55-23.皇太后
転生したら転生してないの俺だけだった
~レムリア大陸放浪記~
55-23.皇太后
水墨画に描かれるような、大東風の農村風景。
というか、盛り上がった山があり、川が流れ、そして田園が拡がる。
のどかな風景だ。
前世だと信州あたりに多そうな農村風景だ。
「村人はいたのですか?」
「家はありましたが、誰も住んでいませんでした。母は『村人が皆移住した廃村らしい』と言っていました。生活に必要なものは週に一度行商人が荷車で現れて、母が年金として支給された官票で支払い、翌週までに必要な物のリストを行商人に手渡していました」
官票は前世の清朝末期に使われた兌換紙幣の一種で、銀貨に交換できる事が記載された紙票だ。
レムリアでは一般的に紙幣は流通していないが、政府が戦時に発行する国債の証券が、商人間で紙幣的に使われた例はある。
だがあまり信用がなく、金貨の何割引かに換算される。
行商人は母親が持っていた官票で問題なく商品を渡していたので、一種の年金の現物支給をするための手続きだったのだろう。
「なんのどうぶつがひいていたの?」
「驢馬だったなあ」
つまり行商人は、物凄く遠方から来たのではないのだ。
驢馬はそれほどの長距離移動は出来ないから。
浮遊神界の入り口から入ってきたのだろう。
「行商人はどんな人でしたか?」
「それが、全く記憶にないのです。顔なども思い出せず。印象の薄いヘラヘラした感じで」
つまり太公望のよこした式神の様なものなんだろう。
こうして太公望は自分の大切な娘と孫を、絶対に誰にも見つからない場所に隠したのだ。
「今考えてみれば、この様に綺麗に田畑が耕作されているのに、耕している農民を見ることはなく、四季それぞれ移り変わっていく農村風景の中で、朕は子供ゆえ特に不思議に思うことなく暮らしていました」
幻影でそんな風景を描くことはできるが、幼い超春少年は麦の穂を摘んだり、バッタを追いかけたりして少年時代を過ごした記憶があるそうだ。
つまり太公望が式神を使って夜間に耕作・ガーデニングを行なっていたのだろう。
ちなみに今は与謝蕪村が句に詠んだ
「菜の花や 月は東に 日は西に」
そのものの農村風景が広がっていた。
全く人の気配がしない癖に妙に整って崩壊の兆しのない廃村を通り過ぎ、村はずれから山道を数分登ったところに、超春の実家があった。
他の民家が藁葺きなのに対し、小さいが瓦葺きで門もある大東風民家。いわゆる
「都会の権力者が密かに妾を囲う家」
という感じの設えだ。
前世で俺の暮らした名古屋市は戦前は東の境界が今池までで、そこから先は郊外だった。
子供たちは市電に乗って、郊外の東山動物園に遠足に行ったらしい。
その途中に
「覚王山」
と言う停留所があり、名古屋の某豪商の別宅があった。
今はその屋敷や庭園の一部が公開されているが、戦後は名古屋市民のお届けもの包装紙ではダントツのトップ(カトレア)だった、あの百貨店の創始者一族である。
気温は中心部よりは涼しく、覚王山には気象台があるのだが
「名古屋の夏の気温は本当は発表より高い」
と言われる。
冷房のない時代には、この1〜2度の差が大きい。
東山動物園は動物によい環境ということで、当時としてはかなりの郊外に造られ、戦争中空襲等で猛獣が檻から逃げ出しては危険。と言うことで殺処分された時、当時の園長が
「せめて草食動物の象だけは」
と近隣の山に隠して守り通した。
東京の上野動物園では象を餓死処分した事から
「東京の子供たちに名古屋で象を見せるための象列車」
が平和の象徴として走って絵本にもなった。
また空襲のため丸焼けになった名古屋の都市計画のため
「そこそこ便利にお墓参りに行ける郊外」
に集合墓地公園を計画し、市内のお寺(名古屋は全国有数の寺院の多い町)の境内にあった墓地を名東区(当時は千種区)の平和公園と昭和区の八事霊園に移したが、これらも象が隠れた山野も、今や名古屋の高級住宅街のど真ん中である。
日本の戦前の権力者・富豪たちが、もし浮遊神界の存在を知ったら、こぞって購入し、このようなのどかな農園で疲れを癒しただろう。
トヨタ自動車創始者の豊田喜一郎氏も戦後の晩年は子息に会社経営を譲って、八事に農園を作って暮らしていたそうだ。
「母上!母上!超春です。今帰りました」
俺はかの長州藩改革の偉人、村田清風(亀之助)の母の様に、久しぶりに里帰りした新帝を
「国政の大変な時期に、帰ってくる暇などありますか!」
と追い返すのではないか?
と、ちょっと心配していたが、戸が開き、若い女性が飛び出してきて、力一杯新帝を抱きしめた。
「春〜大きくなったわねぇ〜寂しかったよ〜!」
なんか皇太后(皇帝の母)。
と言う感じがしない。
とても綺麗な人だが(オコ痛い)。
「お母上もお変わりなく」
と新帝が言うと
「なによ〜他人行儀に。前みたく媽媽って言ってよ」
「母上、朕…いや私はもう11歳ですので」
「なにそのチンって、小さい時『媽媽はなぜチンチンついてないの?』とかお風呂でよく言ってたねえ」
「や、やめてくださいっ!」
俺たちは地面に転げ回って笑ってしまった。
ああ、太公望が娘(新帝のお母様)を宮殿に連れて来なかった理由が、なんとなく分かってきたぞ。




