第31話 番長のスキャンダル
翌朝。俺、辰宮才牙は最悪の寝起きと共に登校していた。 昨日は肉体的にも精神的にも消耗しすぎた。眠い目をこすりながら、重い足取りで校門をくぐる。
「(……眠い。)」
重い足取りで校門をくぐる。 周囲の生徒たちは、俺の姿を認めるなり、「ひっ、才牙だ……」「目ぇ合わせんなよ」と、モーゼが海を割るかのように左右へ道を開けていく。いつもの孤独な光景だ。誰も寄せ付けない「絶対不可侵領域」こそが、俺の平穏な学校生活の最後の砦――はずだった。
「おはよう、才牙くん」
その静寂を破り、鈴を転がすような声が降ってきた。
「!? お、おう」
俺は心臓が口から飛び出しそうになりながら、ぎこちなく振り返った。 そこには、朝日を浴びて黒髪をキラキラと輝かせ、いかにも「清楚な転校生」という風情で佇む佐藤優依(刹那)がいた。
彼女はニコリともせず、しかし有無を言わせぬ圧力で、俺の顔を覗き込んだ。
「お、は、よ、う」
一文字ずつ、まるで呪いの言葉のように強調された挨拶。
「……お、おはよう」
俺がオウム返しに挨拶すると、彼女は満足げに頷いた。 そして、すれ違いざまに、周囲には聞こえないごく小声で毒づいた。
「(小声)……おい。挨拶は人間関係の基本だろ? これだから底辺ヤンキーは常識がねーって言われんだよ。シャキッとしやがれ」
「(……お前が言うな)」
俺は心の中でマッハのツッコミを入れた。中身が本職のスケバンで、つい昨日まで「クソがぁ!」と吠えていた奴に、常識の講釈を垂れられたくはない。
優生は、周囲の生徒が遠巻きに見ているのをいいことに、さらに小声で話しかけてくる。
「にしても、お前なんか見つけやすかったな。人混みが勝手に避けてくから、遠くからでも一発だわ」
「(ほっとけ)」
「……おっ!」
不意に、優依の視線が俺のスクールバッグに固定された。 そこには、昨日の雑貨店で(気まずさを誤魔化すために)買い、なんとなく惰性でつけてしまった「ブサカワ犬のぬいぐるみキーホルダー」がぶら下がっていた。
優生の目が、眼鏡の奥でキラリと光る。
「犬のキーホルダー、ちゃんと付けてるな。よしよし、感心な心がけだ」
彼女は自分のカバンについている「お揃い」のキーホルダーを、チラリと見せつけてニヤリと笑った。
「へへっ。俺一人だけ付けてんのも、なんか恥ずいからな! 共犯だな、才牙!」
「……そっすねー(棒)」
俺は死んだ魚のような目で答えた。 共犯も何も、俺はただ「捨てたら後で殺されそうだから」付けていただけだ。
だが、俺たちの秘密の会話など知る由もない周囲の生徒たちの目には、この光景はまったく別の「真実」として映し出されていた。
「おい見ろよ……才牙の鞄……」 「あれ、佐藤さんのと同じじゃね?」 「嘘だろ……お揃い……?」 「やっぱり昨日の『一緒に帰りましょう』はマジだったのか……!?」
ざわめきが波紋のように広がっていく。 「最恐の番長」と「窓際の令嬢」が、「お揃いのファンシーなぬいぐるみ」を付けて登校。 この事実は、学校中を駆け巡るビッグニュースとして確定した瞬間だった。
ガララッ。
俺が教室の引き戸を開けた瞬間だった。 それまで朝のホームルーム前の喧騒に包まれていた教室の空気が、まるで録音テープを一時停止したかのように、プツリと途絶えた。
視線。 数十対の視線が、入り口に立つ俺たち二人に突き刺さる。 それは、いつもの、俺を避けるための「恐怖」の視線ではない。 「もっと生々しく、粘り気のある「驚愕」「困惑」、そして下世話な「好奇心」が混濁した視線だった。
原因は明白だ。この地区の最恐不良・辰宮才牙と、最近転校してきたばかりの深窓の令嬢・佐藤優依が、示し合わせたように肩を並べて登校してきたこと。そして、二人の鞄の同じ位置に、あの「ブサカワ犬のぬいぐるみキーホルダー」が揃って揺れていること。
この異様な、爆発寸前の空気を、優依(刹那)は全く意に介さなかった。 彼女は俺の方を向くと、いつものお淑やかな「令嬢ボイス」で、口元には「令嬢スマイル」を浮かべて、とんでもないことを言い放った。
「また、お昼に」
たった一言。 だが、その言葉は教室中に響き渡り、クラスメイト全員の脳内で「ランチデートの約束」として変換された。
優生はそれだけ言うと、優雅に歩を進め、一番後ろの窓際の席へと座る。 そして、何事もなかったかのように分厚い文庫本を開き、静かに読書の世界へと没入し始めた。
「……」
残された俺に、クラス全員の視線が集中砲火のように降り注ぐ。 否定すべきか? いや、ここで慌てて否定すれば逆に怪しい。俺は引きつりそうになる頬を必死に抑え、喉の奥から声を絞り出した。
「お、おう」
短く答えるのが精一杯だった。 俺は逃げるように自分の席へと向かい、カバンを机に叩きつけるようにしてドカッと椅子に座り込む。
(あー……めんどくさいことになった……。昨日の今日で、これかよ……)
教室は静かだった。誰一人として声を発しない。 だが、誰もが教科書やスマホを見るふりをしながら、俺と、窓際の彼女(と、お揃いのブサカワ犬のぬいぐるみキーホルダー)を交互に、舐めるように凝視しているのが痛いほど伝わってくる。




