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第36話 恋煩いとお弁当

今日も今日とて、俺と佐藤優依は肩を並べて登校した。 校門をくぐり、昇降口で靴を履き替え、教室の前で「またお昼に」と(周囲にはデートの約束にしか聞こえない)業務連絡を交わす。 もはや、この一連の流れはクラス公認の「朝の儀式」となりつつあった。

教室。 その一番後ろの窓際の席で、優依は分厚いハードカバーの本を開いていた。 タイトルは『現代魔法理論の応用と実践』……当然、カモフラージュ用の難解な純文学である(中身は漫画)。

普段なら、人を寄せ付けない冷たいオーラを放っている彼女だが、今日は違った。 本に視線を落としながら、その唇の端が、微かに、本当に微かにだが上を向いているのだ。時折、ふふっ、と花が綻ぶような柔らかな気配さえ漂わせている。


(よしよし、今日も順調だな。昨日の『機密』も守れてるし、相棒(才牙)との連携もバッチリだ。これなら数日中にクソガキ(サイカ)の尻尾を掴めるはずだぜ……!)


彼女の内心は、そんな狩人の算段でウキウキしているだけなのだが、事情を知らないクラスメイトのフィルターを通すと、それは全く別の映像に変換される。


「おい見ろよ……佐藤さん、また笑ってるぞ」 「あの『深窓の令嬢』が……」 「やっぱり、才牙くんとの恋が順調なんだな」 「愛の力ってすげー……」


クラス中が、「恋によって氷解した美少女」という尊い物語を勝手に幻視し、生暖かい眼差しを彼女に向けていた。


一方。 そんな「幸せオーラ」の発生源とされている男――辰宮才牙は、自分の席で机に突っ伏すでもなく、虚空を一点に見つめてボーッとしていた。

その瞳には光がない。 魂が抜けたように、口を半開きにして、ただ一点を凝視している。

クラスメイトの目には、その姿はこう映っていた。


「見ろよ、才牙のあの目」 「上の空って感じだな」 「あの番長が、恋煩い(こいわずらい)かよ……」 「青春だなぁ」


だが。 才牙の脳内を占めていたのは、優依のことでも、恋のことでもない。 ただひたすらに、数字の羅列だった。


(30万……。300,000ポイント……。缶ジュース換算で2300本……。週刊少年ジャンプなら1000冊……。最新ゲーム機なら5台……)


昨夜発覚した、「莫大な資産があるのに1円も使えない」という事実。 そのショックが、一晩経っても全く抜けきっていなかった。


午前の授業が終わり、昼休みのチャイムが鳴り響いても、俺、辰宮才牙の魂は電子の海を漂っていた。 頭の中をぐるぐると回るのは、【300,000 Pt】という虚しい数字だけ。


(30万……。あの金があれば、購買のパンを店ごと買い占められるのに……)


俺が虚空を見つめ、口からエクトプラズムを吐き出しそうになっていると、視界の端に誰かが立った。


「才牙くん、お昼だよ? ……おーい…」

「あー……」


俺は生返事をした。意識が遠い。今の俺は、ただの「金を持ってるだけの貧乏人」だ。

すると、不意に視界が暗くなった。 優依が、俺の顔の目の前まで身を乗り出していたのだ。 クラスメイトが「きゃあ!」と息を呑む気配がする。だが、俺の耳に届いたのは、甘い愛の囁きではなく、鼓膜を震わす怒声(小声)だった。


「(なにぼっとしてんだ! さっさと屋上いくぞ! 腹減ってんだよこっちは!)」

「…っ! あ、悪い。……行くか」


俺はハッと現実に引き戻された。

危ない、危ない。この飢えた猛獣に噛み殺されるところだった。俺が慌てて立ち上がると、優依は何かを包んだ風呂敷包みを、俺の胸に押し付けてきた。


「あと、これ、才牙くんに」

「あ?」


ずっしりとした、確かな重量感。 風呂敷の結び目を解かなくてもわかる。それは、二段重ねのお弁当箱だった。

優依は、頬をわずかに赤らめ、しかし慈愛に満ちた聖母の微笑みを浮かべて言った。


「パンばっかだと成長できないよ? 栄養バランス、大事にしないと」

「え?え?……な、なんで?」


俺が突然の事に混乱していると、優生は再びスッと顔を近づけてきた。 吐息がかかるほどの距離。 教室中の時が止まり、全員が「わぁ!」と色めき立つ。

だが、彼女の口から紡がれたのは、脅迫だった。


「(俺の手作りだぞ。残したら殺す。)」

「(……はい)」


俺は引きつった笑顔で頷くしかなかった。

昨日の「母ちゃんに頼めないから、パン生活だ」という話を気にしてくれたのだろうか。いい奴なのだ。中身がスケバンじゃなければ。

手作り弁当。それは男にとって最高のプレゼントのはずだが、『騙している』という罪悪感から素直に喜べない。


「(ほら、屋上いくぞ)」

「(おう)」


俺たちはそのまま、静まり返った教室を後にして屋上へと向かった。

背後で、クラスメイト達が「手作り弁当……」「才牙があんなデレデレな顔(引きつってるだけ)するなんて……」と、誤解を宇宙の果てまで加速させていることを、俺は背中でひしひしと感じていた。


――屋上へと移動して、俺、辰宮才牙は、渡された弁当箱の中身彩り豊かな卵焼きと唐揚げを口に運び、咀嚼した。


「う、美味い……」


思わず声が漏れた。 お世辞抜きで、レベルが高い。卵焼きは絶妙な甘じょっぱさで、唐揚げは冷めても衣がサクサクしている。 コンビニや購買の濃い味付けに慣れきった俺の舌に、家庭の味が染み渡っていくようだ。

俺の反応を見た優依――刹那は、ニッと白い歯を見せて、今日一番の笑顔を浮かべた。


「へへ、だろー? 料理は俺の趣味だからな!」

「趣味……意外だな(失礼)でも良いのか?食材費とか」

「うるせえ。ま、俺たち魔法少女は公務員だからな、国から結構な給料も出るんだよ、食材費くらいは余裕ってわけだ」


彼女は自分の分の弁当をつつきながら、ぶっきらぼうに続けた。


「これは探索に付き合って貰ってる礼だよ。昨日のジュースだけじゃ、流石にわりいしな! 俺は借りを作るのが嫌いなんだ」

「……」


その言葉が、俺の胸に重く突き刺さる。 彼女は、サイカを探すために、貴重な時間と金と、手料理の手間まで割いてくれている。 だが、その探している相手は、今目の前でその弁当を食っている男だ。 俺は彼女に、盛大に無駄骨を折らせている。


(……気まずすぎる)


美味しいはずの唐揚げが、急に喉に詰まるような感覚に襲われた。 このまま黙って厚意を受け取り続けるのは、人として――いや、男としてどうなんだ?

俺は箸を止め、少し俯き加減で言った。


「あー、でも……流石に悪いというか……」

「あん?」

「ここまでして貰う義理はねえし……」


俺が言い募ろうとすると、刹那の箸がピタリと止まった。 彼女の声から、陽気な響きが消える。


「……なんだよ」


何時もの、鋭い視線とは違う瞳が俺を射抜く。


「本当は、口に合わなかったか?」

「!!」


彼女の瞳に、僅かな不機嫌さと、それを隠すような不安が混じる。

自分の趣味(料理)を否定されたと思ったのか、それとも「不味いのに無理して食ってたのか」と疑っているのか。

俺は慌てて首を振った。


「いや、美味い! まじで! 毎日食いたいくらいだ!」

「……」

「味付けも最高だし、この卵焼きとか店が出せるレベルだぞ。本当だ」


俺が必死に弁解すると、刹那の表情がパァッと明るくなった。


「じゃあいいだろ! 受け取ってけ!」


彼女は照れ隠しのように、俺の背中をバシッと叩いた。


「食える時に食っとけ! ほら、残さず食えよ!」

「お、おう……サンキューな」


俺は再び箸を動かし始めた。 罪悪感は消えない。

だが、今は彼女の厚意に従って、この美味すぎる弁当を完食することが、俺にできるせめてもの誠意だった。


(……にしても、スケバンで料理上手とか、属性盛りすぎだろこいつ)


俺は心の中で毒づきながら、卵焼きをもう一つ口に運んだ。

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― 新着の感想 ―
毎日食いたいくらいだ! それ、もう告白だよね…
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