第44話 転移魔法
「B級アンヴァーの反応、完全消滅を確認! それと共に各所に強襲したノーマッドたちも一斉に撤退を確認しました!」
ノイズ混じりの無線から流れる緊迫した報告に、現場に駆けつけた魔法少女たちは、ようやく張り詰めていた糸を切らすように安堵の息を漏らした。 満身創痍でアスファルトに横たわっていた刹那は、駆けつけた医療班の手によって慎重に担架へ乗せられ、救急車両へと運ばれていく。
(……流石だな、刹那)
才牙は、運ばれていく「戦友」の寝顔を一瞥し、心の中で最大限の賞賛を送った。あの絶望的な状況、しかも魔力枯渇の極限から単独でB級を狩り切るとは。伊達に気合だけでスケバンを張ってはいない。
一方、その「戦友」をあそこまで追い詰めた元凶――ボコボコにされて白目を剥いているキリカは、対魔法少女用の特殊拘束具を両手足に嵌められ、魔法科の隊員たちに囲まれていた。
「えーと、それで……サイカちゃん。悪いんだけど、この後本部に来てもらって、色々とお話を聞きたいんだけど……いいかな? かな?」
葵が、逃がさないとばかりにサイカの手をギュッと握り、目線を合わせて尋ねてくる。 伝説の魔法少女を確保できるチャンスに、彼女も必死だ。
「…うん。いいよ」
サイカは「こくん」と、周囲が思わず保護欲を掻き立てられるほど愛らしく頷いてみせた。だが、内心では盛大な舌打ちを噛み殺している。
(しゃーねーか。ここで拒否って無理やり逃げる方が、余計に怪しまれる。まあ、いざとなったら、またトイレにでも籠もって逃げれば良いしな)
そんな算段を立てていた、その瞬間だった。
ゾワリ。
才牙の背筋に、冷たい氷の針で突き刺されたような、鋭利極まりない殺気が走った。
「――ッ!!」
思考よりも先に、本能が体を突き動かす。 サイカは目の前の葵の腰を力任せに抱き寄せると、強引にバネのようなバックステップで後方へと数メートル跳躍した。
「えっ、ちょ、きゃあぁ!?」
ヒュオオオオオオオッ!! ドガガガガガガガッ!!
葵が驚きで悲鳴を上げる間もなく、二人がつい先程まで立っていた場所に、空を黒く埋め尽くすほどの「無数の矢」が雨のように降り注いだ。 凄まじい風切り音と共にアスファルトが針山のように穿たれ、一瞬で視界が土煙に覆われる。もし反応がコンマ一秒でも遅れていれば、葵の体は今ごろ生きたハリネズミに成り果てていただろう。
「な、なに……!? 敵襲!?」
「……下がってて」
サイカが低く短く告げ、砂煙の向こう側を鋭い眼光で睨みつける。 夜風が吹き抜け、視界が晴れると、そこには意識のないキリカを挟み込むようにして立つ、二人の新たな影があった。
一人は、身の丈を超える巨大な和弓を構えた、凛とした佇まいの袴姿の魔法少女。 もう一人は、顔を深いフードで覆い隠し、古めかしく分厚い魔導書を手にした魔導師風の魔法少女。
葵が目を見開いて、震える指を差しながら叫んだ。
「ああ!! 私たちを隣の地区で足止めしてきたノーマッドたち……!!」
救援を妨害していた別動隊。彼女たちは撤退したと見せかけて、仲間を回収するために、この戦場に戻ってきたのだ。
「……キリカは?」
弓を構えた女が、一切の感情を排した鋼のような声で尋ねる。 フードの女が、無惨な姿で倒れているキリカの首筋に指先を当て、短く無機質に答えた。
「生きてる。……酷い顔だけど」
「じゃあ、行きましょう。長居は無用よ」
「りょ」
フードの魔法少女が、手にした魔導書を無造作にパラリと開いた。 すると、彼女たちの足元の空間に、見たこともない複雑な幾何学模様の魔法陣が浮かび上がり、大気がガラスのように歪み始める。
「さようなら、魔法科のワンちゃんたち」
シュンッ。
世界から消えるように、三人の姿は掻き消えた。 残されたのは、地面に刺さった無数の矢だけ。
「て、転移の魔法……!? 嘘でしょ……本当にあるんだ。」
葵が膝をつき、素っ頓狂な声を上げて絶句した。伝説の術式、それを平然と使いこなす「敵組織」の圧倒的な底力。
しかし、その場に立ち尽くす才牙の感想は、もっと単純で、もっと生活感に溢れたものだった。
(……魔法ってマジですげえな!! って、感心して見送ってる場合じゃなかったわ。まんまと逃げられちまった)
あんな便利な魔法があるなら、朝寝坊して遅刻しそうな時に使えるな……。などと、全く場違いなことを考えつつ、サイカはひとまず「悔しがる健気な魔法少女」の素振りを見せて、三人が消えた空間を静かに見つめた。
「……逃げちゃったね。」
「う、ううん……。それより、さいかちゃんが無事で本当によかったぁ……っ!!」
再び葵がへたり込みながら、サイカの小さな体に全力で抱きついてきた。
新たな敵組織の不気味な影。辰宮才牙の「平穏な学園生活」への道のりは、今回の出来事を機に、さらに遠のいていくのであった。
場所は変わって――ある雑居ビルの地下。そこには魔法科のデータベーズを模した、非公式の拠点が存在していた。 薄暗い照明だけが冷たく灯る執務室には、重苦しい空気が沈殿している。
豪奢な黒檀のデスクの奥、――この組織の長であり、少女たちから「閣下」あるいは「ボス」と呼ばれる男が、手元の報告書をデスクに放り投げた。
「……失敗、か」
感情の起伏が一切削ぎ落とされた、低く乾いた声。 その前に深々と膝を突き、跪いているのは、先ほど戦場から離脱した袴姿の弓矢の魔法少女だ。彼女は屈辱に唇を噛み締め、石像のように首を垂れている。
「申し訳ありません。……万全の包囲網を敷いたつもりでしたが、あのキリカが、正面からの力戦で敗れるとは予想だにしませんでした」
「キリカの容態は」
「肉体的な損傷は、帰還後すぐに高位の治癒魔法で塞ぎました。……ですが」
弓矢の魔法少女は、言い淀むように言葉を濁した。その脳裏には、先ほど見た仲間の姿が焼き付いている。
「精神的なショックが甚大です。不遜な態度は完全に消え失せ、今は自室の隅で、何かに怯えるように震え続けています。……戦意の再起には、相当な時間を要するかと」
あの、殺人を娯楽と嘯いていた戦闘狂が、完全に心を折られている。それは、彼女を倒した「サイカ」が、単に肉体を破壊しただけでなく、絶望と恐怖を、その魂の深淵にまで刻み込んだことを意味していた。
ボスは革張りの椅子に深く身を沈め、指先で規則正しくデスクを叩いた。
「……サイカの能力を、侮っていたな。A級殺しは伊達ではないということか」
「いかがいたします? 直ちに第二陣を送り込みますか?」
部下の冷徹な問いに、男はゆっくりと首を横に振った。
「いや、今は静観だ。手負いの獣が最も凶暴なように、今の日本支部を刺激するのは下策だろう。平和ボケした魔法科の『犬』どもも、流石に今は警戒を最大級に強めているはずだ」
ボスは壁一面のモニターに映し出された、魔法科日本支部の内部構造図を見上げた。管理局のセキュリティを嘲笑うかのように、そこには非常口の配置から職員の巡回ルートに至るまで、詳細なデータが表示されている。
「なぁに、焦る必要はない。奴らの動向は、この手の中に全て収まっている」
日本支部の中枢に深く深く根を張らせた「裏切り者」。 その協力者が存在する限り、このゲームの主導権は常にこちらにある。銀髪の幼女がどこに隠れようと、誰と接触しようと、その一挙手一投足は全て、このデスクの上で踊るチェスの駒に過ぎない。全てはこちらの手のひらの上だ。
「機が熟すのを待て。……全ては、我らの理想と祖国の為に」
「……ハッ! 全ては我らの祖国の為に!」
弓矢の魔法少女が敬礼し、闇の中へと消えていく。 残されたボスは、モニターの中の「サイカ」を見つめ、静かに、蛇のように冷ややかな笑みを浮かべた。




