第30話 デート
「ここだ」
刹那が、もはや一点の曇りもない確信に満ちた顔で足を止めたのは、駅前のショッピングモール内にあるファンシー雑貨店『メルヘン・パレット』の前だった。
視界に入るのは、暴力的なまでのパステルピンクと水色のグラデーション。店内からは甘ったるいピーチの香りが漂い、客層はどこをどう見渡しても女子小中学生とその親御さん、あるいはカップルのみ。
俺、辰宮才牙(身長180cm超えの強面男子高校生)にとっては、敵のアジトに単身乗り込むよりもハードルが高い、まさに「男立ち入り禁止区域」だ。
「……お、おい、マジで入るのか? 俺、このツラだぞ。通報されるか、SNSで晒されるのが関の山だ」
「はん! 任務に恥じらいなんざ必要ねーんだよ。行くぞ」
俺の必死の抵抗も虚しく、刹那はズカズカと店内へ。俺も慌てて後を追うしかなかった。
店内に入った瞬間、四方八方から突き刺さる「えっ、なにあの人……」「なんか、すごい場違いなのが来た……」という無言の視線。俺は背中を丸め、できるだけ気配を消そうと努める。
すると、刹那が不意に振り返り、口だけを動かして小声で指示を飛ばしてきた。
「おい。それっぽいガキが居たら教えろ。効率化のために手分けして探すぞ」
「え、え?? ……う、嘘だろ?お前、俺を一人にする気か?」
俺は耳を疑った。この完全アウェー、魔境とも呼べる空間で、唯一の味方(というか連れ)であるお前と離れる? それは俺に「不審者として捕まれ」と宣告しているのと同じだ。
しかし、刹那は聞く耳を持たない。
「つべこべ言うな! 効率重視だ。オメーはあっちの文具コーナーを見てこい。俺はぬいぐるみコーナーを重点的に洗う」
言うが早いか、彼女はさっさと人混みの中に消えてしまった。
「(マジかよ……。居るわけねーのに……俺がここに居るんだからよ……)」
俺は絶望的な気分で、ペンケースの海に一人取り残された。周りは「キャー可愛いー!」「このペン、推しの色だー!」と盛り上がる女子たちばかり。その中心で、眉間に深いシワを寄せた大男が、フリル付きのノートやキラキラしたラメ入りのペンポーチを、虚無の目で見つめる。
(……死にたい)
これなら、A級アンヴァーと殴り合っている方が百倍マシだ。 俺は、誰もいない空間に向かって「さいかー、出てこーい」と心の中で棒読みしつつ、ただただ時間が過ぎるのを待った。
十数分後。精神的なHPがゼロ、いやマイナスに突入した俺は、もう限界だと判断した。
「(ぐぬぅ……もういいだろ。合流してさっさとこのピンクの地獄から脱出するぞ)」
文具コーナーから離脱し、刹那が向かったぬいぐるみコーナーへと足を向ける。あいつのことだ、きっと棚の裏側に幼女が隠れていないか、あるいはぬいぐるみの山の中に「さいか」が紛れ込んでいないか、鋭い眼光で検閲しているに違いない。
「おーい、刹……」
声をかけようとして、俺は言葉を飲み込んだ。
棚の陰。そこに、刹那はいた。 しかし、俺の予想とは全く違う姿で。
「……んふっ」
彼女は、誰も見ていない(と思っている)のをいいことに、棚に吊るされたブサ可愛いい犬のぬいぐるみキーホルダーを手に取り、目をキラキラと輝かせていた。
さっきまでの鋭い眼光はどこへやら。 頬を緩ませ、口元をニヤけさせ、あろうことかそのぬいぐるみの肉球部分を、指先でプニプニと突っついている。
「これ、めっちゃいい……。このふてぶてしい顔、マジでツボだわ……。買っちゃおうかな……。いや、でも俺がこんなの持ってるのバレたらキャラじゃねーしな……。でも可愛い……」
真剣な捜索など、そこには微塵もなかった。 ターゲットである「サイカ」のことなど脳内から綺麗さっぱり消え失せ、彼女はファンシーな犬の虜になっていたのだ。
俺は柱の陰からその様子を見つめ、深く、深く脱力した。
「(何やってんだ、あいつ……)」
あまりにも平和で、あまりにも残念な素顔。俺は声をかけるタイミングを完全に失った。
――あいつの「乙女な瞬間」ニヤける姿を見てしまった俺は、ここで声をかけるのはあまりに野暮だと判断した。それに、もし今声をかけて「見てたな?」と勘ぐられれば、口封じに俺の命が危ない。
俺は気配を消し、忍び足でその場を離れると、地獄の文具コーナーへと舞い戻った。 周りは「この交換日記、鍵付きだ!」「超ウケるー!」とキャッキャとはしゃぐ女子小学生たち。その中心で、眉間に深いシワを刻んだ強面の男子高校生が、パステルカラーの消しゴムをあたかも「爆弾の装置」でも解体するかのような真剣な目付きで凝視して時間を潰す。これぞまさしく*公開処刑(羞恥プレイ)*だ。
十数分後。俺の精神力が完全に摩耗しきり、魂が口から半分はみ出した頃、ようやく「我を取り戻した」らしい刹那が、何食わぬ顔でこっちへ歩いてきた。俺は努めて平静を装い、死んだ魚のような目で声をかける。
「……こっちにはいねー。そっちは?」
俺の問いに、刹那は一瞬、泳ぐように視線を左右に彷徨わせてから答えた。
「い、いやー……まだ、その、奥の方とか探しきれてなくてなー。いやー、意外とひれーからなー、ここ(棒読み)」
「…………そうかよ」
嘘をつけ。 お前は棚の一角で、犬のぬいぐるみに熱視線を送っていただけだろうが。「広いから」なんて言い訳が通用する広さじゃないぞ、この店。レジ前のあのお姉さん、もう三回くらいこっちを見て不審がってるぞ。
だが、俺は追求しなかった。 ここで「犬見てただろ」と言うのは簡単だが、それは彼女の(今のところ守られている)プライドを粉々に粉砕することになる。 俺はため息を一つつき、言った。
「じゃあ、俺もそっち(ぬいぐるみ側)を一通り見てから出るわ。見落としがあるかもしれねーしな」
「あ、ああ! そうだな! 頼むわ、相棒!」
刹那はあからさまにホッとした表情を見せた。俺は彼女がさっきまでいた棚へ向かい、目的の「ブツ」を素早く手に取ると、そのままレジへと直行した。店員のお姉さんが「プレゼント用ですか?」と微笑んできたが、「袋はいらねえ」とだけ低く告げて、逃げるように会計を済ませた。
店を出て、夕暮れの喧騒に紛れる二人。結局、当然ながらターゲットである「サイカ」が見つかるはずもなく、捜索一軒目は成果ゼロだ。
優依は大きく伸びをしながら、悪びれもせずに言う。
「いねーか。まあ、一軒目だしな。奴もそう簡単には尻尾を出さねえか」
「……ほらよ」
俺はポケットから、包装もされていない、むき出しの「それ」を取り出し、無造作に彼女へ放り投げた。
「っと!?」
優依は反射的に、魔法少女特有の優れた反射神経でそれを受け止める。彼女の手の中に収まったのは、さっきまで彼女が熱心に、さっきまで彼女が熱心に見つめていた、ブサ可愛い犬のぬいぐるみキーホルダーだった。
彼女の目が点になる。
「な、なんだよこれ!!」
顔を一瞬でリンゴのように真っ赤にして叫ぶ刹那に、俺はポケットに手を突っ込んだまま、そっぽを向いて不器用な言い訳を並べた。
「俺みたいな目立つ奴が、あんだけ店に長居して、何も買わねえ訳にはいかねーだろ。店員の視線が痛かったんだよ。」
「は、はぁ? だからって何でこれを……っ」
「俺が、……犬好きだからこれにしたんだよ。たまたま目についたんだ。……わりいか?」
苦しい。我ながら苦しすぎる言い訳だ。 強面のヤンキーが「犬好きだからファンシーショップでキーホルダーを買った」なんて、無理がありすぎる。
だが、刹那はその矛盾を突くことはしなかった。 彼女は手の中のぶさカワな犬と、そっぽを向いている俺を交互に見て、その表情を緩ませた。 「スケバン」でも「深窓の令嬢」でもない、年相応の少女の顔で、ボソリと呟く。
「い、いや……ありがと……」
そして、大事そうにそのキーホルダーをスクールバッグの金具に取り付け始めた。その手つきが、少しだけ嬉しそうなのを見て、俺は「余計な真似をして死ぬほど恥をかいた」という後悔を少しだけ撤回した。
……まあ、あれだけ探し回った(フリをした)駄賃くらいにはなるだろう。
「次行くぞ、次!」
刹那は照れ隠しのように声を張り上げ、小走りに歩き出す。俺は揺れる犬のキーホルダーを見ながら、やれやれとその後を追った。
雑貨店を後にした俺たちが次に雪崩れ込んだのは、近くのペットショップだった。「ガキは動物が好きに決まってる」という、もっともらしい――それでいて自分自身の欲望が透けて見える理由だった。
案の定、ガラスケースにへばりついて「うわー、この猫の目つきヤベェ、かわゆ…。」と呟いていたのは、間違いなく九条刹那本人だった。
目尻を下げている彼女を、半分は呆れ、半分は「これで時間が潰れるならいいか」という諦めの混じった生暖かい目で見守るしかなかった。
その後も、「頭を使ってカロリーを消費したから糖分補給だ」という、これまた捜索とは一切関係のない理由で駅前のクレープ屋に寄り、二人並んでベンチで生クリームたっぷりのクレープを齧る。 夕暮れの街角、制服姿の男女が肩を並べて甘いものを食べている。その光景は、どこからどう見ても、放課後を謳歌する高校生カップル以外の何物でもなかった。
そして、空が完全に群青色に染まる頃。 すっかり満足した様子の刹那は、カバンの犬キーホルダーを揺らしながら、満面の笑みで振り返った。
「じゃーなー、才牙! また明日なー!!」
彼女はブンブンと、ちぎれんばかりに大きく手を振り、駅の改札へと消えていった。 俺はその背中が見えなくなるまで見送り、大きく息を吐き出した。
「はー……やっと解放された」
どっと疲れが出た。 正体がバレないように気を張りつつ、彼女の機嫌(と暴走)をコントロールする。A級アンヴァーとの戦闘とは別ベクトルの重労働だった。
俺が凝り固まった肩を回していると、背後の街灯の影から、ぬるりと「あいつ」が姿を現した。
「……デートやん」
「は? ちげえよ」
俺は即答した。これは任務だ。捜索協力という名の強制労働だ。あるいは、自分の正体を隠し通すための高度な情報戦だ。断じてデートなどという、青春の甘酸っぱい響きが含まれるものではない。
だが、チーポは二重に重ねたサングラスをゆっくりと外し、俺の顔をジッと見つめて、感情の欠片もない声で繰り返した。
「デートやん」
「だから……捜索だって言ってんだろ。あいつに振り回されてただけだ」
「デートやん」
「お前な、しつこいぞ……」
俺は反論しようとして、しかし、続く言葉を失った。
街灯に照らされたチーポの顔。そのつぶらな瞳からは、ドクドクと真っ赤な血の涙がとめどなく溢れ出していた。 表情は完璧なまでに無表情。微動だにしないその無機質な顔から、漆黒の夜を染めるような、深い嫉妬と怨嗟に満ちた血涙が流れている。
あまりにもホラーで、あまりにも悲壮すぎる。狂気の光景だった。
「デートやん」
「……」
俺は、これ以上何かを言うのをやめた。 今のこいつには、何を言っても無駄だ。というか、その哀れすぎる姿を見ていると、怒りよりも情けなさと憐憫が込み上げてくる。
(……可哀想に。頭がイカれちまったか)
なおも無言で血の涙を流し続けるキノコを、そっと放置することに決めた。
「帰るぞ、チーポ」
「デートやん……デートやん……デートやん……」
夜の静寂に、壊れたレコードのように繰り返される妖精の呪詛が、虚しく、そしておぞましく響き渡っていた。俺は、家路を急いだ。




