第102話 異国のお友達(四日目)
WMO総本部、滞在四日目の朝。
豪華なスイートルームに差し込む柔らかな朝日は、異国の緊張感を微かに和らげるように、日本支部の三人を照らしていた。
相変わらず風香の部屋の大きなベッドで「川の字」になって眠った三人。
修羅場を潜り抜けてきた習慣が染み付いている刹那は、アラームが鳴るよりも早く、一番にパチリと目を覚ました。
まずは洗面所へ向かい、歯磨きと冷水での洗顔、そして手早くシャワーを浴びる。鏡の前で寝癖を直し、身だしなみを整えて思考が完全にクリアになったところで、彼女はベッド脇のサイドテーブルに置いたスマートフォンを手に取った。
通知画面には、昨日、自分が浮かれ気分で送った「総本部の最高級焼肉自慢メール」への返信が届いている。
送り主は、日本で留守番をしている(はずの)才牙からだ。
「……けっ。あいつも、案外早く返してくるじゃねーか」
少しだけ口角を上げた刹那が、期待混じりにメールを開く。
件名: 飯テロしてくんじゃねえ
本文:
お返しだ。こっちは最高級国産肉のステーキ三枚だ。
(添付写真:明らかに「U.S. BEEF」のラベルが見切れている、特売シールの貼られたアメリカ産リブロースの塊肉)
「……ぷっ。けけけ! 何が『国産』だよ。思いっきりアメリカ産って書いてあるじゃねーか。相変わらず詰めが甘ぇんだよ、あいつは」
実際には、本体(才牙)に成り代わり、守銭奴の糞キノコ(チーポ)が必死に、才牙が送りそうな内容を打ち込んで送っているメールなのだが、そんな事情を知る由もない刹那は、小気味よい音を立てて返信を打ち込んだ。
『それ、思いっきりアメリカ産だろ。ラベル見えてんぞ、ばーか(笑)』
送信ボタンを押し、満足げに鼻を鳴らす。
日本にいる悪友との、いつもと変わらない馬鹿げたやり取り。それが、総本部の重圧で張り詰めていた彼女の心を、わずかに解き放ってくれた。
「よし。……さて、こいつらも起こしてやるか」
時刻はもうすぐ朝食の時間だ。
刹那はベッドへと歩み寄り、まずは案の定、ミノムシのように毛布をぐるぐる巻きにして固まっている風香の枕元に立った。
バサァッ!!
「ふぎゃっ!?」
刹那は一切の容赦なく、風香が生命線としていた毛布を力任せに剥ぎ取った。
「いきなり酷いですぅ! 風邪引きますぅ! 露出狂になりますぅ!!」
「パジャマ着てんだろ、大げさなんだよ! ほら、さっさと顔洗ってこい!」
涙目で震える風香を尻目に、刹那は次に、その隣で天使のような寝顔でスヤスヤと眠る『さいか』の元へ。
風香への暴力的な起こし方とは打って変わり、今度は膝をついて、その銀髪をそっと優しく撫でた。
「おらガキンチョ、朝だぞ。……ほら、起きろ。朝飯に遅れたら食えなくなるぞ」
「んー……。……おあよ、せつな。……おなかすいた」
目をこすりながら起き上がる『さいか』。その無防備な姿に、刹那は「しょうがねえな」と苦笑いする。
日本支部滞在、四日目。
昨日までの、地獄のスケジュールを乗り越えた彼女たちは、今日こそは解放された「自由な一日」を満喫できるのだと、疑いもなく信じていた。
WMO総本部が位置するこの都市は、今日も魔法的な清律に満ちた空気に包まれていた。
一行は雅の案内で、地元でも評判のテラス付きベーカリーへと向かった。
テーブルに並べられたのは、焼きたての白パンに、薄くスライスされた香り高い生ハム。そして数種類の濃厚なチーズ。さらにメインディッシュとして、表面をカリカリに焼き上げたスイスの伝統的なジャガイモ料理、『レシュティ』が芳醇なバターの香りを漂わせている。
「おー! これ、ジャガイモ? カリカリしてておいしー!!」
「口の周りにバターついてんぞ。……ま、確かにな。日本のポテトとはまた違った旨さだ」
刹那が自分の分のレシュティを半分『さいか』の皿に分けてやりながら、器用にナイフを動かす。
風香も、ようやく緊張から解放されてお腹が空いてきたようで、生ハムを白パンに乗せて幸せそうに頬張っていた。
「……ふぅ。……さて、皆はん。今日一日の予定を確認しておきまひょうか」
雅が、少しだけ重い溜息を吐きながらコーヒーを一口啜った。その瞳の下には、昨夜の遅くまで続いた「報告書作成(および各所への言い訳)」による微かなクマが浮かんでいる。
「今日は、待ちに待った【自由行動】の日や。……うちは、一昨日と昨日のとんでもない証言と検証結果について、日本支部の上層部……柊はんとリモートで本格的な打ち合わせがあるさかい、付き添えへん。……みなさんは、好きに観光してきなはれ」
「打ち合わせって、ああ。……やっぱり、このガキンチョのしでかした件っすか」
「……そうやね。……『A級アンヴァー全力(出力5)3基分を無傷で耐えた』なんて、どない説明しても『そんなアホな』って言われるに決まってますわぁ……」
憔悴した顔で頭を振る雅。
そんな、自分のせいで日本支部のパワーバランスが崩壊しかけていることなど露知らず、『さいか』はフォークを置いてニコニコと雅を見上げた。
「みやび、おしごとたいへんだねー!」
「……。……誰のせいでこんなに胃を痛めてると思ってるんや、この子はー!」
雅は「このーっ!」と、『さいか』の柔らかい頬を両手でぷにぷにと引っ張った。
「ふえぇ、あうあう……!」
「あわわ、さいか様、お顔がお餅みたいに伸びてますぅ……」
そんな賑やかなやり取りを見守りながら、刹那はふと、事務総長の冷徹な瞳を思い出し、わずかに眉を寄せた。
(……ま、雅さんもついてねえし、今日は一日、ガキンチョの護衛に徹するか。……幸い、撮影も検証もノルマは全部終わったんだ。……これ以上、変な奴に絡まれることもねーだろ)
「ほな、三人の分のゲストパスと、総本部の特別通貨カード(プリペイド)や。……羽目を外しすぎたらあかんで?」
「へいへい……ほら、行くぞガキンチョ。……風香、お前も。今日は好きなだけ服でもなんでも見て回れ」
「は、はいぃっ! 楽しみですぅ!」
朝食を終え、黄金色のレシュティで腹を満たし、雅から渡されたプリペイドカードを手に、一行はテラス席を後にした。
街へと繰り出した一行は、案内役のヴァニラと共に、総本部の美しい街並みを眺めながら歩いていると、聞き覚えのある「京都弁に似た、独特の訛り」が背後から響いた。
「日本の皆はん、ようやく見つけたわぁ。あれ以来ホテルのビュッフェにこうへんなったから、うち心配しとったんよ?」
振り返れば、そこにはドレス風の魔法衣を優雅に纏ったフランス代表の魔法少女、エリーズが立っていた。
「……あ。あん時の、お喋りな魔法少女じゃねえか。エリーズだっけか。……何の用だよ、俺たちは今から観光なんだ。邪魔すんなら容赦しねえぞ」
刹那が眉間に皺を寄せ、一歩前に出る。スペインでの一件以来、彼女は他国の魔法少女に対して「全員が油断のならない」という認識を強めていた。
「そんな怖い顔せんといてぇな。皆はん、今日は自由行動やろ? うちらも暇しとるさかい、混ぜてもらおうおもうてな」
「……な、なんで私たちの予定を知ってるんですかぁ!? 情報漏洩ですかぁ!?」
風香が情けない声を上げて後ずさる中、エリーズはクスクスと楽しげに笑いながら、自分の背後に控えていた二人の少女を招き寄せた。
「今回はうち一人やないんよ。ほら、お二人さんも挨拶しなはれ」
「……ふん! 誰を探しているかと思えば、噂の日本の魔法少女だったとは。エリーズも何を考えているのかしら」
まず前に出たのは、見事な縦ロールの金髪を誇らしげに揺らし、豪奢な装飾が施された魔法衣に身を包んだ少女。その声からは自信と高慢さが隠しきれず溢れ出している。見たところ、『さいか』よりは年上だが、この場にいる誰よりも幼い――いわゆる「幼女」の範疇に入る少女だった。
「僕としては、総本部の景色をデッサンしたかったんだけどね。……まあ、新しい出会いは新たな閃きをくれるか。コレット・ベルモンだよ。よろしくね、日本支部の魔法少女」
もう一人は、長い前髪で片目を隠し、背中に大きなキャンバスとスケッチ道具を背負った、落ち着いた雰囲気の少女、コレット。眼鏡の奥で光る瞳は、どこか浮世離れした芸術家のそれだった。
「お嬢……シャルロットはんは、さいかはんが登録されるまでは総本部で最年少の魔法少女やったんよ。お互い年齢の近い魔法少女もおらんやろうし、こうして合わせてあげたかったんよ」
「ふん! 魔法少女の実力に年齢なんて関係ないわ! 私はシャルロット・ド・ヴァレンティーナ、やがて魔法少女のトップに君臨する女よ! 精々、仲良くしてあげてもよくってよ!」
腰に手を当て、高笑いしそうな勢いのシャルロット。だが、エリーズが刹那たちの耳元で「……この子、こんな感じやさかい友達もおらんくてなぁ。さいかはんに友達になってくれへんかな、思てたんよ」と小声で暴露すると、シャルロットの顔は瞬時に真っ赤に染まった。
「エ、エリーズ! 余計なお世話なのよ! 誰がこんな、どこの馬の骨とも知れないガキと友達になんか――」
「お友達! シャルロットちゃん、私とお友達になろー!!」
「えっ……ちょ、ちょっと!?」
刹那の制止が間に合うよりも早く、『さいか』が弾かれたように突撃した。
無防備なほどの満面の笑みで、シャルロットの両手をギュギュッと握りしめる。
「さいか、っていうの! シャルロットちゃん、おようふく、ひらひらでとってもかわいいね!」
「なっ、ななな……なによ、急に馴れ馴れしいわね! 離しなさい! 離しなさいってば!」
あまりの勢いに毒気を抜かれたシャルロットは、顔を赤くしたまま、たじたじになって後ずさった。
最強の盾も未来予知も関係ない。ただの「子供」として距離を詰めてくる『さいか』の純粋な猛攻に、プライド高きフランスの小公女は、成す術もなく翻弄されていた。
総本部のメインストリートにそびえ立つ、クリスタルと魔導金属で彩られた巨大な商業施設。そこは世界中の魔法少女グッズや最新の魔導デバイスが一堂に会する、まさに「聖地」とも呼べる場所だった。
「ふふん、ここのお店は私が以前から目をつけていたのよ。世界各国の公式グッズが一同に揃うこのショップに来ないなんて、魔法少女として情弱の極みですわ!」
「わー、すごーい! おっきなお店! シャルちゃん、はやく行こー!!」
「だ、誰が『シャルちゃん』よ! ちょっと、そんなに手を引っ張らないで! 一人で行ったら迷子になりますわよ! ほら、私についてきなさいっ!」
最初は戸惑っていたシャルロットだったが、天真爛漫な『さいか』のペースに巻き込まれるうちに、すっかり「頼りがいのあるお姉さん」という役割に自分をハメ込んでいた。赤くなった顔を隠しながらも、『さいか』の小さな手をしっかりと握りしめるその姿は、どこか微笑ましい。
そんな賑やかな「幼女コンビ」の後ろで、風香とコレットは、周囲の喧騒を忘れたかのように静かな文学談義に花を咲かせていた。
「えぇっ、コレットさんもあの『木漏れ日の日々』を読んでいたんですか? 地味ですけど、心の機微が本当に丁寧に描かれた名作ですよね……!」
「……うん、そうだね。あの作者は知名度こそ低いけれど、風景描写の比喩が独特で。キャンバスに向かう時の色使いの参考にもなるんだ。……日本には、まだこういう隠れた名作が眠っているんだね」
意外な共通点を見出した二人の間には、初めて会ったとは思えない穏やかな空気が流れていた。
だが、最後尾を歩く刹那だけは、相変わらず不機嫌そうに隣のエリーズを横目で睨みつけていた。
「……はぁ。結局、お前の思惑通りに一緒に行動する羽目になっちまったな」
「まあ、ええやないの刹那はん。観光は大勢の方が楽しいやない? ウフフ」
「……んで、本当の目的は何だよ? さっさと吐け。」
刹那の鋭い追求に、エリーズは細めていた目を伏せ、少しだけトーンを落とした。
「……お嬢にお友達を作りたかったっていうのは、ほんまの話やで。――さいかはんが表舞台に出てくる前、お嬢は『最年少の天才』として、本国からとてつもない期待を背負わされておったんよ」
刹那は足を止めず、黙って話の先を促す。
「お嬢はあんな性格やけど、根は真面目や。期待に応えようと、身の丈に合わない危険な任務でも無理して頑張ってな。……うちらからしたら、命が幾つあっても足りへんと思うてたんや」
「……どこも、似たようなもんだな。……大人の勝手な期待ってやつは」
「そうやね。……けど、日本支部からさらに年下のさいかはんが突然現れて、しかもとんでもない功績を上げたやろ? そしたら、本国の連中の興味が移ってな。『うちの魔法少女は何をしてるんだ、期待外れだ』なんて言う心無い連中まで出てきた。……勝手なもんやろ? 勝手に持ち上げて、勝手に落胆して。……まあ、皮肉な話やけど、おかげでお嬢へのプレッシャーが和らいだんは、うちとしては良かったと思てるんやけどな」
エリーズは、遠くのワゴンで『さいか』にせがまれてキーホルダーを品定めしているシャルロットを見つめた。
「それでも、お嬢はやたらとさいかはんをライバル視しとってな。……折角やから、殺気立ったライバルやなくて、同じ悩みを持つ『お友達』になれんかなぁ……と思ったんよ。……まあ、お嬢のあの様子を見る限り、うちの取り越し苦労やったみたいやけど」
エリーズの視線の先では、シャルロットが「仕方ないわね、これ一つだけですわよ!」と口では言いながらも、どこか嬉しそうに『さいか』に、お揃いのキーホルダーを手渡していた。




