第45話 魔女
魔法科日本支部、大会議室。 国家機密が飛び交うはずの厳粛な空間は、現在、狂気に満ちていた。
「あぁ……さいかちゃん……小さいねぇ……可愛いねぇ……」
「……」
「くんくん……髪の毛サラサラだねぇ……良い匂いするねぇ……ミルクとお日様の匂いかなぁ?」
「……」
「体も柔らかいねぇ……あったかいねぇ……軽いねぇ……お持ち帰りしたいなぁ……」
「……(誰か警察呼んでくれ)」
俺、辰宮才牙(変身中)は、魔法少女・水鏡葵の膝の上に鎮座させられ、背後からこれでもかと言うほどガッチリとホールドされていた。 逃げようとすると、見た目に反して凄まじい腕力で抱きしめられる。これが魔法少女の本気の力か。使い所を間違っている。
対面の席には、支部長の柊が座っている。
俺は助けを求めるように見つめるが、柊は葵の奇行を見なかったことにして、咳払いを一つした。
「えーと、じゃあ……サイカくん、とりあえず変身を解除してくれるかな? I」
「いや!」
俺は即答した。解除した瞬間、俺の社会的な死が確定する。
「ですよねー……。まあ、そう言うと思ってたよ」
柊は深いため息をつき、あっさりと引き下がった。どうやら、ダメ元で言ってみただけのようだ。
「まあ、今回も助かったよ。ありがとう。君がいなければ、キリカと名乗るノーマッドのせいで、被害が拡大していただろう」
「……別にいい」
(まあ、元は俺を釣るための作戦だったみてぇだしな。俺のせいっちゃ俺のせいだ)
俺は葵の腕の中で、ぶっきらぼうに答えた。
「そう言って貰えて助かるよ。しかし……ノーマッドがこれほど組織的に大規模な強攻策に出るとはな」
柊の表情が険しくなる。転移魔法という伝説級の術式に、組織的な連携。事態は確実に、そして急速に悪化している。
その時。大会議室の重厚な扉が、音もなくスッと開かれた。
「ごめんやす〜」
おっとりとした、どこか浮世離れした声と共に、一人の女性が室内へ足を踏み入れてきた。肩に白衣を羽織っているが、その下には和装のような着物を艶やかに着崩して纏い、片手には扇子を持っている。年齢は二十代後半といったところか。細目でけだるげな色気を漂わせつつも、その場にいるだけで毒気が抜かれるような、ほんわかとした空気をまとっていた。
「来たな、雅」
柊が立ち上がり、彼女を俺――サイカに向かって紹介した。
「紹介しよう。村雲雅。魔法科の特等級職員の一人だが、普段は私の直接のサポートをしてもらっている。……まあ、我々の間では『魔女』と呼ぶべき存在かな」
(魔女?)
柊は続けた。
「雅は『アンヴァーの探知』という特殊な隔絶魔法の使い手だ。広範囲における索敵において、彼女の右に出る者は世界中探してもいないだろう。日本支部が他国の支部から重要視されている理由の一つが、彼女だ」
「よろしゅうな〜。ウチが雅や」
雅は、とろりとした京都弁で挨拶を済ませると、興味深そうに俺の顔を覗き込んだ。
「この子が、噂のサイカちゃん? ……あらぁ、ほんまに。」
彼女の目が、細く、艶っぽく細められる。
「かわいいわあ❤️ ほんま、食べちゃいたいくらいやわぁ」
雅が白く細い手を伸ばそうとした、その瞬間。
俺の背後でホールドを続けていた葵が、子猫を守る親猫のように俺を抱きしめる腕の力を一段と強めて、威嚇する。
「あげませんよー! 雅さん! サイカちゃんは、私のなんですからー!」
(……お前のもんじゃねーだろ!)
俺は心の中で突っ込むと、気になった単語を口にした。
「……まじょって何?」
俺は葵の膝の上で、子供らしく小首を傾げて聞き返した。
(魔女ってなんだ? 魔法少女と何が違うんだ? お伽話に出てくるような悪い奴のことか?)
俺のその素朴な疑問を聞いた瞬間、柊支部長の瞳に、一瞬だけ痛ましいものを見るような、深い同情の色が走った。
(……やはり、戸籍すらない環境で育ったから、義務教育すら満足に受けていないのだな。一般的な常識すら知らないとは)
実際は、俺(才牙)が勉強嫌いなせいで平均的な学力に届いていないだけなのだが、柊は勝手に「天涯孤独な過酷な生い立ち」として脳内補完を完了させ、壊れ物を扱うような優しい声で説明を始めた。
「ああ……。そうか、サイカくんは『魔女』を知らないのか。……魔女というのはね、簡単に言えば『元・魔法少女』のことだよ」
「もと……?」
「そう。一定の年齢を経て、魔力が減少して『変身』あるいは『戦闘』ができなくなった女性の総称だ。……かつて魔法少女として戦い、引退した者たちのことだよ」
へぇ、と俺が感心していると、俺の頭を撫でていた葵が、クスクスと笑いながら爆弾を投下した。
「柊さんも『元・魔法少女』ですしねー。当時は『氷血の魔法少女』なんて言われて、敵からも味方からも恐れられてたんだよー」
「ぷっ」
俺は思わず吹き出しそうになった。 目の前の、眉間にシワを寄せた堅物メガネの支部長が? 『氷血の魔法少女』?こんな堅物がフリフリのスカートとか履いてたりしたのだろうか?
柊は顔を真っ赤にして、コホン! と盛大に咳払いをした。
「あ、葵くん! 私の昔話はいいと何度も言ってるだろう!」
葵が柊をからかっている中、俺の脳内では別の計算が弾き出されていた。
(……ってことはだ。俺もこのまま歳を食えば、いずれ魔力が減って、魔法少女化しなくなるってことか!?)
今は謎の力で幼女に変身させられているが、その呪いにも「期限」があるということだ。 一生このままかもしれないという恐怖があった俺にとって、朗報だった。
(おっさんになれば解放されるんだな! 早く来い、加齢臭!)
俺の瞳に、希望の光が宿る。 そんな俺の内心など露知らず、赤面していた柊支部長は、コホンと咳払いをして強引に威厳を取り戻した。
「と、とにかく……今、街中にアンヴァーが出現した際に『警報』が鳴るだろう? そこから速やかに魔法少女を現場に派遣できるのは、雅の『探知魔法』を魔法科学で解析し、システム化した結果なんだよ」
「へぇー」
俺は感心したフリをして、気のない相槌を打った。 だが心の中では、将来訪れるであろう「変身解除の平穏な老後」を夢見て、ニヤつきそうになるのを必死に堪えていた。
「今は雅は私の秘書の様な立ち位置で、業務全般を手伝って貰ってるんだ。……雅?」
柊が視線を送ると、白衣を着崩した村雲雅は、手に持っていた扇子をパチンと閉じた。 その瞬間、彼女の纏う空気が「けだるげなお姉さん」から「冷徹な分析官」のものへと切り替わる。
「はいな。今回の襲撃……特に、ノーマッドたちの動きは、B級アンヴァーの出現と共に行われた、別区域への魔法少女への強襲は、あまりにも『正確』に行われましたな」
「つまり?」
「B級が出現して警報が鳴る『前』に、サイカちゃんを探索に出ていた魔法少女たちの配置位置が、敵方に完全に割れていたって事になりますなぁ」
雅は細めた目で、壁に映し出された地図モニターを見上げた。 そこには、各魔法少女が襲撃されたポイントが赤く点灯している。
「偶然にしては出来すぎや。まるで『誰が』『どこを』探していたかを知っていたかのように。……まあ、組織の中に『裏切り者』がいるのは確定ですなぁ」
さらりと、部屋の温度を氷点下にするような言葉が放たれた。
外部からのハッキングか、それとも内部の人間による情報漏洩か。どちらにせよ、魔法科のセキュリティは既に死んでいるに等しい。
「……やはりか」
柊は眉間に深い皺を刻み、重々しく頷いた。彼女も薄々は感づいていたのだろう。 だが、その深刻な空気を、一人の純粋な悲鳴が切り裂いた。
「ええ!?!?!?」
ビクゥッ!!
俺のすぐ耳元で、葵が鼓膜が破れそうな大声を上げた。 俺は彼女の膝の上というゼロ距離にいるため、その音圧をモロに食らう羽目になる。
「う、裏切り者!?そ、そんな私達の中にスパイがいるってことですか!? 嘘ですよね!? だってみんな仲間で、正義の魔法少女なのにぃ!?」
(……うっせぇ!! 耳キーンってなったわ!)
雅は、取り乱す葵を見てクスクスと笑った。
「あらあら、葵ちゃんはピュアやなぁ。人の心にはいつだって魔物が棲んでるもんやで?」
「そんなぁ……誰が……」
ショックを受ける葵。 しかし、俺の脳裏には、あの路地裏でキリカが言っていた言葉が蘇っていた。
『私たちのボスが、どうしても貴方が欲しいんだって』
組織的な犯行。そして内部情報の漏洩。 俺の正体(サイカ=才牙)がバレるのも、時間の問題かもしれない。 俺は葵の腕の中で、密かに冷や汗をかいていた。




