機械に対するアンチテーゼ 4
元々は【アンチテーゼ】自身で殺害対象者を殺すつもりだったのだろう。
ブライアンが与えた情報を下までじっくり読むと生活習慣まで書かれていることが理解できた。
まず一つ。強襲すること自体が困難であること。24時間いつでも衛兵BOTと呼ばれる対人兵器を護衛として連れているからである。衛兵BOTの充電が無いときは、【軍事防衛サービスグループ】の精鋭を数名引きつれている。
衛兵BOTの電池が切れるのは三日に一度で、22時から23時までの間充電する。次に充電する時間8月の14日22時。
殺害対象者の行動記録…………帰宅ルート……。
エルはあらかた目を通し、確信する。
通常であれば衛兵BOTがいる状況で、殺害するのは不可能だろう。
レーザー光が放たれると、護衛対象者を対レーザー装置で防護したうえで加害者を記録し、国全ての施設やロボット、教会連中を敵に回すからだ。
しかしミュータントはコンピューターの規律を乱す存在だ。そんな常識に当て嵌まることなどなく、殺すことができる。
下手に人間の護衛を相手にするよりはいいだろう。
実行は夜、人気のない所がいい。
寝静まった頃に毒を充満させ、そのまま殺してしまってもよいだろう。
……考えると心臓がバクバクと高鳴り始めた。怖いのか、愉快なのか、早く殺してしまいたいだけか、もう自身でもよくわからない。
エルは高鳴る心臓に手を当て嘆息する。
現在時刻は午前11時ほど。ティアと最後に話してからまだ半日程度。
…………ティアは……本当に殺されたのだろうか。エルの脳裏にそんな疑問が浮かんだ。
死体をその目で見て、燃やしたにも関わらず、現実が受け止められなかったのだ。
同時に、あのビルの屋上へ……昨日ティアと最後に話したあの場所に行きたい。そう思った。
まだ夜になるまで時間はある。行っても大丈夫だ。
そう心の中で何度も言い聞かせてエルは歩いて行った。
――――分かっていた。
行ってもどうにもならないことなど。
エルは屋上を数歩歩いて、いつもティアが座っていた場所を見下ろした。
そこだけは段ボールが引かれ周囲には空を想像で描いた落書きがあった。
灰色の汚い壁に描かれた蒼い空で、地下国家では絶対に見ることのできない雨上がりだ。
霞んだ白い雲の間にこれまでかというほど巨大な虹が描かれていた。
エルはただじっとその空席を眺め傍観して、
やがて涙を流し始めた。涙は頬をゆっくりとつたい、それから膝の上に落ちた。
涙の雫は一滴、また一滴……零れ落ちていく。
ティアの笑顔が、言葉がフラッシュバックして胸苦しく責められた。冷たい風が傷に入り込んでくるような痛みがした。
膝の力が抜け、へたり込んだ。
「なんで……ティアな、んだ……。俺が代わりに死ぬことは…………できなかっ、たの か……」
途切れ途切れな言葉はやがて嗚咽となり、エルは両手を地面に付けた。
コンクリートの床は固く冷たい。
エルは強く地面に縋り涙をばら撒いた。涙は途切れなく豪雨のように流れ落ちた。
なんてみっともないんだ。
そうは思っても自身の行動を止められそうになく泣き続けた。
一生分の涙をそこで使い果たしたような気がした。
「なんで……。なん、で…………」
声は空に溶けることもできずただただ黒い感情が胸に積もっていく。
エルの心とは裏腹に、偽りの空は雲一つ存在しない晴天だった。
□□□□□
床、壁、天井……そんなものすらあるかどうかわからない。黒い閉鎖空間。そんな場所で、俺はティアと向き合い立っていた。
「……ティアはなんで空を見てみたいんだ? 殺されるかもしれない……いや、殺されるんだぞ? 今からでもいい。やめないか?」
そうだ。空なんてどうでもいいじゃないか。生きていればいいことがあると教えてくれたのはお前じゃないか。
「嫌よ。私は諦めたり屈したりはしない」
「なんで!?」
死ぬんだぞ……!? ティア、お前は空の所為で死ぬんだぞ!?
レーザーガンで身体を撃ち抜かれて、死に恐怖しながらこの世から消え去るんだぞ!?
「エルと一緒にこの国から出るの」
「…………なんで? 死ぬんだぞ?」
「なんでって……好きだからに決まってるじゃない? それともエルは私の事嫌いだから……嫌なの?」
「嫌いなんかじゃないよ……そうじゃないんだ。ティアが言ったんじゃないか。生きてれば、いいことが絶対あるから…………死のうとしないでって……」
「国の外ならコンピューターだって私たちの邪魔はできないもん。それに、守ってくれるんでしょ?」
「俺は……お前を、ティアを守れ――――」
「頼りにしてるからね。私の騎士さん♪」
あどけない。いたずらっ子のような笑みが頭に焼きつく。
やめてくれ……俺には、俺にはソレを守ることができないんだ。笑顔は、書き換えられて……。
「…………お願いだ。やめてくれ」
そう願うと、ティアはぴたりと停止した。動かなくなった。
「ティア……?」
俺は恐る恐る彼女の頬に手を伸ばす。
刹那――――ティアは砂のように崩れ、真っ黒の床に吸い込まれてしまった。
「ティア!」
俺は叫び、黒い床に手を伸ばす。黒い空間の中は、氷よりも冷たく、重い。それでも必死に手を伸ばすと、手はなにかを掴んだ。
「すぐに助け……」
それは白く脆い……骸だった。
□□□□□
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
エルは自らの叫び声で目を覚まし、すぐに立ち上がった。
太陽はほとんど沈んでいる。屈したまま眠ってしまっていたようだ。
「夢か…………」
いや、夢じゃない。全部事実じゃないか。
エルは涙の溜まった瞳を擦った。彼の頬は涙が伝った痕が出来ていた。
「もうすぐだな……。行かないと」
自身に言い聞かせるように呟き、厚手のコートを着てガスマスクで顔を覆う。
もう涙は出ない。
「……さようなら」
最後にそう言い残し、ゆっくりとその場を去って行った。
もう二度とここには来ない。エルはそう決意した。




