機械に対するアンチテーゼ 5
…………殺害対象者の男は悠長にもレストランで食事をしていた。
飲食店は闇市を含めないのであれば、地位の高い人間しか入れないので、エルは別の建物の屋上から、レーザーガンのスコープを望遠鏡代わりにして監視している。
男が食事を終えるのを確認し、エルは二階まで駆け下りた。データ通りであれば男は帰宅の際に使う道は、この建物のすぐ隣で、しかも人通りは少ない。
それまでに毒ガスを充満させればいい。毒の内容は……無色無臭で空気より重く、出血や皮膚、粘膜に対し刺激を与え、筋肉の動きを止める物にしよう。エルは息を潜めながらに思考する。
さらに数分が経過しただろうか。データ通り遠くから男が近づいてくるのを確認できた。
男の隣にはヘリコプターを小さくしたような、見た目をした衛兵BOTが二つ、低空飛行している。
タイミングを見計らい、エルは手に力を込めた。瞳の光はガスマスクからわずかに出て来ていた。
一見すると何も変化はないが、この建物の下、男が通るだろう道は地獄行きへと変わっている。
エルは男が悶え苦しんで死ぬのをまだかまだかと待ち続ける。
段々と、確実に男は近づいて行き、エルとの距離が20メートルもなくなったときだ。
『ブー! ブー! 致死性のガスを感知しました。致死性のガスを感知しました。近くに化学兵器を使用した後はありますか? ただちにこの場から離れてください。そして記録データをコンピューター様に渡してください』
「なにッ!? さっそく改装した甲斐があったか!」
殺害対象者は冷や汗を垂らしながらそう叫び、来た道を戻っていく。
この事態は、エルにとって想定外であった。衛兵BOTや車、無線まで科学と技術の結晶は全て【科学進歩開発サービスグループ】で作っているからだ。
公式で制作された衛兵BOTの構造は全て把握しているつもりだったのだ。
「なんで……!?」
思わずそう呟き、眉をひそめる。
『はぁ……。さっさと設置してきなさい。私は衛兵BOTの改装をしないと……』
思い出したかのようにステファの発言が脳で再生された。
「このことか…………」
殺害は明らかな失敗であった。しかし事の原因を理解しエルは冷静になった。
男はどこに行く? 答えはすぐに出る。会話室だ。あそこなら命を脅かすものはコンピューターしかない。信者にとって会話室は核シェルターよりも安全だ。
男が会話室に入った後に入り口にガスを充満させるか? いや、危険すぎる。だからといって今を逃せば後々警備は厳重なものとなるに決まっている。
ひとまずエルはすぐにその場から離れ、裏路地に身を隠す。まだ殺せる方法はある。
エルは路地裏を駆け抜けた。途中途中にあるパイプに足を取られることもなく、コンクリートの地面を踏み締め速度を上げる。
先回りして、強引に毒を吸わせる。手から高出力でガスを噴射し、無理矢理体内に取り込ませる。
これが必死に考え思い浮かんだ唯一の殺害方法だ。
エルは会話室の場所を全て記憶していた。そこへの最短ルートも。ティアを守るため、頭に叩き込んだからだ。
だからすぐに先回りすることができた。後ろに殺害対象者である男がいることを確認すると手を構えた。
ガスを感知しても手遅れな勢いと量を噴射すればいい。エルは両手を翳し、深紅の双眸を輝かせる。ガスマスクから零れるソレは、レーザーサイトのようだった。狙いをつけ、さきほどよりも毒性の高い……霧状の毒を一気に噴出した。数秒も経たぬうちに、周辺は毒で汚染されていった。
『ブー! ブー! 致死性のガスを感知しました。致死性のガスを感知しました。近くに化学兵器を使用した後はありますか? ただちにこの場から離れてください。ハザード赤。同機体を呼び出します』
まもなくして衛兵BOTが再び警報を上げた。
「ここもか!? さっきまではなんにも……痛い! 痛い!!」
男が悶え苦しむ声と音がエルの耳に入り、脳に刻まれていく。なにかを成し得たような達成感と悦びが込み上げた。
しかし悦びは僅かなもので満足することができない。ドス黒い憎悪はやはり消えない。虚無感すら生まれない。エルは見限るようにその場から離れて行った。
エルが裏路地の影に消えるとき、ガスに触れ吸い込んだ男は全身に針を刺されるような痛みに襲われ蹲っていた。
目から涙が、鼻からは粘液が、口からは血を大量に噴き出して、男はパニックになりながらその場に倒れ込む。
「くそぉ! 痛てぇ! 痛てぇ!!」
『ピピ……。痛覚緩和ガスを散布します……完了』
痛覚緩和ガスと呼ばれた水色のガスは、男から痛覚のみを取り除く。
男は涙目になりながら機械を手に取り、残っている生命力を一声に全て注いだ。
「嫌だ…………まだ、ガキの名前だって………………決めて、ないのにっ……!! なんで、わたし……なんだ……。嗚呼……神よ…………」
それは周辺にある緊急連絡伝達器と呼ばれる機械から大音量で流れ出た。
数秒後、コンピューターは男に応えた。
『愛すべき親友……ワーディール-Dは汚らわしい反逆者の刃によって殺されました。これより被害現場を中心とした3キロを厳重警戒地域とし、一切の外出を禁止します。外出者は適切な理由を述べ、身の潔白を証明する必要があります――――繰り返します……』
けたたましいサイレンと共にコンピューターの女性的な合成音が響き轟いた。
当然エルの耳にも入っている。
ガスマスクは所持しているとまずい。捨てるにしても下手に捨てれば個人を特定されかねない……。それに服は毒で汚染されている。無理だ。
エルは息を荒らげながら走っていたが、この事態を切り抜ける手段が浮かばず、段々と急ぐ足は遅くなっていく。
「あぁ……駄目だったか。敵討ちも満足にできやしないのか」
諦めて、足を止めた。見上げると建物の隙間から偽りの星が輝いているのが見えた…………そのときだ。ポケットに入れているタブレット端末がバイブした。
若干傍観気味にエルはそれを取る。
『やってくれたようだな。コンピューターの奴が慌ててるのが聞こえたぜ。ナイスだ!』
「……ブライアンか?」
『あぁ、そうだ。今から地図データをそっちに寄越す。もしオレを信じて命を預けるなら、赤い×印のところまで駆け抜けろ!! ――――ピピ! PDFデータを受け取りました』
送られた地図を確認する。目的地までの距離は約1キロ。途中でBOTに発見された場合……死ぬ。だが恐怖はなかった。
エルはすぐに足に力を込め、再び路地裏を駆け抜けた。
息を荒らげ、ゴミやパイプに足を取られながらも、止まることはなかった。
どれほど走り続けただろうか。さきほど噴出した毒の影響が自らに出始めた。灼熱感がして両手は焼けそうなくらいに痛い。服の毒がじわじわと身体に伝わって行くとその痛みは全身に伝わり始めた。それでも走るのは止めなかった。400メートルも走ったころには体力もなく、身体は痛みに対し……触感に対し酷く鈍いものになっていた。復讐心だけで走り続けた。
自らをも蝕む怨毒……報復を正当化しゆるほどの憤りと憎悪を焚き付け、エルは走り続けた。幸いなことに衛兵BOTに出くわすことは無かった。
目的地の×印は、だれかの家だった。
戸に電子ロックはかかっておらず、エルは躊躇なく家の中に足を踏み入れる。
「よく戻ってこれたな」
渋い男の声、ブライアンだ。
彼は部屋に存在するソファに腰かけていた。
「……服が汚染されている。どうしたらいい?」
「おいおい、もっと感謝してくれ。BOTと遭遇しないように、嘘の通報までしたんだからな。不審な人物が中央通りを駆け抜けましたってな」
「このままの状態で置いておくとお前らも汚染される」
「っちぃ無視か……分かったよ。服はその辺の角にでも置いてくれ。隣の部屋にシャワーがある。使ってくれて構わん」
「代えの服がない」
「用意しとくから黙って汚染とやらを流しとけ」
ブライアンはソファをずらし、床の板を外した。すると隠れていた梯子が姿を現す。
「汚染とやらが治らない間は地下に入るなよ。治ったら歓迎しよう」
そう言ってブライアンは地下へと降りて行った。
毒の処理を終えたのは翌日だった。徹夜して毒洗浄を終えたエルに、ブライアンは栄養ドリンクを手渡し言った。
「お疲れだな。我々【アンチテーゼ】はエル-Rを歓迎しよう」
すっと太い手を差し出した。
エルは応えるために手を差し出そうとして……躊躇した。
「…………手を差し出されたなら握手すべきだろ」
ブライアンは不満そうに言った。
「毒は俺の手から出てるからできない」
「そういう細かいこと、オレは気にしねぇ」
ブライアンは強引に手を握り、左に一回、縦に三回揺らした。
「これがオレたちの挨拶だ。間違えるなよ? 地下に来い。顔合わせだ」
エルは言われるがままブライアンの後を着いて行き、梯子を降りる。
少し降りると、白い廊下が一直線に伸びたところへ出た。
「コンピューターに仇をなす人は相当数いる。武力で訴えたり、歴史の本を広めたり、方法は様々だがここはそういう奴らが隠れたりするのに使っている」
「……だれが作ったんだ?」
「わからん。相当昔からあることだけは確かだ……。コンピューターはいままでそういう組織や個人を徹底的に潰してきた。でももう限界だ。だからオレらが終止符を打つ」
戯けた話をしながらブライアンは数ある部屋の一つに入る。
部屋で四人のメンバーが座って待機していた。
「…………ブライアン……おかえり」
エルに気付かれることなく自白剤を注射した少女もここにいた。
美しい艶のある黒髪を腰まで伸ばし、黒い虚ろな眼の奥には、ほんのわずかだが緑が混ざっている。どう見てもまだ子供だった。
エルは直接見てはいなかったが、その声には聞き覚えがある。
「おう! ただいまエレオノーラ!」
ブライアンはわしゃわしゃと少女の黒い髪を撫でまわした。
「おい……。どう見ても子供だろ。なにやらせてるんだよ」
「その子供に…………あなたは……やられた」
次の刹那、エルはエレオノーラと呼ばれた少女を見失った。
さきほどまで椅子に座っていたはずなのに……エルは辺りを警戒し、壁に背を付ける。
「ほら……ね?」
無感情そうな声がエルの耳に入った。そしてエルが気づいたときにはエレオノーラはレーザーガンを突き付けていた。
「なっ…………!?」
「ミュータント……だから」
エレオノーラは哀しそうに、瞳を光らせた。黒い靄がかかった淡い緑の光を目にし、エルは両手を上げた。
「エレオノーラ、そういうことはオレがやる。お前は人殺しなんてしなくていい」
「……うん」
僅かに頬を染め、エレオノーラは席へと戻っていった。
ブライアンはエルの肩を掴み、小さな声で言った。
「……エレオノーラのことは後で詳しく話す。納得しないかもしれないが、今は我慢してくれ」
エルが無言で頷いたのを確認し、ブライアンは部屋にいる全員に話しかけた。
「こいつが期待の新メンバーだ。エルだ」
ブライアンはエルに対し目配せをした。しかしエルはそれを無視し、何も言わず空席に腰かける。
「あたしリディア。主にハッキング担当。よろしくねー」
エルの隣に座っていた女性は握手を求めた。
若干強張った笑顔をし、後ろで結んだ栗色の髪を揺らす。握手に応えるとやはり左に一回、縦に三回揺らした。
続けざまに、正面にいる気弱そうなブロンド髪の青年は握手を求めた。
「よろしく。アーロンって名前です」
最後の一人、ぽっちゃり体型で茶髪の男は、手汗がべっとりだということをエルに見せ、握手を遠慮した。
「おい、マルコ。握手がメンバーであることの証明なんだから、しろ」
「わかったよ……自分、マルコと言います」
ブライアンの威圧的な命令に負け、マルコと呼ばれた男は、エルに手を伸ばした。
エルは神妙な表情を浮かべ、握手をした後ブライアンに尋ねた。
「こいつら……大丈夫なのか? 信頼に値するのか?」
答えたのはブライアンではなく、アーロンだった。さきほどまでの気弱な青年はそこにはいない。いるのはやり場のない怒りで顔を歪めた復讐者だ。
隠れた凶暴性が露わとなっていた。
「僕は目の前で妹を殺された。僕と違って綺麗な金の髪をしていた。でも、結婚を断ったから殺されたんだ。意味分からないだろ? コンピューターが正しい処罰をあたえるかと思ったら、殺した奴の地位が高いからこっちが有罪になった。わかるかい? この怒りは、その男をぶち抜いても収まらないのさ」
血走った瞳で何もない所を睨み、ついには机を叩きつけた。
激しい音が鳴り、部屋は静まり返った。ブライアンは苦い顔をして補足を付けた。
「アーロンは普段がこんな状態だ。初対面だから丁寧な口調にしろと言ったんだが…………すまない
」
エルは反応に困り、無言を貫いた。数十秒ほどして、今度はリディアが口を開いた。
「あたしの両親は何の理由もなく殺されたわ。犯罪をでっち上げされてね。なんでこんなことになったか分かる? 反逆者を処分すれば、地位が上がるからよ。あたしはこんな社会を作ったコンピューターを許さない」
表情を一切変えず淡々とした口調だったが、底の見えない冷徹な怒りがそこにあった。
「ほら、あたしも言ったんだから。マルコも言いなさい」
「いや……自分は大した理由じゃないよ。自分は、外の世界を見てみたいから協力してるんです」
「なんで見てみたいんだ?」
エルは訊いた。
マルコは即答した。
「頼まれたからです。好きな人に――――」
『空を見る夢…………託してもいいよね?』
エルは……ティアの言葉を思い出した。頭が割れてしまいそうだった。
不意に、フラッシュバックした言葉は、胸に突き刺さり抜けなくなった。『かえし』が付いていた。誰かを殺しても晴れることがなかったドス黒い感情が、僅かに薄れた気がした。…………駄目だ、考えるな。もうティアはいない。殺したのはコンピューターとその信者共。
エルは必死に言葉を、想いを押し込め呑み込んだ。
「……あとはお前だけだ。ブライアン。なんで子供がこんなとこにいるんだ。ミュータントだからか?」
エルは呆れるように尋ねた。
いくらコンピューターが異常だからって、子供まで闘う必要があるのか…………まだ、正常な判断をするエルの頭は、疑問を抱いた。
「ミュータントだからってやらせるわけないだろ! …………エレオノーラ。言ってもいいか? 辛いなら言わない」
「…………言っていい」
「そうか、ありがとう。エレオノーラは偉いな」
ブライアンはサングラス越しでもわかるほどに、優しい目をして、エレオノーラの頭に手をぽんと置いた。彼女はほんの僅かに頬を紅く染めると、頭に置かれた大きな手を小さな両手で掴み、撫でさせた。
「ははっ。可愛いな」
「どうも……私、可愛い」
「来てくれ、エル。部屋の外で話をしよう」
エルはすぐに立ち上がり、部屋から出て戸を閉めた。
そして目の前にいるブライアンに、軽蔑の眼差しを向ける。
「どこから話そうか…………。オレは説明ってのが苦手なんでな。結論から言わせてもらうぜ。【アンチテーゼ】の創設者はエレオノーラだ」
「……冗談だろ?」
エルは苦笑いし、一蹴した。
しかしブライアンの表情は冗談と思えるものではなかった。
空や思想に唇を噛み締め、眉間を細める。自らの無力さを悔やんでいるようだった。
「…………エレオノーラの両親、いや、家族は全員ミュータントだった。それも二つ以上能力を持つ稀な存在だった。遺伝的なものだから、引き継いじまったんだろうな。両親はバレないようにと工夫していたようだが…………バレちまったんだ」
エルにはその家族がどうなってしまったか……容易に想像できた。
『――――ミュータントは存在が罪であり、処すべき人種である』
コンピューターは許さなかっただろう。
「もうわかるだろう。お前さんの予想通り、あの娘の家族は処刑された」
「…………」
「けど悲劇はそれで終わらなかった。彼女の能力は不可視と第六感ってやつでな。殺しに来た野郎共は気付かなかったんだ。そこで終わるべきだった。オレが来たときには……エレオノーラは!! まだ10歳だった女の子がだ!! …………殺しちまったんだ。討伐隊を。そこらじゅうに死体が転がってるど真ん中で、彼女は返り血塗れで立ってたんだよ。まだ赤い包丁を持って、笑いながら泣いてたんだよ…………」
エルは言葉を失った。
まるで自分のことのように、ブライアンが泣きだしたのだ。エルよりも二回りは大きい巨漢が、みっともないほどに泣き出したのだ。
「エレオノーラは心の底から笑うってことをしなくなっちまった。ミュータントの光はすぐに出せるのに……瞳がいつも虚ろなんだよ。そのくせに、何もせず大人しく屈するくらいなら死ぬって断言しやがったんだ!! …………変えなきゃならねぇんだ。こんな社会、いますぐにでも……!!」
自分と違って……なんて強い人間なのだろうか。エルは何も言えず、ただ茫然と立っていた。
「……ブライアン」
ふと、下の方から声がした。エレオノーラだ。
彼女は、涙を流しているブライアンに近づき、母親のように優しく撫でた。
そしてエルの方をジッと睨み、瞳を輝かせた。黒い靄のような朧な光と、生命力溢れる緑々しい明るい光が空を漂う。
「ブライアンを泣かせたら……私、許さない」
「あぁ。ごめんな」
エルはそんな言葉しか言えなかった。無力な自分を…………殺したくも思えた。




