第100話 『空間遮断』と『未来予知』(三日目)
騒動を余所に、実験場の一角では、風香による「空域支配」のデータ収集が最終段階を終えていた。
『エアリアル・ドミニオン』と『エアリアル・ドライブ』。その絶大な効果と引き換えに、彼女の魔力残量はほぼ空に等しい。風香は幽霊のような足取りで観測室へと戻り、ふらふらとソファに倒れ込んだ。
「もー無理です、一滴も出ません……。魔力を全部、使い果たしましたぁ……」
「風香はん、ほんまにお疲れさん。……ゆっくり休み。こっちもいよいよ『再開』やわ」
雅が労いの言葉をかけ、冷たい水を手渡す。その視線の先では、増設された3台の巨大な魔導砲が牙を剥き、実験場中央で優雅に揺らめく「虹色の膜」へとその全砲身を向けていた。あとはチャージして放つだけ。だが、前代未聞の「三台同時・最大出力」を前に、研究局長としての慎重さがアナスタシアに最終確認を促した。
「さて、さいか君。あのバリアを展開してから既に一時間が経過しているけれど……。当初と比べて、効果の減衰や、持続時間の限界を感じたりはしているかい?」
これは極めて重要な問いだ。
もしこの結界が、一定量の魔力を肩代わりして磨り減る「耐久値型」であれば、次の衝撃で決壊する恐れがある。あるいは「時間制限」があるのなら、発射の瞬間に解けてしまえば、この地下施設はおろか周辺地区までが灰燼に帰す。
だが、クッキーを咀嚼していた『さいか』は、小首を傾げてにこにこと答えた。
「だいじょうぶだよー。ぜんぜん、へいき!」
「……ふむ。では念のため、一度解除して、再度展開してもらえるかな? 『真新しい状態』のデータと比較したいんだ」
「いいよー!」
パチン、と『さいか』が指を鳴らした。
その瞬間、観測機を包んでいた虹色の膜が、まるでシャボン玉が弾けるように霧散した。
――直後。制御室のモニター群に、一斉にデータが流れ出す。外部との遮断が解け、観測機からの正常な通信が復帰したのだ。しかし、それも束の間。
パチン。
再び『さいか』が指を鳴らすと、瞬時に虹の膜が再展開された。
モニターは再び「観測不能」の静寂へと沈み、全ての走査を弾き返す。
「…………。……再展開も、即座に可能。しかも、ほとんど予備動作すら見られないなんて」
アナスタシアは、流れる数式を凝視したまま戦慄していた。彼女の頭脳は、今やかつてないほどの高速演算を行っていた。
(再展開も即座……。使用する魔力は、観測される波形から見ても微々たるもの。……あり得ない。これほどの出力、通常なら魔法少女一人を廃人にするほどの負荷がかかるはずだ。それが、あんなにケロッとしてお菓子を食べている……!)
彼女の中の「常識」が、音を立てて崩れていく。
だが、それが彼女をさらなる狂気へと突き動かした。
「……面白い。本当に、君は『宝石』だね、さいか君。……よし、全職員に通達!! 収束魔導砲1番から3番、全基同時・最大出力!!」
「り、了解!! 全基、ターゲット・ロック!! 発射までカウント、60秒!!」
実験場内に、キィィィィン……という耳を突き刺すような高周波の充填音が反響する。三つの巨大な光の渦が、小さな、けれど絶対的な「虹色のシャボン玉」を飲み込もうとしていた。
実験場の緊張感は、もはや物理的な質量を持って観測室を押し潰さんとしていた。
アナスタシアの独断により、三台の収束魔導砲が牙を剥く。
職員たち、そして雅や刹那、風香にも急ぎ保護用のゴーグルが配られ、全員が嵐の前の静寂に身を固くした。
そんな中、主役であるはずの『さいか』は、研究員のお姉さんから差し出されたメロンソーダをストローで「ちゅーっ」と音を立てて飲み、弾ける炭酸にご機嫌な様子だった。
「……3、2、1……発射ッ!!」
直後、この世の終わりを告げるような咆哮が響いた。
三方向から放たれた出力「5」の光条が、一点――虹色の薄い膜へと収束する。衝突の瞬間、あまりのエネルギー量に観測室の物理障壁が悲鳴を上げ、鋼鉄の建物全体が激しい地震に見舞われたかのように揺動した。
「きゃぁぁぁっ!?」
「くっ……! まじかよ、これ……ッ!!」
風香の悲鳴と、刹那の怒号。
だが、その混沌とした閃光の渦中を、アナスタシア・ルナだけは瞬き一つせず、食い入るように見つめ続けていた。
やがて、凄まじい衝撃が止み、もうもうと立ち込める煙が浄化システムによって吸い込まれていく。
モニターの輝度が正常に戻り、再び実験場の中央が映し出された瞬間――制御室にいた全員が、言葉を失って絶句した。
「……な……」「嘘、だろ……?」
そこには、一ミリの揺らぎも、一片の亀裂もない虹色の膜が、何事もなかったかのように静かに漂っていた。
「……報告します。……計測データー、影響なし。依然として何の揺らぎもなく、『空間遮断』は展開を維持しています」
「……命中したと思われる瞬間も、観測機側からのデーターに微塵の変化もありません。ロスト状態を継続。……まるで、攻撃そのものが『存在しなかった』かのようです」
オペレーターの震える声が、静まり返った室内に響く。
三台同時、A級三体分に相当する火力を叩き込まれてなお、あの「シャボン玉」は形を変えることさえなかったのだ。
「…………ふう」
アナスタシアは、深く、長く息を吐き出した。その瞳からは先ほどまでの狂気的な熱が引き、代わりに底知れない「畏怖」が宿っていた。
「……つまり、物理的な熱量や衝撃の累積すらも通用しない。……完全に防ぎ切った、というわけだね」
実験場の地下空間に、砂煙と魔力の残香が静かに沈殿していく。
三台同時・最大出力。A級アンヴァー三体分に相当する絶対的な火力を以てしても、観測機を覆う「虹色の膜」は一ミリの揺らぎすら見せず、ただそこに在り続けていた。
アナスタシア・ルナは、おもむろに防護用のゴーグルを外した。
その視線の先にあるのは、世界の理をねじ伏せた絶対の盾。そして、それを展開している張本人――職員のお姉さんから貰ったメロンソーダを「ちゅーっ」と飲み干し、氷をカラカラと鳴らしてご機嫌な顔をしている幼女の姿だった。
「さいか君……。君は、自分がどれほどのものを持っているか、分かっているのかい?」
「ん? ぴかぴか、すごかったねー! おもしろかった!」
「……すごかった、か。……ふふ。あははははッ!!」
アナスタシアは突然、天を仰いで哄笑した。
それは、理解不能な現象を前にして崩れ落ちる弱者の笑いではない。自らの知性の限界を突きつけられ、だからこそ、未知の深淵を覗き込めることに歓喜する「マッドサイエンティスト(求道者)」としての、魂が疼くような笑いだった。
「……雅君。この子の『空間遮断』は、既存の隔絶魔法という枠組みで語るべき代物じゃない。……これは、魔法体系そのものに穿たれた『バグ(欠陥)』だよ。法則の外側にある現象だ」
「……あはは。最高の褒め言葉として、ありがたく受け取っておきますわぁ」
雅が、引き攣った笑みを浮かべて冷や汗を拭う。
「さて……。『空間遮断』の物理的な検証はこれで十分だ。というか、これ以上の火力を出せば、私のラボが物理的に保たないからね」
アナスタシアは白衣の裾を翻し、ふと歩みを止めて雅を鋭く見据えた。
「それと、雅君?」
「は、はい?」
「……『空間遮断』の内部は、あらゆる情報が完全に隔離されている。……だが、君が提出した日本防衛戦のレポートには、『結界の内部と外部で、アンヴァーの状況について連絡を取り合っていた』とあるね。……これは、どういうことか、後でじっくりと教えてもらうからね?」
「はいぃ……」
雅の顔が青ざめる。
(……あかん。『一時的に通信用の穴だけ開けてもらった』なんてアホみたいなこと言って、この人に信じてもらえるやろか……。いや、あの幼女ならやりかねんって、余計に興奮させるんやないか……?)
こうして、総本部が誇る全戦力を投入した驚愕の耐久試験は、前代未聞のノーダメージという結果をもって幕を閉じた。
だが、アナスタシアの追及はそこで終わりではなかった。
彼女は再び『さいか』へと向き直り、眼鏡の奥の瞳をギラリと光らせた。
「さてと。……『最強の盾』の観測はこれで終わりだ。……次は、もう一つの案件。さいか君が持つとされる、もう一つの隔絶魔法……『未来予知』の検証といこうじゃないか」
「「ッ!!」」
その言葉に、刹那と風香の肩がビクッと跳ねる。日本防衛戦において、まるで未来を知っているかのように的確に戦況を操ったあの隔絶魔法。それが解析されるとなれば、いよいよ『さいか』の正体に王手がかかりかねない。
検証会場を無機質なラボから、太陽の光が降り注ぐ屋外の訓練場へと移し、アナスタシアが提示した検証方法は、あまりにも拍子抜けするものだった。
「ふふふ。この、驚異的な硬度を誇りながら、当たっても全く痛くない特殊合成樹脂ボール……名付けて『どっちどっちボール君』で検証しようじゃないか! なに、ルールはいたって簡単。ドッチボールをするだけだよ」
「……はぁ。どっちどっちボール、君……」
その絶妙に脱力感のあるネーミングに、刹那と風香は思わず肩の力を抜いた。
先ほどまでの「収束魔導砲」の緊張感はどこへやら、『さいか』も「わーい! ボールあそびー!」と、完全にピクニック気分ではしゃいでいる。
「魔法による身体強化は一切禁止だ。純粋な『先読み』の力だけを見せてもらおう。……それじゃあ、始めたまえ!」
アナスタシアの号令と共に、職員数名と日本支部の面々による「検証ドッチボール」が開始された。
最初にボールを手にしたのは刹那だ。彼女は「ま、身体強化がなくても、あのアホみたいな回避能力があれば余裕だろ」と確信していた。
「ほらよガキンチョ! 避けてみろ!」
刹那が軽く手首をスナップさせ、ボールを『さいか』へと放る。
速度はそこまでではない。いつもの『さいか』なら、あくびをしながらでも紙一重でかわすか、あるいは軌道を読み切り、相手を煽るような動きを見せるはずだった。
――バフッ。
「あう」
「「「…………は?」」」
静寂が、訓練場を支配した。
『さいか』は避ける素振りも見せず、正面から飛んできたボールをお腹にまともに受け、そのまま尻餅をついたのだ。
「いたい……くない! おねえさん、これすごーい!」
本人はケロッとして「どっちどっちボール君」の性能に感動している。だが、それを見守る大人たちの顔は、文字通り凍りついていた。
「……え、ええええええええええええっ!? さいか様!? なんで当たってるんですかぁ!?」
風香が絶叫し、ボールを投げた刹那は自分の右手を呆然と見つめている。そして、獲物を待っていたアナスタシアは、眼鏡を指でクイッと押し上げ、静かな、けれど底知れないプレッシャーを雅へと向けた。
「……雅君。……今の、何だい? 『未来予知』の欠片も見えなかったけれど?」
「……あ、あははは。いやー、その……ほら、アップですよアップ! まだエンジンが掛かってへんのですよ、きっと……(滝汗)」
雅の扇子を握る手が小刻みに震える。屋外訓練場に流れる空気は、先ほどまでの熱狂的な「出力5」の実験時とは打って変わり、別の意味で凍りつこうとしていた。
アナスタシアは、一歩、また一歩と『さいか』へと歩み寄る。その瞳から学術的な興奮は消え、代わりに底知れない「疑念」と、冷徹な観察者の色が濃くなっていく。
「……反応速度、平均以下。動作の予兆、皆無。……雅君。この子は本当に、あの報告書にある『未来予知』の使い手なのかい? 空間遮断があれほどの代物だっただけに、こちらは期待を裏切られた気分だよ」
「め、滅相もない!! ホンマなんです、ホンマにこの子は避けるんですわぁ!! 刹那、もう一回!! もっと本気で投げなはれ!!」
「お、おう……! わかったよ、次は本気で……おいガキンチョ、次はちゃんと避けろよ!?」
雅の悲痛な叫びを受け、刹那が「どっちどっちボール君」を握りしめる。雅はさらに『さいか』に向かって、必死に(避けて良いんだよ)とサインを送った。
「さいかはん、別に遠慮とかいらんのやからな? ”何時も通り”、その『未来予知』でひょいひょいっと避けてくれてかまわんのやからな!?」
その必死すぎる形相に、『さいか』は「はて?」と首をかしげた。けれど、雅の気合に当てられたのか、無邪気な笑顔で元気よく拳を突き上げる。
「わかったー! がんばるー!!」
そこから、地獄のような「再検査」が始まった。
刹那は殺気こそ込めないものの、正確に『さいか』の体幹を狙ってボールを放つ。だが見上げるほど巨大なA級アンヴァーの猛攻を紙一重でかわし続けた「伝説の動き」は、どこにもなかった。
「あうっ!」
「わぁっ!」
「はうっ!」
「ひゃーっ!」
投げれば当たる。投げれば当たる。
『さいか』は懸命に避けようと体をゆらゆら動かしてはいるのだが、そのすべてがワンテンポ遅い。ボールは面白いように、幼い体のあちこちに吸い込まれていった。
日本支部の面々は、もはや言葉を失い、目を丸くして立ち尽くしている。
「……な、なんで……なんで当たってるんですかぁ……! 嘘ですぅ、私の知ってるさいか様じゃありませんぅ……!」
風香が頭を抱えて膝をつく中、ついに当人の堪忍袋の緒が切れた。
「もー! 刹那! 私ばっかりねらってずるい!! つまんない!! もうやだ!!」
ポイ、と『さいか』は投げられたボールを放り出し、その場にぺたんと座り込んで駄々をこね始めた。彼女にとって、これはもはや「検査」ではなく、ただの「一方的な虐め」にしか感じられなくなっていた。
氷点下まで冷え切ったかと思われたアナスタシアの眼差しに、ふっと知的な光が戻った。彼女は手元の端末を再び開き、あの「三台同時・最大出力」を完全に防ぎ切った『空間遮断』のデータを愛おしそうに見つめる。
「……まあ、期待していた二つの隔絶魔法のうち、一つは期待外れだったとはいえ、もう一つの『空間遮断』に関しては、我々の予想を遥かに超える、とんでもない代物だったのは事実だ」
「き、局長……?」
「『未来予知』に関しても、何か特定の条件……極度の緊張状態や、本人の危機感などがトリガーになっている可能性は否定できない。身体強化を禁じた環境下では発動し得ないのか。……とりあえず、虚偽ではなく『保留(要検証)』としておこうか。なんにせよ、『空間遮断』のあのデータは、これからの魔法科学にとって大きな一歩になる。引き続き、定期的な検査に協力してもらうよ」
「ほ、保留……! あ、ありがとうございます局長! ほんま助かりますぅ……!」
一方、その傍らでは、気まずい空気が流れていた。
「……悪かったって。俺が『避けろ』って言ったのがプレッシャーになったんだろ? ほら、機嫌直せって」
「ぷん! せつな、きらい! いじわる!!」
「いじわるって……お前が避けられると思ったから投げただけじゃねーかよ……」
刹那が必死にご機嫌を取っているが、『さいか』は頬を膨らませ、そっぽを向いてぷりぷり怒っている。その様子はどこからどう見ても、ただの女児の喧嘩そのものだった。
そんな『さいか』の姿を、アナスタシアはどこか楽しげに、それでいて鋭く観察しながら告げる。
「感謝するのは私の方だよ、雅君。あの『絶対の盾』のデータだけでも、今後十年の研究局の全予算と人員を注ぎ込む価値がある。……ただし。次に来る時は、その『予知』のスイッチの入れ方、ちゃんと君たちで解明しておきたまえよ?」
「は、はいぃっ! 肝に銘じておきますぅ!!」
「さて。さいか君があの調子だと、今日の検査はここまでかな。……今後の検査方針やスケジュールがどうなるかは、追って連絡する。今日はゆっくり休むといい」
「よろしゅうお願いします!」
アナスタシアが白衣を翻し、助手たちを連れてラボの奥へと消えていく。その後ろ姿を見送り、日本支部の面々は深いため息を吐きながら、ようやく帰路の準備へと取り掛かった。
「……よし。これで今日の予定は全部終了だ。……おいガキンチョ、もう帰るぞ。ほら、立て。今日の夕飯は、お前の好きなもんにしてやるよ」
「んー! ごはん! おにくー!!」
刹那が手を差し伸べると、先ほどまで「もうやだ! せつなきらい」と駄々をこねていた『さいか』は、魔法のように機嫌を直してパッとその手を取った。
その顔には、世界最高峰の魔導科学に消えない衝撃を与えた自覚など微塵もない。ただの腹ペコ幼女の無邪気な笑顔が咲いている。
「……ほんと、現金な奴だ。……よし、雅さん。今夜は総本部で一番美味い肉、奢ってくださいよね!」
「え、うちの奢りなん!? ……まあ、ええか。今回は風香はんも、さいかはんも、そして刹那も……よう頑張ったわ。よし、パーッと行くでぇ!」
雅もまた、精神的なプレッシャーから解放された反動で大きく背伸びをした。
三日目、夕刻。
午前中のモデル撮影という「羞恥の地獄」と、午後のラボという「科学の深淵」を乗り越えた日本支部の面々は、夕日に染まる総本部の空を見上げながら、ようやく手に入れた平穏な「ディナータイム」へと向かって歩き出したのだった。




