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第32話 親父と母ちゃん

昼休みの屋上。 そこには、クラスメイトが見たら卒倒するであろう光景が広がっていた。


「かーっ! うめー!」


深窓の令嬢・佐藤優依――その中身である魔法少女・刹那は、コンクリートの上にスカートの捲れも気にせず豪快に胡座あぐらをかいていた。膝に乗せた弁当箱から、大ぶりの唐揚げをガツガツと口に放り込み、咀嚼する。


「教室で猫被って、チマチマ行儀良く食う飯はちっとも上手くねーんだよ! ここは静かで最高だな! 誰の目も気にせず、好きなもんを好きなように食える!」


箸の使い方も荒っぽい。彼女にとって、この屋上だけが唯一の仮面を脱ぎ捨てられる息抜きの場なのだろう。

俺、辰宮才牙はフェンスに背を預け、購買の激戦区で手に入れたパサパサの焼きそばパンをボソボソと貪りながら、適当に相槌を打った。


「そらよかったなー」


優依は口の端についた米粒を舌でペロリと掬い取ると、俺の手元の安上がりな昼飯を見て、勝ち誇ったようにニヤリと笑った。


「何だよお前、パンかよ? 弁当作って貰えねーのか?(笑)」

「……かーちゃんも仕事で忙しいからな。朝から弁当の準備までさせるのは悪いだろ。これで十分だよ」


俺が淡々と、どこか遠くを見るように答えると、優依は意地悪そうにさらに突っ込んでくる。


「ふーん。じゃあ、おめえとおめえの父親は、男二人寂しく購買パンってわけだ」


その言葉に、俺はパンを咀嚼する動きを止めずに、窓の外の空を見上げて答えた。


「あー……親父はいねぇから」

「……あ?」

「昔、アンヴァー災害があった時に、逃げ遅れたガキを庇って死んだらしい。……馬鹿な父親だよ」


俺の声は、凪いだ海のように平坦だった。 悲劇でも、恨み言でもない。それは俺の中でとうに消化しきった、古い事実だ。

だが、勢いよく動いていた優依の箸が、ぴたりと止まった。彼女は、自分が不用意に「地雷」を踏み抜いたことに気づき、気まずそうに、しかし真剣な、一点を見つめるような声で尋ねてきた。


「…………親父さんのこと、嫌いなのか?」

「まさか」


俺は即答した。嫌いなわけがない。 俺はパンの最後の一口を飲み込み、喉を鳴らしてその理由を語る。


「体が勝手に動いちまったんだろ。誰かを助ける時ってのは、理屈じゃねからな。……仕方のねえことだよ」


あの日、路地裏で優依を助けた時のように。 親父もまた、脳が状況を判断するよりも先に、その肢体が動いてしまったのだろう。その無鉄砲で不器用な血は、間違いなく今の俺にも流れている。

だが、俺は親父と同じ結末を迎えるつもりはない。


「ただ、そんな時のために、普段から守り切れるだけの力を鍛えてねーから、馬鹿なんだよ」


助けようとして、自分が死んでちゃ世話がない。 守るなら、守り切って、自分も生き残る。そのための「強さ」だ。俺が体を死に物狂いで鍛え、時には喧嘩に明け暮れて、最強を目指したのは、親父のような「立派な犬死に」をしたくなかったからだ。


俺の言葉を受け、優依はしばらくの間、箸を止めたまま俺のことを真っ直ぐに見つめていた。その瞳には、さっきまでの嘲笑は微塵もなかった。 やがて、彼女は弁当の隅に残っていた卵焼きを口に放り込み、空を仰いで静かに呟いた。


「…………ふーん。……そっか」


俺の親父の話を聞いた優依は、それ以上、聞いてくることはなかった。 屋上には、冬の乾いた風の音だけが響く、少しだけ気まずい沈黙が流れた。

俺としては、自分の中でとっくに整理のついた過去の話を口にしたに過ぎない。だが、彼女のような「正義」や「任務」を背負って生きている根が真面目な奴には、少し重かったかもしれない。

俺がそんなことを考えながら、空になったパンの袋を丸めていた、その時。


「……ほら、食えよ」


不意に、優依が自分の弁当箱と割り箸をぐいっと俺の胸元の方へ突き出してきた。 割り箸の先には、丁寧に切り込みの入れられた、真っ赤なタコさんウインナーが一つ、頼りなげに摘まれている。


「あ?」

「パサパサのパン一個じゃ、どう考えたって足りねーだろ。テメーみたいな、無駄に図体だけデカい育ち盛りの男子高校生はよ」


彼女は照れ隠しなのか、少しぶっきらぼうに言った。


「……さんきゅーな。いただくわ」


俺は遠慮なく、そのウインナーを口に放り込んだ。 冷めているが、家庭的な味がした。


「かーちゃん忙しいからな」と俺は言ったが、それは単なるパート仕事の話ではない。 俺の母親――辰宮龍華たつみや・りゅうか。 この第七地区におけるアンヴァー防衛対策工事、そのすべての現場を取り仕切る実質的な「現場の女帝」だ。

彼女がヘルメットを被って現場に立ち、采配を振るわなければ、この街の防衛ライン構築は半年以上遅れると言われている。

以前、地元の組長が俺に頭を下げに来たことがあったが、あれも俺の腕っぷしにビビったというより、「龍華さんの息子に手を出して怒らせたら、この地区で二度と土建の仕事ができなくなる」という、極めて現実的な死活問題への恐怖からだったらしい。

さらに、かつて当選確実と言われた二世議員候補がテレビに出ていた際、彼女が「なんかこいつ、面構えが気に入らないね」と現場で独り言を漏らしただけで、なぜかその翌日から支持率が急落し、最終的に落選したという噂まである。(その数ヶ月後、実際にその候補者が大規模な汚職に関わっていたことが発覚し、彼女の『人を見る目』の恐ろしさが裏付けられた形になったが)。

そんな文字通りの「女傑」に対し、早起きして弁当を作ってくれなんて、口が裂けても言えるはずがない。 親父が命を懸けて直接的に人を守ったように、お袋もまた、土と鉄と辣腕を振るってこの街を守り続けているのだ。


(ま、そのせいで息子は万年、購買の菓子パン生活なわけだがな……)


俺がウインナーを咀嚼し、その家庭的な味を噛み締めていると、優依がふと、何かに耐えるような低い声でポツリと言った。


「……オメーの親父さんは、立派だったかもしれねーけどよ」


彼女は空になった弁当箱をカチリと音を立てて閉じ、真っ直ぐに、射抜くような視線で俺の目を見た。


「オメーは死ぬなよ。……俺の相棒きょうりょくしゃがくたばっちまったら、俺が寝覚め悪いからな」


その瞳は、分厚い眼鏡の奥で、一切の冗談を排した真剣な光を宿していた。

魔法少女。それは、華やかな看板の裏で、常にアンヴァーという絶望と隣り合わせに生き、時には仲間や一般人の死を間近で見てこなければならない過酷な宿命だ。

死線を何度も潜り抜けてきた彼女だからこそ、その言葉には、ただの強がりではない重い実感が籠もっていた。

「誰かを助けて死ぬ」ことを美学とせず、「死なないために強くなる」と言い切った俺への、彼女なりの最大限の肯定だったのかもしれない。

俺は飲み込んだウインナーの余韻を楽しみながら、不敵にニヤリと笑って答えた。


「当たり前だ。俺は、あの親父より強いんだからな」

「はん! 減らず口叩く元気がありゃ、まだ当分は死にゃあしねーな」


刹那は鼻を鳴らし、ようやくいつもの不遜な笑みを口元に戻した。


その時、校舎から午後の授業を告げる予鈴のチャイムが鳴り響いた。その音を合図に、優依はスッと立ち上がり、パンパンとスカートに付いた埃を払う。一瞬にして、伏し目がちな「深窓の令嬢・佐藤優依」へと、鮮やかにその身を転じさせた。


「……じゃ、先に戻ってるから。またね、才牙くん」

「ああ」


小さく手を振り、お淑やかな足取りで屋上の重い扉の向こうへ消えていく彼女の背中を、俺はしばらく見送っていた。

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