第103話 黒い影と番長
巨大なマジカル・ショップの一角。
眩い魔法灯に照らされた棚の前で、シャルロットは誇らしげに胸を張り、自分の公式グッズを『さいか』に見せつけていた。
「ふふん、さいか、見なさい! 私のグッズはこんなにあるのよ! フランス本国では売り切れ続出、入荷待ちが当たり前なんですの!」
「わー、すごーい! シャルちゃんのぬいぐるみ、ふわふわだね! 本人よりかわいい!」
「ふふん、そうでしょ? デザインも監修も私の一級品……って、え? あなた、今なんて言ったかしら!?」
「あ! シャルちゃん、あっちの棚にもシャルちゃんのグッズあるよー! いこー!」
「ちょっと、勝手に行かないの! 全く、落ち着きのない子ですわね……待ちなさい!」
自身の可愛さを暗に否定された(?)ことに気づかないまま、シャルロットは弾むように走っていく『さいか』の後を、文句を垂れつつも必死に追いかけていく。その様子は、周りで同じようにはしゃいでいる一般人そのものだった。
一方、書籍コーナーの奥。
先ほどまで穏やかに交流していたはずの風香とコレットの間には、いつの間にか一触即発の火花が散っていた。
「ななな、何をおっしゃいますか! 『深海の稚魚』の良さが、あのベルルリン先生の叙情的な表現がわからないなんて……コレットさん、どうかしてますぅ!!」
「……ふん。あの作者は短絡的な人気要素を煮詰めて、読者の安易な感情を逆なでしているだけじゃないか。芸術としての深みに欠ける。語るに値しないね」
「むきーっ! その分かりやすさが良いんですぅ! 流行を柔軟に取り入れるのは迎合じゃなくて、読者への愛なんですぅ!!」
「……いいや。それは作家の魂を売り渡している、単なる『商売』だよ」
眼鏡の奥を冷徹に光らせ、淡々と論破を試みるコレット。対する風香は顔を真っ赤にし、握りしめた文庫本を震わせながら必死に反論する。
読書という静かな趣味は、時に「解釈違い」という名の苛烈な宗教戦争を引き起こすのだ。
賑やかな仲間たちの背中を遠くに見守りながら、最後尾を歩くエリーズが、ふと細めていた目を薄く開けて刹那に問いかけた。
「楽しそうですなぁ……。……それはそうと、刹那はん」
「……んだよ」
「……どこまで、『ほんまのこと』なん?」
その問いに、刹那は歩みを止めなかった。
エリーズの言わんとすることは明白だ。日本支部が提出した、あの『さいか』というとんでもない戦績。A級アンヴァーを、あんな小さな幼女が一人で屠ったという、「お伽話」の真偽。
「全部だ」
「…………はぁ。まあ、うちらに本当のことを話してくれるとは思うてへんけど。……アレを見て、『全部本当』は流石に無理があると思いますえ?」
エリーズは、きゃっきゃとはしゃぎながら、シャルロットの手を引いて店中を振り回している『さいか』の背中を指した。どこからどう見ても、世界を救う英雄というよりは、キラキラしたものに目が無い普通の幼女にしか見えない。
「日本支部がどのような思惑なんかは、うちが口出すことやないけど……。過剰な期待は、その期待された本人をいつか潰してしまうかもしれへんよ?」
それは、同じく「期待という名の重圧」を背負わされてきたシャルロットを間近で見てきた、エリーズなりの、切実な忠告だった。
「…………はん!」
刹那は、ふてぶてしく鼻を鳴らして笑った。
「それなら安心しな。うちの相棒が、その程度で潰れるたまじゃねーよ」
「…………!」
エリーズは、驚いたように目を大きく見開いた。
刹那の言葉に、迷いは一切なかった。それは単なる身内への贔屓ではなく、積み上げてきた、揺るぎない「事実」への信頼。
「……へぇ。それは良いことを聞きましたなぁ。……これは、うちらが思っとることが根本から間違ってるかもしれへんね」
エリーズは再び目を細め、底知れない微笑を浮かべて楽しそうに笑った。
巨大な商業施設のスピーカーから、華やかなファンファーレと共に高らかなアナウンスが流れ出した。
「館内の皆様にご連絡いたします。只今から30分後に、中央イベントエリアにて魔法少女ショーを開催いたします! 最新の立体投影技術を駆使した、お子様から大人の方まで楽しめる迫力の内容となっております。ご興味のある方は、ぜひお越しくださいませ!」
その瞬間、『さいか』の瞳がこれ以上ないほどキラキラと輝き出した。
「シャルちゃん! イベントショーだって! いっしょに見にいこう!」
「……はあ? 魔法少女ショーですって? 私たち本物の魔法少女が、そんな子供騙しの作り物を見たって仕方ないじゃない……。時間の無駄ですわ」
シャルロットはあからさまに肩をすくめて否定してみせたが、『さいか』は全く引かなかった。その小さな手でシャルロットの魔法衣の裾をぎゅっと掴み、必死に上目遣いで訴えかける。
「いきたい! いきたい! いっしょに見たいのー!!」
「も、もう! わかりましたわよ、行けばいいんでしょ! 全く、仕方のない子ですわね!」
「やったー!」
根負けして折れたシャルロットに、『さいか』は「やったー!」と飛び跳ねて大喜び。シャルロットは後方にいる刹那とエリーズへ、やれやれといった様子で断りを入れる。
「……というわけですわ。私たちはあちらのショーを見てきますので、失礼いたしますわ」
「ふふ、そういうことなら、うちらはあそこのカフェでお茶でもしとるから、楽しんできぃな?」
「けけけ! 本物の魔法少女が、偽物の魔法少女の劇を見に行くのかよ。傑作だな! お前ら、自分が舞台に上がった方が早いんじゃねーか?」
腹を抱えて笑う刹那を、シャルロットは「むーっ」と頬を膨らませて不快げに睨む。すると、隣にいた『さいか』が、シャルロットの耳元で――けれど周囲に丸聞こえの音量で――そっとアドバイスを授けた。
「シャルちゃん、きにしなくていいよ! せつなは、すきな子にイジワルしちゃうタイプだから!」
「……なっ!? お、おいガキンチョ!」
「……まあ。案外、お子様ですわね」
クスッと余裕の笑みを浮かべたシャルロットに「お子様」呼ばわりされ、刹那は言葉を詰まらせたまま、ショックで石のように固まってしまった。
(……お、お子様……。このガキに……俺が、お子様……!?)
そんな刹那を放置して、イベントエリアに到着した二人は、ショー開始のかなり前から最前列を陣取った。手にはちゃっかりと売店で買ったばかりのキャラメルポップコーンと大きなジュースを抱えている。
「ふふん、どうせ見るなら特等席ですわ。このシャルロットが隣にいるのですから、感謝して目に焼き付けなさい、さいか」
「うん! たのしみだね! はい、シャルちゃん、あーん!」
周囲は親子連れで賑わい、開演を待つワクワクした空気に包まれている。しかし、開始まであと10分というところで、『さいか』が急にもぞもぞと落ち着かなくなり始めた。
「……どうかなさいました? そんなに動いていたらポップコーンがこぼれますわよ」
「……シャルちゃん、あのね。……おといれ」
『さいか』の切実な告白に、シャルロットは呆れたように大きな溜息を吐いた。
「もう! 始まる直前になって。……まだ少し時間がありますから急いで行ってきなさい。エリアを出てすぐの角に、さっき案内板がありましたわ。私は席取りで残りますから。迷子にならないように気をつけるのですよ?」
「はーい! すぐ戻ってくるね!」
『さいか』はパタパタと短い足で、エリアの外へと駆けていった。
一人残されたシャルロットは、「全く、世話の焼ける子ですわ……」と独り言をこぼしながら、主のいなくなった隣の席を守るようにして、少しだけ期待に満ちた目でステージを見つめていた。
真っ白なタイル張りの洗面所で、小さなしっかりとした足取りを響かせながら、『さいか』は備え付けの踏み台に乗って手を洗っていた。鏡に映る自分の幼い姿を見つめ、濡れた手をパタパタと振って水気を飛ばす。
満足げに頷いてトイレから出ると、そこには見知った顔が待ち構えていた。
「さいかさん、お待ちしておりました」
「ん? あっ! ミネルヴァお姉ちゃん!」
そこに立っていたのは、事務総長の懐刀――ミネルヴァだった。彼女はいつもの完璧な礼儀正しさと、微塵の隙もない微笑を浮かべている。その姿は、まるで迷子の子供を優しく迎えに来た親切な職員そのものだった。
「……刹那様から、急ぎの伝言を預かっております。『急遽、予定が変わって移動することになった。自分たちは先に行くから、さいかを連れてきて欲しい』……と」
「えっ、せつなたちが?」
「はい。緊急の用件とのことで、詳細は私も把握しておりませんが……。私が責任を持って皆様の元へお送りいたします。一緒についてきていただけますか?」
その言葉はあまりにも自然で、それでいて否定する余地を与えないほど丁寧だった。
ミネルヴァの瞳の奥には、事務総長の命を完遂せんとする冷徹な意思が宿っている。だが、そんな大人の事情など、この幼い少女に読み取れるはずもなかった。
「ん? んー……わかった! せつなたちのところ、いく!」
『さいか』は疑うことも知らない無邪気な様子で、ミネルヴァが差し出した白く細い手を取った。
二人はそのまま、家族連れや観光客で賑わうショップの雑踏の中へと消えていく。ミネルヴァは周囲の視線を魔法的に逸らす隠蔽技術を使い、まるでそこには最初から誰もいなかったかのように、最短ルートで専用のリムジンが待つ関係者専用出口へと向かった。
――意識が浮上した瞬間、喉の奥に残るわずかな苦味と、手首と首元に感じる冷たく重い感触に『さいか』は顔を顰めた。
視界が開けると、そこは先ほどまでの賑やかな街中ではない。無機質な白磁の壁が延々と続く、窓一つない長いトンネルのような通路。
『さいか』は移動用の椅子に深く座らされ、その細い手首は拘束されて、首元には『アンチマジックカフス』――魔法少女の魔力を強制的に阻害する特殊な拘束具――が嵌められ、体は固定されていた。
ミネルヴァに連れられショッピングモールを出て、車の中で出された「甘いココア」を飲んでからの記憶がない。
「……ミネルヴァ。子供が起きたようだぞ」
背後から車椅子を押す人物の声に、『さいか』は混乱する頭で首をゆっくりと動かした。そこにいたのは、スペイン代表、ソル・アルバレス・ソラスだった。
「そう。アンチマジックカフスは正常に作動しているわよね?」
「ああ。だが、こんな子供に必要とも思えないがな。抵抗する術などないだろう」
「……これでも魔法少女よ。万が一にも肉体強化を使われたら、私たち一般人はどうしようもないわ。それに、あの『空間遮断』を使われたら、文字通りなす術がなくなる。用心に越したことはないわ」
「ふん。そのための私(護衛)だろう? まあ、仕事(依頼)だからやるが……。後味のいい任務ではないな。さっさと終わらせたいものだ」
「同感ね」
『さいか』をまるで「運び込まれる機密物資」のように扱う二人の会話。
その冷ややかな空気感に、幼い瞳にわずかな不安の色を浮かべて、『さいか』は震える声で尋ねた。
「……ここ、どこ? せつなは? ふうかは? ……シャルちゃんは、どこ……?」
ミネルヴァは歩みを止めず、慈しむような、けれどどこか空虚な笑みを浮かべて振り返った。
「……騙してしまってごめんなさいね、さいかさん。貴方はこれから、少しだけ特別な”お茶会”をするの。大丈夫よ。素直に従ってくれれば、すぐに終わるわ。お友達のところへも、すぐに帰れるから」
その優しい声とは裏腹に、ミネルヴァの瞳には一片の揺らぎもなかった。
無機質な、窓一つないトンネルのような隔離エリア。
『さいか』は移動用の椅子に拘束されたまま、必死に体を揺らし、自由にならない手首をガタガタと鳴らして暴れていた。
「やだ! かえるー! せつな! ふうか! みやびー!! たすけてぇ!!」
幼い悲鳴が静寂の通路に空虚に響き渡る。だが、その切実な叫びに応える者はどこにもいない。
背後に立つソルは、その光景を興味なさげに冷ややかな目で見下ろし、ミネルヴァは溜息混じりに、諭すような、けれど残酷な言葉を吐き捨てた。
「無駄よ、さいかさん。どんなに助けを呼んでも、ここは誰も来ないわ。……安心なさい。お話が終わって貴方を返すときには、今日の記憶は綺麗に消してあげる。……まあ、あなたに言っても理解できないでしょうけれど」
「くるもん! せつなは絶対、助けに来てくれるもん!! うっ、うわぁぁぁん!!」
火がついたように泣き叫び、大粒の涙をこぼす『さいか』。
だが、ミネルヴァの表情はぴくりとも動かない。冷徹な事務官としての仮面が、幼女の絶望を淡々と受け流す。
「来ないわ。断言してもいい。……ここはカメラもセンサーも、魔導的な追跡すら届かない完全な隔離エリア。存在すら、総本部でも限られた人間しか知らないのよ。だから、無駄な抵抗はやめて、諦めなさい」
その言葉が、静寂に近い通路に落ちた、その瞬間だった。
激しく泣き喚いていた『さいか』の動きが、ピタリと止まった。
俯き、肩を震わせる。
ミネルヴァが、ようやく諦めたかと安堵の息を漏らそうとした時。
「……ほーん。じゃあ、ここにはお前ら二人だけで、他には人は来ないって事だな?」
おもむろに、そしてしっかりとした声が、幼女の唇から滑り落ちた。
「ええ、だからそう言って……え?」
ミネルヴァが耳を疑った。
聞こえてきたのは、先ほどまでの幼い泣き声ではない。
低く、重く、地を這うような――「男」の響きを帯びた、極めて冷徹な声。
突如、その場に異様なプレッシャーが吹き荒れた。
ミネルヴァとソルの肌が、目に見えない無数の針で刺されたようにチリチリと逆立つ。本能が、最大級の警鐘を鳴らし始めていた。
「いきなり意識が浮上したから何事かと思えば……攫われてんのかよ。……ったく、手間かけさせやがって」
先ほどまで泣き喚いていた少女とは思えないほど冷静で、それでいて愉悦を隠しきれない声色。
「まあ良い。……折角、久しぶりに表に出てこれたんだ。少し俺の相手をしてくれよ」
ガチン、と手首の拘束具が不気味な音を立てて軋んだ。
物理的にはまだ壊れていない。だが、放たれる圧倒的な圧だけで、拘束具が耐えきれずに悲鳴を上げているようだった。
「……な、何なの……急に……!? 貴女、一体……!」
ミネルヴァが戦慄に顔を歪め、数歩後ずさる。護衛のソルも反射的に武器へと手を伸ばすが、訓練され尽くしたはずのその指先は、見たこともないほど小刻みに震えていた。
目の前にいるのは、間違いなく「あの幼女」の肉体だ。
だが、中身が全くの別人と入れ替わったかのような、暴力そのものが受肉したかのような圧倒的な気配。
「いいか? 最初に喧嘩を売ったのはそっちだ。……俺は、売られた喧嘩は必ず買う主義なんだ」
顔を上げた「さいか」。
その幼い顔立ちには、無垢な少女とは程遠い、凶悪な『番長』の笑顔が深く張り付いていた。
「……今更、拒否権は無しだぜ?」
静寂だった通路が、一瞬にして捕食者と獲物の檻へと変貌した。




