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果ての無きワイルドハント  作者: 半纏豚
萎れた薔薇
2/11

1話

 正午の空に昇る太陽に照らされて、煌めきながら僅かに波打つ広大な海面を、その船は進んでいた。

 

 巨大な船体の両面に刻まれた細剣の刀身に茨を巻きつかせながら鍔元に咲く薔薇は、人類の繁栄と戦禍が渦巻く地、現大陸において、且つては名高く今は没落した公爵家。ローズハートの家紋である。


 その船に、帆は今は張られていない。しかし、それにも拘わらずに船は海原を進んでいた。

 船の両端に付けられた大きな水車は、しっかりと水面を捉えて回転している。そうして水車板に押し出された海水が、船体に推力を与えているのだろう。


 その船は、蒸気船というらしい。現大陸において、この船が登場したのは最近の事である。

 故に、この船の所有者はこの船の機構の事をあまりよく理解できている訳では無かったし、名を知ったのも大洋を渡る為、自らが乗る船を探していた時であった。

 

 彼女にとってボイラーが水を蒸気に変え、それがレシプロ機関を駆動させるという話を聞いていた時、まるで遠い空を眺めている様だ、と言われたのは今は隠したい過去である。

 彼女はずっと、剣といくさ。そして誉の事以外を学ぶ機会が無かった為、当然と言えば当然だが。


 さて、船の所有権を握るその少女。アイリス・ヴィクトリア―ナ=ローズハートは、今は甲板を歩いていた。


 風がよく吹いていた。その潮風は甲板を歩く少女を容赦なく煽り、ハーフアップに結われた絹糸の様に滑らかなプラチナブロンドの長髪を強くはためかせる。


 だが、彼女はその強い潮風に怯むことはない。

 長く細く整ったその足が優雅に高い足音を響かせながら、目の前の艦橋へ彼女を運ぶ。


 そうして、艦橋へ続く僅かな階段を登った先にあったその扉をアイリスはノックした。


「……失礼いたします」


 そうして彼女は室内に居るであろう男の返答を待たずに扉を開ける。

 そうして開けた扉の先には、彼女が航海士として雇った男が椅子に座っていた。


「あぁ、なんだ。キャプテンでしたか。びっくりしたなぁ。どうしたんです、こんな時間に?」

「いえ、申し訳ございません。大した要件では無いのです」


 そう答えたアイリスは、部屋の壁に取り付けられた窓が映す、海原の水平線を眺めながら本題を切り出した。


「ただ、この航海を始めて、そろそろ半年が経ちます」

 

 アイリスは、航海を知らない自らが、この大洋を渡る為に雇ったその男に問いかける。


「……であれば、もうそろそろの筈です。──私達は、あとどれ程で”新大陸”へと着くのでしょうか?」


 問い掛けるその声音は、どこか戦を前に張り詰めるような、それでいて、大事な茶会にでも遅刻しそうで焦っているウサギの様でもあった。

 

 「そうですねぇ……最後の補給地点を通過してから今何時間たってましたっけ?」


 そうして、航海士として雇われたその男は対照的に、浮かない声音で問い返した。

 アイリスはその返答に内心で大きな溜息をつく。

 

 ──残り少ない私財で雇っているのだ。それくらいは自身の責務として把握しておいてほしかったな。

 

 と、心の声で、やる気の無さそうな男へと告げるが、実際に声には出さない。 

 そして、彼女は服の胸ポケットから懐中時計を出すとこう告げる。


「今は12時57分です。あの島から出てから、12回日が沈みました」


 その懐中時計は、その船の家紋と同じほど。いや、それ以上に見事な物であった。

 純銀で造られたその蓋には、船に描かれた家紋がより緻密に、そして立体的に刻まれている。


 そして、それは彼女が懐中時計を取り出した服も同じであった。

 新雪を思わせるかのような、真白の生地のサーコートは艶やかな茨の意匠を随所にちりばめ、肩を覆うケープにはその背に赤い薔薇を背負っている。


「……あぁ。はい、そうですか。どうも。でしたら、あと一日かそこらで着くと思いますよ。今はまだ見えないけど、一晩たちゃ新大陸も見えてくんじゃないですかねぇ」


 そう答えた航海士の男の声は、明らかに先程よりも沈んでいた。眉は八の字に折れ曲がり、苦虫でも嚙み潰したかのような渋面を隠そうともしていない。

 それに、彼女の幼少期から鍛えてきたその優れた聴覚は、彼が口の中で呟いた言葉を聞き逃していなかった。


 ──畜生。もう狼共の縄張りじゃねぇか。


「そうでしたか。有難うございます。では、遂に時は満ちたという事ですね」


 だが、その言葉を聞いたアイリスは、航海士とは対照的にどこか煌めいたような表情を、その絵画に描かれた様な端麗な顔に浮かべて海原の水平線を見つめる。

 その煌めきは、あらゆる物に追い詰められた人間が、手に握った短剣に”救い”を見出している時の様な、くすんだ煌めきである事をその航海士はこの半年で気付いていた。


 ……が、それは決して口には出さない。


 それは、彼女にとっての傷であるらしいから。

 

 とは言え、目の前に死神に追い立てられている人間が居て、それを見て見ぬふりする程、自身は落ちぶれた人間ではない。というのがその航海士の自認であるらしい。

 

 彼はその新大陸へ、どこかズレた希望を抱いているらしい少女へ、せめて己が知る事実は教えてやろうという老婆心から口を開く。


「……あのですねぇ、キャプテン。一攫千金の噂は……確かにマジっちゃあ、マジなんですけど、それ以上に新大陸ってぇのは──」


 だが、航海士の助言は、最後まで出てくる事はなかった。

 だってそれは、彼女の言葉に遮られたから。


「はい、無論分かっています。新大陸が、私達人類にとって希望の新天地等では無いことくらい。大洋を挟んでなお、”狼”の噂は私の故郷にまで届いていましたから」


 ”新大陸”。それは一世紀前、人類が見つけた新たなる大地。そして、ゴールドラッシュの舞台。

 人類の文明、或いはその繁栄を支え続けてきた”エーテル”と、遙かな未来を行く、未知にして古き叡智”遺物”が眠る場所。


 人類とは欲深い。当然多くの人間が手つかずの地。そして、其処に眠るエーテルを少しでも己の物としようと乗り込んだ。

 そして、新たな大地で巨万の富を夢に見ながらその地に足を踏み入れた者達は。


 異形なる化生のはらわたを棺桶にして、二度と帰っては来なかった。


「だからこそ、私達は新大陸へと渡らねばならないのです」


 しかし、彼女はそれを知ってなおそう語る。


「私達は富を求めて大洋を渡ったのではありません。…人類の敵がいる。そしてその大地で彼等の脅威に怯えて眠る人々からその不安を除く為、私達は剣を手にここまで来たのです。だって、私達は生まれながらに、義務とそれを果たす為の(ちから)を与えられていますから」


 そうして、彼女は腰に巻く剣帯に差した、素人目から見ても名剣だと断言できる流麗な細剣の柄を撫でる。

 

「……たとえ、狼の爪と牙を前に力及ばず斃れても構いません。一人でも多くの命が救えたのなら、その人達がきっと、私の生に意味を見出してくれる。その時に私達は責任を負う者として、気高くこの命を燃やしたのだと。そう、胸を張って言えるはずです」


 その答えを聞いたからこそ、航海士はこう思う。


 ──あぁ。こいつらはやっぱり長く無い、と。

 

 純粋に富を求めての開拓者であるならば、或いは違ったかもしれない。彼等は、現実に打ちのめされ、それでもなお自身の幸せに執念を燃やし、その地獄へ渡るのだ。例え、か細い夢でしか無くとも、生存という一点においては地に足を付けている。何が何でも生き残ろうという意思を持つ者は、実際、強者か弱者かは別にして、存外長生きするのである。

 

 だが、彼女の語るそれには現実味が無いのだ。

 彼女はそれを大いなる義務ノブレス・オブリージュだと呼ぶ。しかし、俗に言えばそれは所詮、机上の空論にして浮ついた子供の綺麗事でしかない。

 今更、そんな物を掲げて死地へと飛び込もう等、時代錯誤も甚だしい。

 気高きいくさ。そんな物はとうに滅んだ。

 今や人類の戦いとは、利益の為の戦争である。だからこそ、古い誉を引きずる彼女の家は、時代に取り残されているのだ。

 名誉の死などに夢を抱くような者が、どうして長く命を繋ぐことが出来よう。


「分かりましたよ……そこまで言うんなら俺は止めません。ですがね、キャプテン。やっぱ、俺からすりゃそれは自殺行為にしか思いませんよ」


 そう言って、航海士はこれ迄にも何度か彼女達に語った事を言い放つ。


「違約金は払います。ですんで、向こうに付いたら俺はこの船から降ります。善意で心中に付き合う程、聖人やるつもりはありませんぜ」

 

 命あっての物種である。名誉だなんだと、その日の腹すら満たせない物の為死んでたまるか。

 それは、きっとそういう宣言であった。


「……分かっております。元々、この戦いは我々の物。ここまで運んでくださっただけでも大変有難く思っております」


 聞きたかった答えは聞けた。

 彼が言葉の裏に隠した宣言を脳裏に反芻しながら、少女はその返答と共に踵を返し、彼の元を後にする。


 ……また一人。自分の元から去っていった。

 だが、それを悲しい事だとアイリスは思わない。思わない様、目を覆う。


 だって自分には、真に志を同じくする仲間がいる。決して大勢とは言えないが。

 

 ──きっと、彼等なら……いや、彼女なら。私を置いてどこかになんて消えはしない。だから、大丈夫。私はまだ、全てを喪ってなんかいない。

 

 そうやって、自分自身に言い聞かせながら、膿んだ心に嘘でできたガーゼをまた一枚重ね、少女は、その部屋の扉を閉めた。

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