壊れた涙 3
…………時間が止まった。刹那視界が明滅した。
少なくともエルの中では、時は凍り付くように止まった。
殺した? ティアを? 嘘だ。そんなこと信じない。信じたくない。
しかしこの男が嘘を言う理由があるのか? いや、ない。だとしたら…………本当に。
「見ます? さきほど殺したばっかりで、まだ死体も片づけてませんよ。ハハ」
とても渇いた笑いだった。他人事だ。アデルは一歩退き、自慢するように部屋の中を見せた。
そこには血溜まりに倒れるティアがいた。
「ティア!? 大丈夫か!?」
エルはアデルを押しのけ、ティアの身体を持ち上げた…………その身体は軽くなっていた。
視界が暗転し色が消えるような感覚がし、鋭い刃物が胸を穿つような錯覚を覚えた。
彼女の身体には、大きな穴が有り周囲が焼け焦げていた。昨日まで空を見上げ、希望に満ち溢れていた美しい空色の瞳からは光が失せ、雲のようなに白く柔らかな髪は血を吸って赤黒く染まっていた。
あの笑顔は無くなっていた。もう動くことはないティアの顔は、絶望の端に追い込まれたように怯えきったまま固まり不気味にさえ思えた。ティアのことを一瞬でも怖く思ったエルは、自分に嫌気がさした。
心臓が、鼓動が高鳴り喉に感情が詰まり息が激しくなっていく。嗚咽してしまう自分が情けなくて仕方ない。
――――死んだ? 死んだのか? 嘘だ。嘘だ。嘘だ!!
エルは頭を振って、呼吸を必死の思いで整え、もう一度確認した。
夢だと思いたい、自身の精神的疲労が見せる幻覚だと思いたい。しかし、これは、現実だ。
ティアは……死んだのだ。
エルは黙祷し、ティアの目を閉じさせた……もう空色の瞳を見ることはないだろう。
すぐに目の前の男に掴み掛かり殺してやりたいほどの黒い憎悪がフツフツと沸き上がってくるのが理解できた。目の前の男の首を締めてしまいたいような激しい怒りだ。
しかしアデルは怒りを察知することもできず、ペラペラと他人について語った。
「ティア-Rは愚かにも、知ってはいけない情報を知り、あげくに自然共存主義の人間でした。処分するには充分過ぎる理由ですね」
エルは顔を歪めた。
俺は守れなかったのか。こんな能力を持っておいて……。
自身に対する落胆と怒りが混ざり合い激情を生み出した。エルは歯を食い縛った。
いつかティアは死んでしまうかもと分かっていながら、自分はなにも出来無かったのか。
――――殺してやる。殺す。こいつをのうのうと生かすなんて許さない。許されない。
殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 頭の中で黒い叫び声が轟いた。
思考は泥水のように濁り渦を巻く。
アデルからしてみればその時間はまばたき数回分程度であっただろう。
そんな僅かだが長い時を経て、エルはすっと息を吸い込み衝動的に手に力を込める。
「フフッ、まぁおかげさまで反逆者処分ポイントが溜まりましたのでワタシは昇格で……がぁああ!? 息が、苦し…………」
アデルが喉を押さえ悶え苦しむように転げ倒れた。バンバンと訴えるように床を強く叩き涙目になっていた。
「なにをした……!」
アデルは苦し紛れにエルを見上げ、鬼の形相で睨んだ。エルは復讐心で紅く染まった瞳を輝かせ、血の涙を流しながらアデルを蹴り飛ばす。
「毒だよ、手から出せるんだ……俺にも有害だけどな。そんなことはどうでもいい。どうでもいいんだ……。それより答えてくれ。なんでティアが殺されなきゃならないんだよ……なんで外に夢を抱くことさえ許されないんだよ!!」
声を出すと床に血が飛び散った。手から出せるという毒は、エル自身にとっても有害だった。
返事はない。アデルは泡を吹き、黒目は焦点を合わせられずに揺れている。
こいつはもう助からない。けどティアも、もう…………。
考えれば考えるほど悲しくなって、怒りを覚えた。
激情が身体中に轟いていた。
「ティアの笑顔はもう見れない。それどころか彼女は燃やされることでしか表情を変えることもできない!! 彼女はもう夢を語れない。そう思うと目の奥が熱いんだよ。俺はどうしたらいいんだ。涙が止まらないんだ……お前らのせいだ…………!」
沈黙。だがエルの深紅に染まった瞳は炎のごとく妖しく揺れ、涙は尽きることなど無かった。
――――情けない。
ティアの騎士になると決めていたのに。騎士が泣いてどうする。
姫を守れなかった騎士には泣く権利もないだろう。
苦しそうに顔を歪めていたアデルであったが、彼は自らを見下ろしているエルを嘲り呟いた。
「ヒュー……。ははっ、ミュータントか…………くそがっ」
アデルはそう言ってゆっくりと目を閉じた。
それ以降、彼は二度と動くことはなかった。
ティアを殺したやつは死んだ。しかし、敵討ちをした気になれなかった。満足できそうになかった。
心の臓が撃ち抜かれたかのように痛い。怒りをぶつけなければ気が済まない。
エルはレーザーガンを取り出し、もう動かないアデルの身体を何度も撃ちぬいた。
手、腕、胴、首、頭…………人としての原形がなくなるまで撃ち続けた。撃つたびに肉が焦げるような臭いと、グチョ、ペチョと不快極まりない音が部屋に響いた。
息を荒らげ、撃つのを止めると、どうしようもないほどの虚無感に襲われ、エルは虚ろな瞳で周囲を見渡した。
部屋は荒らされていて、小さなマグカップや椅子は割れて床に落ちている。歩くたびになにかが割れる音がした。
ふと金属製のタンスに目が行った。そこには写真が一つ立て掛けてあった。
それは以前エルが撮った写真で、偽りの青空をバックに満面の笑みを魅せるティアがいた。
「ごめん……俺、守れなかったよ。なにが『おまえのことを守ってやる』だってんだ……」
写真に写る爽やかな笑顔とは逆に、エルの心の中はどす黒い憎念が嵐を巻き起こす暗雲のように渦巻いていた。
「……ティア。お前の仇を討ってやる」
エルは写真に話し掛ける。もちろんだが写真は物を言わない。微動だにもしない。
そっと写真をポケットにしまい、動かないティアの、細い手を握った。
「そんな表情でいるのは……嫌だよな。でもごめん……俺は、表情を変えることしかできない」
エルは再び手に力を込めた。すると深紅の瞳は再び光を放った。弱々しくおぼろげな紅い光だった。
ツンと鼻に来る臭いが部屋に充満したのを確認し、エルはほんの一瞬だけ生気のない唇に、唇を重ねた。
「好きだ……。ティア。お前が生きてるときに俺は言いたかった。でも……お前が死んでもこの気持ちは絶対に変わらない」
エルは涙を流しながら部屋を出た。
そしてある程度離れたところでレーザーガンを構え放った。
金属板が空を切るような独特の音と共に放たれた赤い光線は部屋で業火へと変化した。
刹那、強い熱波と光が突風のように突き付ける。窓は粉々に割れた。
ティアの家が燃えていく様子を見ていられずエルは俯いた。
そして自嘲気味に呟く。
「俺はお前をまともに埋葬することもできない…………。壊す事しかできない」
…………だからコンピューターと、ティアを殺した教会の糞共をぶっ壊してやるんだ。
俺の毒で苦しめて生きたことを後悔させてやる……地獄より恐ろしい者を味合わせてやる。
皆殺しだ。全員殺してやる。
――――エルは決心し、その場を立ち去って行った。業火は勢いを増し次の日には全てを焼き尽くしたという。




