第38話 危機一髪
「ナイスショット❤️ほーら、そっちに行ったよー!」
「キリカ」と名乗ったゴスロリ少女は、その可憐な外見からは想像もつかない剛腕で、巨大な鎌の腹を振り抜いた。ゴルフボールのように強打されたのは、傷ついたB級アンヴァーだ。数トンの質量を持つ巨大なヤドカリが、生きた砲弾と化して、逃げ遅れた人々が震えているオフィスビルのエントランスへと一直線に飛んでいく。
「てめえ!!! させねえよッ!!」
刹那は即座に左腕を突き出し、銀色の鎖を射出した。空中でアンヴァーの胴体を絡め取り、自らの腕を軸にして強引にその軌道を逸らす。凄まじい遠心力が刹那の細い腕に食い込むが、彼女は奥歯を噛み締めて耐え抜いた。だが、その一瞬の「隙」を、キリカが見逃すはずもなかった。
「ぐっ……!!」
アンヴァーを捕縛し、民間人への直撃を回避した際に生じた、コンマ数秒の硬直。そこを狙い澄ましたキリカの鎌の切っ先が、刹那の脇腹を浅く切り裂いた。
それを皮切りとした戦いは、一言で言えば「蹂躙」だった。 ただし、刹那が純粋な力負けをしているわけではない。あまりにも「守るべきもの」が多すぎたのだ。 暴走するアンヴァーが人々を襲うのを防ぎつつ、背後から迫るキリカの致死性の斬撃に対処する。まだ一人も死人が出ていないのが不思議なほどの、薄氷を踏むような防衛戦だった。
刹那は肺を焼くような荒い息を吐きながら、心の中で自分を必死に奮い立たせる。
(くそみてえな戦い方しやがって! ――大丈夫だ。警報からこれだけ時間が経ってんだ。俺がここで耐えてさえいれば、隣の地区の魔法少女から援軍が来るはずだ!)
しかし、その唯一の希望的観測を、キリカは歌うような声で残酷に打ち砕いた。
「そーそー。残念だけど、援軍はこないよー? 期待しても無駄無駄❤️」
「あ? 何を言ってやがる……」
「私の仲間たちが、隣の地区の魔法少女たちも襲ってるはずだから。今ごろ、あっちもこっちもドンパチやってて、ここのことなんて誰も助けに来られないんじゃないかなぁ?」
「な!? てめぇら!?」
組織的な同時多発テロ。最初からこの第七地区を孤立させ、「サイカ」を誘い出すための完全な「罠」として設計されていたのだ。
「最初は暇つぶしになるかと思ったけど、そろそろお相手するのも飽きてきちゃった。……ねえ、これで終わりにしちゃうね❤️」
キリカが愛おしげに大鎌の刃に口づけをすると、その姿が不自然にブレた。 一人、二人、三人――。 霧の中から現れるように、全く同じ姿、同じ魔力を持ったキリカが、三人に増殖する。
「分身……? 幻術魔法かッ!?」
刹那は出血で霞み始めた視界を、気合で無理やりクリアにし、警戒を最大級に引き上げた。質量を持った実体のある分身か、それともただの視覚的な幻影か。判断を一つ誤れば、即座に死へと直結する。
「「「どれでしょーか?❤️」」」
三人のキリカが声を揃えて、無邪気に、そして邪悪に笑う。 そして、そのうちの一人が、刹那を完全に無視して、壁際で震える逃げ遅れた親子に向かって巨大な鎌を振り上げた。
「キャアアアアア!!」 「しまっ――!!」
思考する暇などなかった。たとえそれが明らかな罠だと分かっていても。たとえ目の前のキリカが偽物である可能性が高くても。 「民間人が今、目の前で殺されるかもしれない」という状況で、足を止めるという選択肢は、魔法少女・刹那の選択肢には存在しない。
刹那は反射的に飛び出し、親子の前に盾となるように自らの体を割り込ませた。
「オラァッ!!」
渾身の力で鉄球を振るう。だが、手応えはない。鉄球はキリカの体を虚しくすり抜けた。
(幻影かッ!?)
心臓が凍りつく。ならば牙を研いでいる「本物」はどこだ?
答えは、完全に無防備となった背後にあった。
「……あは❤️」
ザシュッ!!
「う、ぐっ……」
嫌な音が響いた。 巨大な鎌の刃が、刹那の背中を、左肩から腰にかけて深々と切り裂いた音だ。 鮮烈な紅い飛沫が夕闇に舞い、セーラー服が無残に赤く染まっていく。
膝から崩れ落ちそうになる体を、無理やり支えた。だが、その瞳は激痛に歪み、溢れ出る鮮血がアスファルトを黒く濡らしていく。
「あーあ、あんな雑魚を守って死ぬなんて、正規の魔法少女って本当に効率悪いよね。ねえ、今どんな気分? 無駄に死ぬ感想は?」
キリカは血濡れた鎌を肩に担ぎ、勝ち誇った笑みで、瀕死の獲物を見下ろしていた。
「はい、まずは一人目」
キリカの無邪気な、まるで花を摘むかのような宣告と共に、死を告げる大鎌の刃が空を断った。出血と疲労で、刹那の四肢は鉛のように重い。
回避は、もう間に合わない。
(悪い、皆んな……。――悪い、才牙)
刹那は自身の死を冷徹に悟った、そして最後に脳裏をよぎった相棒の顔に、心の中で詫びながら、静かに瞼を閉じた。
せめて、あの不器用な少年がこの狂気から遠くへ逃げ延びていることを祈って。
ガギィィィィィンッ!!
骨が断たれる音の代わりに響いたのは、硬質でありながらどこか柔らかな、不思議な反響音だった。
……痛みがない。 刹那が恐る恐る目を開けると、そこには彼女を中心に展開された、薄い虹色の光を放つシャボン玉のような球体が、死神の凶刃を完全に遮断し、弾き返していた。
「あーあ、弾かれちゃった。……やーっときた、待ってたよー、サイカちゃん❤️」
キリカが狂喜に瞳を濡らし、鎌を引き戻す。
「サイカ!? どこだ……どこにいる!?」
刹那が激痛を堪えて周囲を見回す。すると、いつの間にか彼女の背後に、足音も気配も一切させず、音もなく降り立っている影があった。
「……大丈夫? お姉ちゃん」
「ッ!? い、いつの間に……!?」
退廃的で神聖な衣装。光を受けて淡く輝く銀髪たなびかせ、スカイブルーの瞳に、瞳孔は異世界の力を証明するかのように五芒星――サイカは、驚愕に目を見開く刹那の背中の深い裂傷に、そっと、躊躇いもなく小さな手を当てた。
「じっとしてて。すぐ終わるから」
淡く、透き通った光が小さな掌から溢れ出す。すると、あれほどドクドクと溢れ出ていた鮮血が、ピタリと止まった。
「なっ……!? 治癒魔法だと……??」
刹那が絶句する。治癒魔法は、数多の魔法少女の中でも極めて稀少な適性を持つ者にしか使えない、天賦の才が要求される高等魔法だ。
「すっごーい! そんなこともできるんだ。…ますます欲しくなっちゃった❤️」
キリカも感心したように、血に濡れた鎌を弄びながら口笛を吹く。
だが、当の才牙の内心は冷や汗ものだった。
(……実際は、バリアを『塗り薬状』に薄く練り上げて、傷口に無理やり張り付けただけだけどな。止血はできるが、傷自体が治ったわけじゃねえ。……今はこれで我慢しろよ、刹那)
いわば、魔法的アロンアルファで傷を強制封鎖しただけだ。才牙は努めて冷静な、「幼女の声」で問いかける。
「立てる?」
「あ、ああ……。何とか、な」
「刹那は、あのアンヴァーをお願い。……あそこにいる人たちを守って」
さいかは、顎でまだ執拗に民間人を狙っているB級アンヴァーをしゃくった。
「……てめーはどうするつもりだ?」
「あの魔法少女を倒す」
その迷いのない言葉に、、刹那は我に返ったように叫んだ。
「駄目だ! ガキ、お前は対人戦の経験なんてねーだろ! ?あいつはアンヴァーよりタチが悪い、遊び半分で魔法少女を狩るイカレた殺し屋だ!」
A級を倒した力があるとはいえ、相手は思考を放棄した怪物ではない。狡猾な罠を使い、明確な殺意を持って襲いかかる「人間」だ。清らかな心を持つ(と刹那が信じて疑わない)この幼い子供に、そんな汚れ仕事をやらせるわけにはいかない。
刹那は震手を伸ばし、さいかの肩を掴んで引き戻そうとした。
「下がってろ! 俺が――」
だが。 振り返ったさいかの瞳と視線がぶつかった瞬間、刹那の叫びは氷のように喉の奥で凍りついた。
その瞳には、恐怖も、正義感さえも映っていなかった。 あるのは、底なしの静寂と、獲物を品定めするような絶対零度の冷徹さ。
それは、愛らしいスカイブルーの瞳ではない。 数多の修羅場を潜り抜け、暴力の極致に慣れ親しんだ者だけが宿す、「捕食者」の眼光だった。
「……あ、お前……」
刹那の手が、無意識に止まる。 可愛らしい唇が動き、かわいらしい幼女の声で、しかしその中身には「最強の番長」の魂が宿った言葉が紡がれた。
「……あれは、俺の獲物だ。」
その瞬間、刹那は理解させられた。、慈愛に満ちた「か弱い天使」などではない。 もっと恐ろしく、もっと根源的な暴力を司る、「規格外の怪物」なのだと。




