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果ての無きワイルドハント  作者: 半纏豚
萎れた薔薇
6/11

5話

 「うーん……急に寝ろって言われてもなぁ……」


 アイリスは、今ベッドで横になっていた。

 その部屋はアイリスの寝室である。


 その部屋は先刻居た執務室から繋がっており、出入り口は執務室の奥に隠されるように設置してあった。


 遡る事数分前、アナとの長い様で短い会話を終えた後、アイリスは体を洗い、彼女に寝室へと連れて来られていた。


『もうすぐ着くからこそです。執務は私が進めておきますので、アイリス様は到着した時に備えて体力を温存しておいてくださいませ。昨夜もあまりお眠りになられてないのでしょう?』


 との事である。


 やはり頑固であったアナに押し切られ、アイリスは今ここで寝ているのであった。


 まだ、昼の只中。先程飲んだコーヒーのせいもあって、アイリスは重くない瞼を閉じたり開いたりしては、寝返りを打ってばかりである。


 眠れずとも横になっているだけで良いとはアナに言われたが、やはり落ち着かない。

 今は海も凪いでる様で、しんと静まり返っている。その静謐の中では頭の中に渦巻く様々な考えが言葉となって脳裏に響き、休むにはそれが非常に邪魔であった。


 目を瞑ってしまえば、それはより一層その煩さを増すだろう。アイリスはそれらをせめて少しでも払える様に、あえて目を開いて見知った部屋を観察する。


 あまり広くは無い其処にはベッドと小さなデスクが一つ置いてあった。

 デスクの上には、アイリスの日記帳とランタンが置かれている。

 そういえば、ここ一週間は書けていなかった事を思い出した。別に、今は書く気にならないが。


 その次に、壁へとアイリスは視線を移す。

 この部屋の壁は、執務室と比べて実に殺風景だ。壁に掛けられている絵画は無く、クルミ色の木材がむき出しだ。


 アイリスは、その実こういった部屋の方が好みである。


 色々飾られていたって、どうせ見る時間など無いのだから、最早それは視界を妨げる不必要な情報でしかない。というのが彼女の考えだ。


 しかし、その壁に掛けられている物が皆無という訳では無かった。


 壁には剣掛けが設置されており、其処には二振りの剣が置かれて、その下には剣帯も吊るされていた。

 

 そして、掛けられた二振りの剣。その内の一つが、先程までアイリスが腰に下げていた細剣、ペルセウスである。

 代々伝わる家宝の剣。その内の一振りであるそれは、よく手入れが行き届き、鞘の中で白銀の煌めきを放っている。

 その柄には、実に丁寧に(なめ)された後、黒に染め上げられた革が巻かれ、複雑に入り組む(スウェプトヒルト)には、幾何学的な文様が意味を持って刻まれている。それはまるで芸術品の様に美しかった。

 アイリスの誇りの象徴でもあるその剣は、きっと新大陸に到着すれば多くの狼を心臓を刺し貫くのだろう。


 そして、ペルセウスの下に置かれている剣は曲剣であった。正確にはカタナというらしい。

 アイリスはそれが極東から連合へ伝来した物だと聞いたことがある。

 それはペルセウスと比べても、その出来に遜色は無い。けれども、鞘にはかなりの埃が積もっていた。鞘の中に収められている刀身はその輝きを失っている。


 その剣を見た瞬間、アイリスの脳裏に忌々しい記憶が去来した。

 それは、出航直前の記憶。船に乗るアイリスを、ローズハート公爵家の面々や他の貴族が見送りに来た日の記憶。

 

 家庭教師(あの女)はその中にいた。


『そんな美術品一振りじゃ、折れちまった時に困るだろ? 二刀目は持っておきな。あぁ、それかアタシみたいに二刀流やってみてもいいんじゃないかい? 本流じゃあ狼共との戦争には耐えられないかもだろ?』


 十数年前の戦争における英雄らしいその女は、いつも通りの胸糞悪い悪趣味な笑みを顔に張り付けながら餞別だと言ってその剣を手渡してきたのだ。

 

 その言動は、ペルセウスへの。そして、一振りの細剣に命と誇りを懸けて戦うローズハート公爵家の歴史に対する最大級の侮蔑である。

 ふざけるな。と、脳内で叫び、結局口に出す事もできず笑ってその場を終えたことをよく覚えている。


 大体その女は家庭教師として、アイリスには細剣の振り方しか教えていなかった。       

 にも拘らず、術理が根本的に異なるカタナを渡してきたのは単なる嫌がらせだろう。

 

 アイリスは、彼女を憎んでいた。

 

 毎日毎日、滅多切りにされて床に転がされた記憶が脳裏に湧き上がる。

 一体何回、頭を踏みつけられただろうか。十を超えてからは数えるのを止めてしまったから、アイリスには分からない。


 ──もうやめよう。


 アイリスはため息をついて、開いていた瞳を閉じる。

 これ以上は、もっと嫌な記憶ばかりが溢れ出してしまいそうだ。それでは本末転倒である。


「……アイツより、私達の方が優れてるって、これから新大陸で証明すればいいだけだもん」


 そのアイリスの呟きは誰にも聞かれず、部屋の静謐へ溶けていった。

 そうして、頭から毛布に包まったアイリスはその足を抱えて丸くなる。


 やはり、この暖かい暗闇は心地良かった。そうしてアイリスは体の力をどうにかしてゆっくりと抜いていく。

 そして、感じてはいなかったが、やはり疲労はアイリスの体へ確実に蓄積していたらしい。


 気づけば、疲労が彼女の意識を深い眠りへ導いていた。




 ◇ ◇ ◇




 「んぅぅ……!! やっと終わったぁ……」


 そう言って、執務室で背を伸ばしているのはアナである。


 彼女はあの後、アイリスの執務を自分に出来る範囲で進めていた。

 かなり多くの仕事をやったと思う。気付いた頃にはもう日は沈み、空には月が昇っていた。

 波も、昼と比べて再度その強さを増している。

 船に柔らかい何かを打ち付ける様なその音は、昼のと比べて一層強く響いていた。


「……アイリスってば、毎日こんな事してるのね……今後はもうちょっと私に仕事を回してもらわなくちゃ」


 そう言いながら、アナは椅子から立ち上がった。

 長時間座り続けて、滞っていた血流が流れ始めるのを感じながら、彼女は後ろに存在するアイリスの寝室へと歩を進める。

 そうして音を立てないようそっと扉を開けると、其処にはやけにこんもり膨らんでいるベッドがあった。

 その膨らみは、ゆっくりと上下しており、良く耳を澄ましてみれば可愛らしい寝息も聞こえてきた。


 ──良かった。寝てくれたみたい。


 その寝方をするアイリスは昔からよく見た。どうやら彼女にとって、それが落ち着く寝相らしい。


 そうして、妹の休息も確認できたアナは、途端にやる事が無くなってしまった。


 「……夜風にでも当たってくるかしら」


 そうしてアナは執務室から甲板へと向かう。

 夜の船内には人は殆どおらず、僅かに灯った蝋燭の光が廊下を僅かに照らすばかりであった。

 

 そして廊下の中腹にあった階段を登り、潮の匂いが漂う甲板へと出たアナは、その視界へと飛び込んできた夜空に、思わず息を呑む。


 その夜空は雲一つ浮かんでおらず、星々を遮る人工の光が無いこの海で、彼等は存分に自らを輝かせていた。

 そして、その星の煌めきに負けない存在感を放って浮かんでいるのは、薄く細められた黄金色の三日月である。

 その淡い月光は、船団を優しく照らしていた。


 アナは自身が腰に下げるその直剣、アイギスくらいは置いて来れば良かったなと思いつつ、結局それも面倒くさくて、その顔を空へと向け続けた。


 ずっと、この夜空を見ていたいと思う。けれど、それは叶わない事は分かっていた。


 ──このまま航海が一生続けばいいのに。


 これからの苦難を想像して、アナはそう思わずにはいられない。

 アナは正直な話をすると戦いが嫌いだ。だって、疲れるし、痛いし、汗もかく。

 それ以上に、アナがアイギスを振るうのは自身かアイリスに危機が迫っている時だ。

 

 危機なんて、そんな物無い方が良いに決まっている。

 だが、新大陸へと到着してしまえば、ほぼ毎日が狼という危機との戦いになるだろう。


 であれば、せめて。この綺麗な夜空を時間が許す限り目に焼き付けておこう。

 そう思い直したアナは、再度星空を見上げた。


 


 ……昼と比べて妙な波を打つ海面。その真下で渦巻く無数の影は夜闇に溶け込んでいて、アナの視界には映らない。

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