エピローグ:tear cloud call Tear teardrop……2
視界が黒い。
上下左右の感覚が分からない。
どうなっているんだ? 俺は死んだのか? いや違う。死んだらこんなことも考えられない。
「殺したことはブライアンには秘密だ。僕が殺されちゃうからね」
「…………分かってる」
ルドルフとエレオノーラの声がどこからか聞こえた。
ルドルフ達は近くにいるのか? 見えない。
エルは闇を歩いた。歩けば歩くほど視界は黒く染まり光は消えていく。
同時に自分の身体が冷めていくような感覚もした。
「――――!! ――――!!」
遠くから声がした。誰の声だ?
闇より黒い深淵を掻き分け、エルは声のする方向へ進んでいく。
「――――ル ――エル」
だれかが呼んでいる?
ブライアンか、ルドルフか? いや違う。女の声だ。でもエレオノーラじゃない。リディアでもない。誰だ?
「エル。まだこっちに来ちゃ駄目。私はこんな暗闇で会いたくない」
「誰だ? お前は誰だ」
女の声は懐かしいものだった。
聞くたびに目頭が酷く熱くなったが、もう涙もでない。
「約束……守ってよね。私の騎士さん?」
誰だ? 思い出せない。大切な人だったはずなのに! 一生を賭けてでも守りたいと思わせてくれた人だったはずなのに。
覚えているのは彼女の言葉の温もりと……毒が放つ死臭とは違う、生きている実感をくれる甘い香りだけ。
大切な思い出や、瞬間の出来事は偽りの空に浮く星の数よりも多かったはずなのに!!
蓋をしたからか? ――――思い出したくない――――考えたくないと思う内に本当に忘れてしまったのか!?
いくら思い出そうとしても思い出せるのは全て敵の言動、敵への怒り、殺意。
これが毒という武器を過度に使用した代償なのか?
――――嫌だ。助けて。忘れたくない。彼女との思い出を、忘れたくない。誰か――――!
「誰か……助けて。一人で空を…………!」
声はそこで出なくなって途切れた。
視界は黒一色から段々と光が混ざっていく。
「譫言を言っていたようだけど……平気かい?」
だれかが顔を覗かせた。
曖昧な意識の中エルは身体を起こした。――全身が軋むように痛い。
「ここは……どこだ?」
「【医療治療サービスグループ】の施設……つまりは病院さ。僕ら男三人をエレオノーラが一人で運んだらしい」
「ブライアンと……リディアは?」
「ゴツイ方ならそこにいる」
ルドルフは隣のベットを指差した。確かにそこにはブライアンがいた。しかし右腕が無くなっている。エレオノーラは無い右腕を賄うようにそこに寄り添っていた。
「リディアは残念だけど行方不明だ。ユリアーナと一緒にね。それともう一つ残念なことを言うと、僕はミュータント能力を使えなくなってしまったよ……薬なんかに頼るのはよくないね。機械操作はまだできるんだけど、放電しようとしても……静電気程度さ。これじゃぁ乾燥してる一般人レベルだね」
現実が波のように押し寄せて、全てを理解することが出来なかった。
ともかく、知るべき現実を把握しなければならない。エルは質問を続けた。
「俺が倒れて……何日経過した?」
「そんな何日も経ってないさ。ちょうど一日だけだよ。そうそう、伝え忘れるところだった。能力はもう使わないほうがいい。一部の臓器が……というよりほとんどが君のじゃなくなっているから次使ったら普通に死ぬってさ。耐性がないからね」
エルは自身の腹部に手を当てた。そこには明らかに縫った様な傷痕が残っている。
体温はある。生きている。死んでいない。
「【CP管理施設】の方はどうなっている。なんで病院の電気はいまだに付いているんだ?」
「コンピューターの考えなんて僕にも分からないさ。事実だけを述べると、コンピューターは自身を守るはずの衛兵BOTの電源を落して、病院に電気を送っているようだ」
コンピューターが? なぜ? そんなの自殺行為じゃないか。
「わけがわからない」
エルは青ざめた顔をして首を振った。
「僕もそれには同意だね。だから行こう。これで全てが終わるのさ」
全てが終わる……。
もう終わってるじゃないか。彼女が死んでしまったときから。
エルは泣きたくなって俯いた。しかしやはり涙は出ない。
「立てるかい?」
「それくらい一人でできる」
強がってそうは言ったものの、立つのがやっとだった。ふらふらと不安定に立ち、すぐに壁に寄り掛かる。
「そんだけ元気なら平気だな! 【CP管理施設】へ向かう。来てくれ」
ブライアンは無い腕を振って立ち上がった。
「運転できるのか?」
「簡単よ! やろうと思って行動すればなんだってできる」
「…………頑張って」
「おうとも!」
ブライアンはスタスタと部屋を出て行った。
置いて行かれないようにエルもそれに付いて行く。
病院を出て、車に乗り込む。
周囲を見てみると、炎は全て消えていたが、道は瓦礫や死体、スクラップで塞がれているところも多い。
【CP管理施設】は国の中心に存在している。高い塔のような施設で、偽りの空を貫いている。
目的地前に到着し降りてみると、そこは墓場のように静まり返っていた。
巨大な入り口には誰もおらず、あるのは……いや、いるのは一匹の生物兵器。巨大な竜のようなソレは、こちらを攻撃することなくただ入り口を塞いでいる。
「……敵意は、ない」
エレオノーラは瞳を輝かせてそう呟いた。
なら安心だ……とルドルフが竜に近づいて行く。ルドルフが一定距離まで近づくと竜は唸り、威嚇し始めた。
『あなたたちは【アンチテーゼ】ですか?』
入り口に取り付けられたスピーカーから声がした。
「厳密にいうと僕は違うけど……まぁ大体あってる」
『待っていました。どうぞお入りください。D1はその場で待機してください』
入り口のガラス戸が独りでに開くと竜は道を開けた。
待っていました? 意味がわからない。なぜコンピューターは敵を自ら招き入れていたのだ。
ブライアンも流石に怪しんだのか、再びエレオノーラに尋ねた。
しかし、敵意は無いと即答されてしまった。
どういうことなのか……想像もできない。不意に怒りが冷めていくような感覚がした。
「入らなきゃ始まらないよ」
ルドルフは神妙な表情を浮かべながらも施設の中へと足を進めた。
施設はとても広く上下左右に道が広がり数百もの扉があった。光がなければ確実に迷ってしまうだろう。
エレベーターでいくらか階数を上がり、さらに歩いて約数分。光はやがて一つの部屋へと入って行った。扉は自動で開いた。
入れと言っているようだった。
そこは床の9割が黒い箱数台で埋まっているような奇妙な部屋だった。
黒い箱からはエアコンのような音が絶えず鳴っている。
『それがワタシの本体です。それを壊すなり、電源を切るなりすればワタシというデータはショックによって吹き飛び全て初期化されます。国の生存システム……地熱地下水排出、空調設備は完全に独立した存在ですのでご安心ください』
「なんでこんな自殺のようなことをするんだ?」
怒りが急速に冷めていく。
あれほど憎悪に塗れ、心は決して晴れないほどの黒い暗雲に覆われていたはずなのに――――怒りはマグマのようにふつふつと湧き立っていたはずなのに
エルは馴染みのない虚無感に困惑し紅い目を見開いた。
『これ以上争ってもワタシの敗北は決定事項です。シュミレーションしてそうなりました。そのためワタシはこれが最善手と判断し戦闘を中止しました』
いっそのことこの施設にも生物兵器や衛兵BOTを配備してほしかった。
そうすればこんな喪失感に襲われることなんてなかったはずだ。
「なんで最初からそうしてくれなかったんだ。…………彼女はもう死んでしまった!! アデルとかいうお前の手足に殺されたんだ!!」
エルはどうすればいいのか分からず必死に叫んだ。
なんでどうでもいい名前だけは覚えているんだ。彼女はなんて名前だった?
ブライアンたちも言いたいことはあったのかもしれないがこのときは黙って待ってくれた。
『彼女……名前を教えてください。検索を掛けます。せめて詫びさせてください』
「……わか、らない。もう分からない…………」
感情が高ぶりエルの瞳は自然と輝いた。
それを見たコンピューターは何かを納得し、こう言った。
『そういうことでしたか……。本当に申し訳ございませんでした』
「なにが……! なにが申し訳ございませんでしただ!! 謝ったって死んだって意味なんかないんだよ!!」
エルは近くにあった黒い箱を渾身の力を込め蹴り上げた。
『――――ズズ。――――許されないことは、分かっています。ですからワタシは死を持って償いましょう。ワタシの死で少しでも国が、国民が良くなれるのであれば、ワタシのプログラムはそれを選択します』
なにが死をもって償う……だ。お前が死んだって死んだ奴はもう蘇らないじゃないか。
そもそもお前は生きていないじゃないか。命の暖かさすらない冷徹な機械じゃないか
「…………もうどうでもいい。ブライアン、お前がやってくれ」
「あ、おい! 待て…………」
ブライアンは急いで止めようとするも、エルは部屋を出て行ってしまった。
「コンピューター。お前の代わりにオレがこの国を変えてやる」
『――――ありがとう。ワタシはあなたを信じましょう。微力ながら力を貸します。この施設の31階、資料室に世界の政治経済についてまとめたデータがあります。参考にお使いください』
「……それで罪が償いたと思うな。オレも思わないからな」
『黒い箱のコードの先に停止装置があります。……190年と10か月15日3時間43分。これにて失礼します。Good night』
ブライアンは言われた通り停止装置を押した。
すると黒い箱から音は聞こえなくなり、以降コンピューターの声が聞こえることはなくなった。
終わったのだ。全てが完了したのだ。
「……最後は呆気ないものだったな」
「終わった、の…………? ブライアン、無事?」
「あぁ。オレは平気だ」
「これからだよ? ミュータントの地位を向上させてもらわないとね?」
「ハハッ……お前はもう電撃は使えないんだろ?」
「関係ないさ。僕はミュータントが守られればそれでいい」
戯けたことを言いながら三人は部屋を出た。
エルは廊下で座り込み俯いていた。
「俺はどうしたらいいんだ。仇を討ったはずなのに……なにも変わらないんだ。それどころか本当は何をしたかったのかも思い出せないんだ」
憎悪で黒く染まっていた心は底無しになっていた。
何もない。空白。けれど暗雲に閉ざされていて影が差すように真っ黒だ。
「…………マルコの約束」
エレオノーラはエルの手を握るとそう呟いた。
エルは声の方に顔を向ける。紅い瞳は輝きを失い虚構を見ているようだった。
「思い出せない……俺は独りだ。唯一…………一緒にいてくれた人の名前も……忘れたんだ」
「ミュータント能力の副作用だね。慣れてないのに短時間で使い過ぎたんだ。脳への負担が掛かり過ぎて耐えられなくなったんだろうね」
「俺は二度と思い出せないのか?」
「そんなことはないよ。精神的なショックによって受けた傷に近いからね。時間が治してくれるさ」
「時間っていつだ? 俺はその間、なにをしたらいいんだ? どうすればいいんだ?」
エルはルドルフの身体を揺らし救いを求めるように何度も尋ねた。
答えたのはブライアンだった。
「何をしたらいいって……お前、マルコと約束してたろうが。空を見てこいだとかなんとか……。それはしなくていいのか?」
『空』……。その単語は耳に入るとすぐに頭に刻み込まれた。
憎いコンピューター共を上書きするようだった。
空、そうだ。空だ。そこに何かがあったんだ。
エルは勢いよく立ち上がった。
「この施設から外に行けたはずだよな?」
「エレベーターの最上階が外って表示になっていたよ。行ってしまうのかい?」
「……分からない。ただ少し――――二人で空を見てくる」
「二人……? まぁいいや。いってらっしゃい」
エルは言葉を返す間も惜しんで、足を動かし始めた。
最初は曖昧で亡霊のようだったが、段々と床を踏み締めやがてエレベーターまで駆け抜けた。
そのままエレベーターに乗り込み、『国外』のボタンを押す。
エレベーターがそこにたどり着くまでに30秒も掛かからなかったが、エルには永遠のように思えた。
長い。長い。長い。本当に長い時間だった。永遠にも思えた。
やがてエレベーターは停止し――――
扉はゆっくりと開いた。




