗く曇らせていた。
「……この状況で、サイカくんの情報をこれ以上データ化して共有するのは、あまりにリスクが高すぎるか」
柊は長い睫毛を伏せ、苦渋の表情で呟いた。彼女はかつて「氷血の魔法少女」と呼ばれた歴戦の兵だが、今は組織の長として、守らなければならない規律と命が多すぎる。
雅が扇子をパチンと閉じ、口元を隠しながら、はんなりとした声音で助け舟を出した。
「この際、裏切り者が誰かハッキリするまで、サイカちゃんには組織から離れて『潜伏』してもろた方がええかもしれへんなぁ。下手に保護して居場所を固定するより、どこにいるか分からへん方が、敵も手出ししにくくなるやろ」
「しかし、それでは有事の際に対応が遅れる可能性もある。連絡手段を完全に絶つわけにはいかない」
柊の至極真っ当な懸念に対し、俺を膝の上でガッチリとホールドし続けている葵が、パァッと顔を輝かせて勢いよく挙手した。
「じゃあ! じゃあ! 誰か、絶対に信頼できる魔法少女が、定期的にさいかちゃんの無事を確認するとかどうですか!? 例えば、わ・た」
「刹那がいい」
葵が期待に満ちた声を言い終わる前に、俺は食い気味に遮った。
「ええええええええええええ!! なんでぇぇぇぇ!!!」
葵が世界の終わりのような絶叫を上げ、再び俺の鼓膜に音圧のダメージを与える。 俺は冷めた目でそれを完全に聞き流した。 まあ、理由は単純だ。この「魔法少女科」という組織自体の信用がガタ落ちしている今、俺が唯一「こいつだけは絶対に裏切らない」と確信できるのは、あの口は悪いが、不器用で義理堅いスケバン(刹那)だけだからだ。それに、俺(才牙)としても、いざと言う時には、学校で毎日顔を合わせるあいつとなら、連絡が取りやすい。
柊は人差し指を顎に当てて思案した。
「ふーむ……。なるほど、今はそれが最善か」
(サイカくん自身がそれなら良いと言う反応だし、無理にこちらの都合を押し通して、また機嫌を損ねて行方不明になられるよりはマシか。それに九条刹那なら、実力も、信頼性も実力も申し分ない)
柊は支部長としての決断を下した。
「分かった。では、九条刹那を、サイカくん専属の『連絡員』に正式に任命する。彼女には特等職員並みの権限を与え、定期的にサイカくんと接触、情報共有を行うように命じておこう」
「わ、わたしは!?!? 私はどうなんですか!? 私もサイカちゃん係やりたい! 絆を深めたい!!」
「却下だ。君は何かと目立ちすぎるし、何より動機が不純だ」
「えぇぇぇぇぇぇぇ!! 差別だぁぁぁぁ!!!」
柊に一刀両断され、葵は会議室の床に泣き崩れた。
「……それなら、いい。」
俺は短く答え、葵の力が緩んだ隙を見逃さず、するりとその拘束から抜け出した。 これで、当面の間は「組織の監視」を最小限にしつつ、学校生活を送りながら自由に動ける。
(ふぅ……。ひとまず、最悪の『軟禁』は免れたな)
俺は少しだけ安堵して、床で泣き崩れている葵を憐れみの目で見下ろした。
数時間後。魔法科日本支部の医務室。 窓の外はすっかり夜の帳が下り、静寂が廊下を満たしていたが、一室だけは「はぁ!?」という素っ頓狂な叫び声で揺れていた。
「……なんで、俺が!? いや、私が……そのまま継続なんですか!?」
ベッドの上で、上半身を包帯でぐるぐる巻きにされた刹那が、身を乗り出して柊支部長に詰め寄っていた。先ほど、見舞いに(正確には新たな勅命を伝えに)来た柊の口から放たれた言葉が、あまりに予想外だったからだ。
「いやいや支部長! そもそも私がこの第七地区の高校に転校して、ガラにもなく『佐藤優依』なんて猫を被ってたのは、あくまで『サイカ』を捜索する為の潜入任務だったはずでしょ? ターゲットが見つかったなら、私の役割は終わりじゃないっすか!」
刹那は激しく困惑していた。 彼女にとってあの高校は、任務のための仮初めの居場所。ターゲットが姿を現し、あまつさえ「協力する」とまで言ってきた以上、自分は速やかに元の部隊に戻るか、あるいは新たなアンヴァー討伐の最前線へ送られるものだと思っていたのだ。
「先ほども説明した通り、現状、組織内のセキュリティは信用できない。それに…サイカくん本人が、君を唯一の窓口として『指名』したんだよ。君以外とは、一切の情報共有を行わないとな」
「あいつが……?。あのクソガキが、……何で俺を?」
刹那は驚きに目を見開いた。 あの冷徹で、生意気な、幼女。 そんな「サイカ」が、何故自分という人間を「信頼に値する」と選んだというのか。何を考えているか分からない。
「……ちっ。人使いの荒いガキだぜ」
刹那は悪態をつきながらも、その表情には満更でもない色が浮かんでいた。
柊は、淡々と事務連絡を続ける。
「というわけで、九条。君には引き続き『佐藤優依』としてあの高校に通い、潜伏を続けるサイカくんとの接点を維持してもらう。潜入捜査は終了し、これからは『サイカ専属の連絡員』としての長期任務に切り替える。……嫌かね?」
「………いや」
刹那は視線を、病室の窓の外……遠くに街の明かりが灯る第七地区の夜景へと逸らした。 脳裏をよぎったのは、今後の任務の進捗ではない。
屋上で一緒に弁当を食べ、くだらない愚痴をこぼし合った、あの目つきの悪い不良少年――辰宮才牙の、不器用な横顔だった。
「……命令なら、仕方ねーっすね。」
(任務が終われば、あの学校も今日でおさらばだと思ってた。……あいつとも、もう二度と会うことはねーんだなって、……ほんの少しだけ、思っちまったけどよ)
「引き受けますよ、責任持って」
刹那は努めて不機嫌そうに、面倒くさそうに答えた。 しかし、暗い窓ガラスにぼんやりと映った自分の顔が、今にもニヤけそうな口元を必死に噛み締めて耐えていることには、彼女を見送る柊も、そして、彼女自身も、気づいていなかった。
「頼んだよ、九条。」
柊が部屋を出ていくと、刹那はベッドに倒れ込み、枕に顔を埋めた。
「……っしゃあ!」
小さなガッツポーズ。 最強のスケバン魔法少女は、明日からの「延長戦」に胸を躍らせていた。 それが、自分が指名された「サイカ」の中身が、その「才牙」だとは露知らずに。




