十四・禍福は糾える縄の如し
ワーカーと分かれた後、クルッカとガドールはロックの病院に向かっていた。
クルッカの表情は険しく、先程からずっと口を閉ざしている。今にも泣きそうな子供みたいに、ガドールの手をしっかりと握ったまま、離さない。
「おい」
らしくないクルッカに少し苛立ちながら、ガドールが声をかけた。クルッカの気持ちが分からない訳ではない。けれど、こんなクルッカを黙って見ているガドールも辛いのだ。
「泣くか、笑うか。どっちかにしろ」
「……選択肢、極端じゃない?」
我ながらに横暴だとガドールも思う。
「……分かった」
俯いていたクルッカが意を決したとばかりに顔を上げた。いつもの凛とした表情のクルッカにホッとしたのも束の間、繋いでいた手が強引に離された。
「ガドールはロックの所へ戻って」
「お前は?」
「……後から行く」
クルッカはジャケットを翻すと、走り出した。向かっていた方向とは、逆の方へ。
「おいっ!」
ガドールの声にクルッカは振り向きもしない。慌てて、ガドールが追いかけようとした、その時。
「ダメ」
目の前に突如、どこからともなくマティアスが現れた。大きく広げられた両腕がガドールの視界からクルッカを消し去る。
「これ以上、クルッカを苦しめないで」
「お前……聞いてたのか」
ガドールの一言にマティアスは広げていた腕を下ろした。悲しげな紅蓮色の目が揺らぎながらも、しっかりとガドールを見据えている。
「クルッカにとって、ジェイドとチェイスは大事なんだ。ガドールがロックやクルッカを大切に思ってるように」
「だから……」と今にも消え入りそうな声でマティアスが言った。見れば、マティアスの肩は小刻みに震えていた。
「今はそっとしてあげて」
「マティアス……」
感情をあまり表に出さないマティアスにしては、かなり珍しい。それ程にクルッカを大切に思っているのだ。だからこそ、ガドールの心は更に傷んだ。
――馬鹿だな、俺は。
クルッカはずっと一人だった。誰にも思われず、気付かれないまま。孤独の中、それでも必死に生きてきたクルッカ。甘えたくても相手がいなかったクルッカが、初めて自らの意志で求めたモノをガドールは拒否してしまった。
"泣くか、笑うか。どっちかにしろ"
求めていたのは、そんな言葉ではなかった。クルッカが求めていたのは、ガドール自身だった。ただ、誰かに傍にいてほしかった。それだけだったのに。
「何やってんだよ……。俺は……」
「ガドールは……悪くないよ」
マティアスがガドールに近付く。下唇を噛み締め、俯いているガドールにそっとマティアスは手を伸ばす。
「心配、してたのは分かってるから」
ガドールの肩にマティアスの手が置かれる。その感触にガドールはゆっくりとマティアスを見た。不思議な事に自然と心も落ち着いて来る。
「行こう。ロックが待ってる」
「……あぁ」
「大丈夫。クルッカは戻って来るから」
マティアスが口の端に笑みを浮かべる。
――不思議な奴。
ガドールもマティアスにつられて、微笑む。ぎこちなく上がった口の端に違和感を感じるが、満更悪い気もしない。先程までの憤りは綺麗さっぱり消え去っていた。
「今、クルッカに近いのはガドールだと思う」
マティアスが右手の人差し指でガドールを指差す。「僅差だけど」とガドールの気にしている事をズバッと言い放ったマティアスはどことなく、大人びて見える。
「みんな、クルッカの事を大切に思ってる。俺も含めて」
ガドールよりも十二cm程小さいマティアスがガドールを見上げる。見上げられるのは慣れているはずなのに、何となく落ち着かない。紅蓮色の目とバイオレット色の目がしばし、互いを見合う。
「ガドールはクルッカの事、好き?」
「……あぁ、好きだ」
ガドールの返答にマティアスは満足気に笑った。
「なら、もう何も言わない」
「ガドールなら分かるはずだから」と付け足し、マティアスが歩き出す。子供っぽいのか、大人っぽいのか、よく分からないマティアスにガドールは首を捻る。
――大人と子供が同居してるみてぇ。
「ガドール」
「へいへい」
マティアスの隣にガドールが並ぶ。妙に物足りない左手に少しだけ残っているぬくもりを握り締め、ガドールは病院に向かった。
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ふわふわとした心地のいい眠りから、ロックは目を覚ます。確か、病室で寝てしまったんだったかと目を擦りながら、ロックはふと違和感に気付く。
「静かすぎないか……?」
静か所か、音が一つもしない。ぼやけた目を何度か瞬かせ、ようやく状況を確認出来たロックは驚いて目を見開く。そこは病室ではなく、どこかの森の中だった。鉛色の空にはぶ厚い雲が詰まっていて、大粒の雨が降っている。と言っても、雨粒は宙に浮いたまま、微動だにしていないのだが。
――どこだよ、ここ……。
理解の出来ない状況にロックが首を捻っていると、突如、ザァーッと大量の雨粒が降り注ぐ。急に鳴り出した音にロックはビクリと肩を揺らす。
「何なんだよ、ここ」
「うっ……」
音が戻ったと同時に足元から誰かの呻き声が聞こえてくる。恐る恐る、視線を落とすとそこには見知らぬ男が息も絶え絶えな状態で転がっていた。
――さっきまで人なんていなかったはず……。
右肩から腹まで深々と斬られた傷口からは、鮮血が流れ出し、水溜まりを赤く染めている。傷口は泥水やらで汚れたまま、放置していたのか、化膿しており、恐らくもう助からないだろう。
「こいつ、騎士か?」
男の着ている服には見覚えがあった。泥や血の汚れが酷く、気付く事に遅れたが、襟元に付いている騎士の証であるバッジだけは一切汚れていなかった。
「あっちに誰かいる!」
ロックは男を一瞥した後、人の気配のする方へ走り出した。道中には、無残な死体がゴロゴロと転がっており、そのほとんどが騎士団員だった。
「誰か――。誰かいないのか!?」
声を上げながら叫ぶも、返ってくる声はない。これは悪夢だろうか。あまりの惨状にロックはその場に蹲り、冷静になろうと目を閉じる。
「夢なら覚めろよ。頼むからさ……」
しかし、その願いは届かず、聞こえて来るのは雨の音のみだ。何故、こんな夢を見ているのか、ロックには訳が分からなかった。
「……そういえば」
そんな時、脳裏にある事が過ぎる。あれは確か、今から七年前。王立騎士団と理想派と呼ばれる人々との間で大きな戦いがあったらしい。理想派というのは、おとぎ話に出てくる楽園を崇拝し、楽園へ行く為の鍵とされるクリスタルに異常な執着を見せている人々の事だ。彼らは楽園を崇拝するあまりに過激な行動が目立つようになり、騎士団が鎮圧に成功したと言われている。人々はその戦いを物語の登場人物から取って、マッドハッターと呼んでいたはずだ。
「殺せっ!クリスタルのために」
名前の由来は理想派のリーダーが帽子を被っていたからだそうだ。彼のやり方は狂っていて、文字通りいかれていた。クリスタルに執着した彼の心はクリスタルを得る事でしか、満たされなくなっていた。
「ぐぁっ!」
「チェイスっ!」
次にロックが目を開けると、そこは先程の森とは違う、どこかだった。夢ならありがちな事だが、そんな事よりもロックは目の前に広がる光景に目を奪われていた。チェイスと呼ばれた少年は斬り付けられた肩を抑え、敵の男をギロリと睨み付けている。
――何でチェイスが……。
その傍らには栗色の長髪に青い瞳をした少年がおり、チェイスを庇うように前に立っている。
「諦めろ。お前らのような若輩者にこの俺は倒せない」
二人と対峙している男が刀についた血を舐める。大きな帽子を被った男は、二本の刀を持ち、楽しそうに笑みを浮かべている。彼がいかれ帽子屋――マッドハッターと呼ばれた男だろう。
「大人しく、俺に殺されろ」
マッドハッターが二人との距離を一気に詰める。チェイスは栗色の長髪の少年――モロを押しのけ、片手で大鎌を振るった。
「くっ……」
大鎌と刀が十字に交わり、火花を散らす。深手を負ったチェイスに二刀流のマッドハッターはどう考えても不利だ。
「チェイスっ!」
「行け、モロっ!こいつの相手は、俺がするっ!!」
チェイスは大鎌で刀を弾くと、柄を両手で掴み、マッドハッターを斬りつけた。レイピアよりも重い大鎌は振るうだけでも一苦労だ。それなのに、チェイスはモロを逃がすためにあえて、攻撃したのだ。
――このままじゃ、二人とも……!?
「行けっ!」
「甘いわ、若造が」
マッドハッターの刀の一本が大鎌を弾き、もう一本の刀でチェイスを斬りつけた。電光石火の如く、鋭い刀の一撃にチェイスが苦痛で声を上げる。
「行ける訳……ねぇだろうがっ!」
モロがレイピアを握り締め、マッドハッターを斬りつけた。細身のレイピアは今にも折れそうな程しなっている。
「死に損ないが」
マッドハッターの二本の刀がモロを襲う。少しでも気を抜けば、首が飛んでしまう。そんな緊張感の中、レイピアで刀の攻撃を受け止めるモロ。チェイスには劣るが、モロもかなりの実力者だ。
「まずはお前からだ」
マッドハッターが不気味に笑う。心から人を殺す事を楽しんでいると言わんばかりの表情に、だからこそ、彼がリーダーになったのだとロックは痛感した。
「モロっ!」
ロックが叫んだ瞬間、マッドハッターの二本の刀がモロを斬りつける。大量の血が傷口から噴き出し、血の雨が降る。
「かはっ……」
「モロっ!!」
モロの体が力なく、地面に倒れる。そんなモロをニヤつきながら、見下ろしているマッドハッターは一本の刀を地面に刺した。
「まだ落ちるなよ?ここからがいいとこなんだからよ」
「お前っ……」
チェイスの目に今までにない殺気が込もる。ぐっと拳を握り締める度に肩から血が流れていく。これ以上戦えば、命の保証はない。チェイスが先に倒れるか、マッドハッターが倒れるか。まさに命懸けの賭けだ。
「チェイス……」
届く訳もないのに、口に出さずにはいられない。見ているだけなのに、こんなにも胸を締め付けられる。辛いなどという言葉では表せない、この感情が鋭い痛みを走らせる。
――こんなにも苦しいのか。
「モロから離れろっ!」
チェイスが叫ぶと同時にマッドハッターを光の球が襲う。球は線となり、目にも止まらぬ速さで次々とマッドハッターへと降り注ぐ。
「ぐっ!?」
「調子にのるな。いかれヤローが」
チェイスが大きく大鎌を振るう。その度に光がマッドハッターの元へと飛んでいく。
「っ……」
マッドハッターがガクリと膝をつく。光の攻撃をもろに食らったマッドハッターは、血まみれだ。
――これが、number3の力……。
桁が違いすぎる。さっきまで一方的だった流れが、一気に逆転して、相手をここまで追い込んだ。元々、五分五分だった二人の実力が今は天と地まで差がひらいたのだ。
能力を持たない人間が能力者には勝てない。そうまざまざと言われているような気がした。
「動くんじゃねぇ!」
しかし、時として運は悪戯を仕掛ける。このままではつまらないと。今回の場合、マッドハッターが目をつけたのはモロだった。
「っ!」
モロの左手を掴み上げたマッドハッターは、一本の刀をモロの左肩に当てた。大量出血のせいで、モロの意識は朦朧としているのか、目は焦点が合わずに小刻みに揺れている。
――早く助けないと……!
「動けば、こいつの命はないぞ」
「……外道が」
チェイスの大鎌がスっと光になって、消えていく。人質がいる以上、下手な事は出来ない。故にチェイスは武器を収めた。マッドハッターの目には、そう映ったに違いない。
「電光石火」
ザシュッ――。
「……は?」
バシャンっと水たまりに何かが落ちた。マッドハッターが恐る恐る、水たまりを覗き込めば、水たまりには濁った水と共に赤い鮮血が混じっていた。もちろん、その血はマッドハッター本人の血だ。
「う……腕がっ!?」
マッドハッターの腕は刀を持ったまま、根元から斬り落とされていた。
「ざまあみろ」
チェイスが大鎌の柄を肩に当て、ベーっと舌を出した。訳の分からないマッドハッターは目を丸くし、チェイスを見ている。
――力の象徴化か。
チェイスを始めとする、code numbersは各々自らがその身に宿している能力を操る事が出来る。風のように見えないモノを具現化させ、武器にしたり、装備したり出来るのだ。その一方で、自らの体を象徴化させたりも出来る。それを力の象徴化と言う。
チェイスの場合、自らを光に象徴化させ、マッドハッターの腕を切断したのだろう。
「お前、能力者なめすぎ」
どこまでも抜け目ないチェイスは余裕たっぷりにマッドハッターを見下ろしている。涼しげな表情のチェイスは、恐ろしくもあるがとても美しい。
「光に抱かれて、逝きな」
パチンッとチェイスが指を鳴らせば、シュンっと風を切る音が辺りに消え入り、マッドハッターは倒れた。
「マッドハッターを終わらせたのは、チェイスだったのか」
ロックはマッドハッターをじっと見据えた。光の刃で貫かれたマッドハッターは、目を見開いたまま、死んでいた。ロックはマッドハッターの目の上にそっと手を添えた。
「逝って来いよ、楽園へ」
ゆっくりと閉じていく瞼を見送るロック。手向けとして送った言葉に、精一杯の皮肉を込めて。マッドハッターが行く先は楽園とは呼べない、闇の世界であるとロックには分かっていた。
ようやく、全てが終わった。
そうロックが思った、その時――。
「ぐわっ……!!」
突如、チェイスがその場に崩れ落ちた。うめき声を上げ、のたうち回るチェイスは心臓を抑えている。
「チェイスっ!」
慌てて、ロックがチェイスに駆け寄った。美しく整った顔は苦痛で歪み、痛みのせいで生理的な涙が流れている。
――何かの発作か?
「チェ……イス……!?」
モロがチェイスの異変に気づき、ゆっくりと頭を上げる。栗色の長髪には所々に血が固まって、こびりついている。
「モロ……近付くなっ……!」
「っ!?」
チェイスの目がモロを捕らえる。いつものライトグリーンの目がだんだんと透明になっていく。
――光の暴発っ!?
能力は能力者の感情に左右される。例を挙げれば、ガドールが怒るとキューの先端がバチバチと音を立てるように、感情を糧に能力は威力を増す。しかし、能力が負の感情に侵されすぎると、能力者自身がコントロール出来なくなってしまい、暴発してしまう事があるのだ。
「チェイスっ……!」
モロが名前を呼んだ瞬間、辺りが白一色に染られる。耳を劈く爆発音と共に光が弾けた。
「っ……!!」
ロックの体に感覚はない。思えば、先程から雨が降っていたというのに体は一切濡れていない。
「チェイス君っ!」
不意に聞き覚えのある声がして、ロックは目を開ける。すると、視線の先には先程までいなかったはずの男がいた。
「……じいちゃん」
じいちゃんと呼ぶには、あまりにも若い男は確かにロックの祖父・シュネル=ペプラムだった。おかしい話ではあるが、今から七年前、シュネル=ペプラムはここにいたのだ。
――ジェイドが言ってた事は、マジだったのか。
「来るなっ――!!!」
チェイスの叫びが辺りに響く。ロックはその声に混じった、誰かの悲鳴をしっかりと聞いていた。その声は、モロのものだった。
「ロック、しっかりしろ!!」
誰かに呼ばれている。振り返ろうとすると、景色が一瞬ぼやける。数回の瞬きの後、見慣れた茜色とバイオレット色が見え、呼んでいたのがガドールだったと理解する。
「あれ………」
――戻って来れた………。
「大丈夫?」
心配そうに顔を覗き込んでいるマティアスにロックは「大丈夫だ」と微笑んだ。何だかよく分からないが、声が届く事、ちゃんと自分を認知してもらえている事にひどく安心する。
「ったく、心配させんなよ」
「ごめんな、ガドール」
「……無事ならいい」
ガドールはそう言うと、ぶっきらぼうにロックの頭を撫でる。その手の温かさにロックはあの謎空間から帰って来れたのだと実感出来、一人安堵する。
「それで、クルッカは?」
「ちょっと用事。すぐ戻って来るって」
「ね」とマティアスがガドールの方を見る。「あぁ」と頷いたガドールは、窓の外に目をやる。相変わらず、立ち姿が絵になる超絶イケメンだ。つくづく憎い。
「そうですか。では、君達には先に言っておきましょう」
「何だよ、一体」
「ロマノフ=ジョーヴァンの裁判が明日、行われるそうです」
ジェイドの一言にロックはガドールが眉を顰める。
「裁判には私が出席します。心配でしょうが、判決が出るまで大人しくしていてください」
「別に暴れる気とかねぇよ。誰かさんと違ってな」
「……念のためです」
まだ許していないと言いたげなガドールの突き刺さる視線にジェイドは複雑そうに眉を顰める。
「自業自得だぞ、ジェイド」
「……分かっています」
ジェイドを励まそうとわざと茶化すチェイスに対し、その件にはもう踏ん切りを付けたジェイドはいつもの涼し気な顔で返す。
「あれ?何で元気なの?ちょっと前まで落ち込んでたくせに」
「何の話ですか?」
「いつの間に逞しくなったんだよ、お前」
チェイスはやれやれと肩を竦めながら、いつもの調子を取り戻しつつあるジェイドにどこか安堵しているようだ。
――……アレは、結局何だったんだろう。
そんな二人を眺めながら、ロックは先程見た白昼夢のようなモノについて考えていた。アレがチェイスの過去ならば、何故それを自分が疑似体験のような形で見る事が出来たのか。
――考えても分かる訳ないか……。
「おい、ボーッとしてどうした?」
不意に視界にガドールが入って来る。ロックの様子がおかしい事に気付いたらしく、視線が肩に向かっている。
「痛むのか?」
「いや、そうじゃなくて……」
「違うならなんだよ」
ベッドに腰掛け、ガドールがロックを見下ろす。茜色の前髪から覗く、バイオレット色の瞳が何故だか不気味な光を宿している。
――ガドール……?
「……お前、"何"を"観た"?」
「え……」
ギクリと体が反応する。答え次第ではガドールがこちらに何かする気なのは明らかだった。それがいつものチョップや蹴りではない事も。
――この"眼"、どっかで……。
ロックの脳裏に何かが引っかかりかけた時、チェイスが遠慮がちに声をかけてきた。
「あ〜、今大丈夫か?」
チェイスが遠慮がちに声をかければ、頭上から小さな舌打ちが聞こえてきた。何か察して、やって来たチェイスを邪魔だと思ったのか、何なのか。ガドールは髪をかきあげながら、ベッドから立ち上がる。
「……あぁ」
――助かった……。
いつもは頼もしい背中が何故だか、怖いと感じてしまった事に罪悪感を覚えるも、ロックはひとまず安心と息を吐く。それを見ていたチェイスは「お前も大変だな」と苦笑を浮かべる。
「何か空気が空気だったから、放っとけなくてさ」
「そっか、ありがとう。俺は大丈夫だよ」
チェイスの視線がそろりとロックの肩に向けられる。今日、何回その視線を向けられてきたか、数えるのも億劫な程だ。
――怪我した俺より、周りが気にしてどうすんだよ。
「本当、ごめんな。クルッカとジェイドの事、止めようとしてくれたのに」
「もういいって。と言うか、もう謝るの止めようぜ。な?」
「ロック……」
おもむろに伸ばされた手がロックの頭で止まったかと思えば、慣れた手付きで撫で回された。ロックよりも一回り大きいチェイスの手は見た目の細さからは想像出来ない程、男らしい。
「……何か、お前……小型犬みたいだな」
「小型犬っ!?」
「そう。撫で心地いいし、髪も犬の毛っぽいし」
「褒めてねぇからな、それ!!」
ロックの頭を撫でるチェイスの頬は緩みっぱなしだ。本当に小型犬でも撫でているかのような表情に、「あ〜、癒される」などと呟く始末だ。
――男の頭撫でて、癒されるって……。
複雑な反面、ロックはチェイスのもう片手をぼんやりと眺めていた。誰もが、人には言えない過去がある。ずっと一緒にいても、知らない過去がある。知ってしまうと、何で笑っていられるのだろうかと考えてしまう。
――強いな、みんな。
だけど、過去があるから今がある。やってしまった事は、もう取り返せない。二度と、同じ時間へは戻れない。だから、悔いのないように今を一生懸命生きようと足掻くのだ。
"自分から行動しないと前には進めない"
未来で、こうして笑っていたいから。そのために、ここにいる自分達が未来を守らないといけない。他の誰でもなく、自分自身で。
"世界はロック、君を助けてはくれない"
ロックの頭の中でクルッカの言葉が再生される。ロックが困った時、道を示すように勇気づけてくれたクルッカの言葉の真意をロックは理解した。
――クルッカ……。
「チェイスっ!」
ロックがクルッカを想ったのとほぼ同時に、勢いよくドアが開いた。息を切らせて、病室に入って来たのはクルッカだった。
「ん?どうしたんだ、そんなに急い……で……」
ロックを撫でていた手を止め、チェイスがクルッカの方へ振り返る。すると、そこにはどこか見覚えのある栗色の短髪の男が立っていた。
「よお、七年ぶりだな。相棒」
「モルドレッド――ッ!!」
チェイスよりも先に反応するジェイドは、モルドレッドを鋭い目付きで睨み付けている。対して、モルドレッドもジェイドを見るなり、眉間に皺を深く刻んでいるあたり、仲はよくないらしい。
「クルッカ、何故彼を――!?」
「はいはい、騎士様はこっちな」
冷静さをかいたジェイドを羽交い締めにし、病室の端へと追いやるガドールとそれを手伝うマティアス。ジタバタと暴れているが、二人がかりではジェイドも大人しくなるだろう。
「……何だよ、お化けでも見たって顔しやがって。片腕がなくなったくらいで俺が死ぬ訳ないだろ」
ジェイドに中指を立てた後、男――モルドレッドは失ったはずの左手の拳をチェイスの胸に軽く当てる。僅かにした機械音から、それが機械鎧であるのだという事に気付く。
「違う、そういう事じゃ――ッ!」
「違わねぇよ、俺は死んでねぇ」
「死んだんだよ、お前は!!」
チェイスの叫びが病室に響く。いつものチェイスらしからぬ言動にチェイスとモルドレッド以外の一同は小さく息を呑む。
「俺が、お前を……騎士としてのお前を殺したんだよ!!」
チェイスはモルドレッドの左手を掴むと、鬼気迫る表情でモルドレッドを見る。一触即発、そんな空気にモルドレッドを連れて来たクルッカは不安気に二人を見つめている。
「違います、あれはどう見ても事故だと何度も――!」
「……ジェイド、少し黙ってくれないか?」
「しかし!!」
「黙れよ」
強い口調に背筋に悪寒が走る。関わって来るなとあからさまな拒絶に何か言いたげなジェイドは納得出来ないと顔を歪める。
「ハッ――、笑わせんな。お前が俺を殺せるかよ」
チェイスの固く握られた手を払い、モルドレッドは自身の腰に携えていた武器の一本であるレイピアを無造作にチェイスの方に放り投げる。
「俺は死なねぇ!そう言ったのを忘れたのか?」
咄嗟にレイピアを受け止めたチェイスは、それを見て、目を見開く。新品のように綺麗なレイピアにはチェイスの名前が刻まれており、昔モルドレッドに託したものらしかった。
「……正直、片腕がなくなった聞いた時は終わったって思ったさ。でも、んな事より、俺が傷付いたのは相棒だと思ってたお前が勝手にいなくなった事だ」
「――ッ!!」
「だから、まぁ、そういう意味じゃお前の事は許せねぇよ。けど、ジョックも言った通り、左腕の件は別だろう。アレは俺が逃げ遅れたせいで、お前のせいじゃない」
諭すように優しい口調で告げるモルドレッド。ジョックというのはジェイドの事らしい。しかし、チェイスがそれで納得する訳もなく、眉を顰めた顔はとても苦しそうだ。
「じゃあ、俺はどうしたらよかったんだ……?相棒面して、お前の隣に立ってればよかったのか?そんな事、出来る訳……」
「それでも俺は……、いて欲しかった」
「なっ――」
「お前と……一緒に生きたかったんだよ、チェイス」
モルドレッドの声が微かに震える。七年越しの思いの丈をぶつけられたチェイスはどう返すのか。チラリと視線を向ければ、そこには驚いた表情で目から一筋の涙を流すチェイスがいた。
「チェイス……?」
涙を流すチェイスに一番動揺しているのはジェイドだった。双子だから、何でも分かると誰かが言っていたが、今のジェイドにチェイスの気持ちは1ミリも分かっていないようだ。
――ずっと苦しかったよな。
あの日からずっと罪の意識に苛まれ、苦しみ続けてきたチェイス。過去の一部を盗み見したロックがその全てを知る事は出来ないが、悟られないように飄々とした態度を取り続ける事は簡単ではないだろう。
「ごめん……。今更謝っても意味ないかもしれねぇけど、本当にごめんな……」
「いや、それを言うなら俺の方こそ、ごめん。もっと早くに会いに行けばよかった」
堰を切ったようにボロボロと涙を流すチェイスにつられ、モルドレッドも薄らと目に涙を浮かべている。相棒が泣いている手前、泣く訳にはいくまいと堪えているように見える。
「――仲直りしようぜ。七年越しのさ」
「あぁ」
ぶっきらぼうに涙を拭い、差し出された手にチェイスが自身の手を重ねる。充血した目はまだ潤んでいるが、どこかすっきりしたように見える。
「おかえり、チェイス」
「……ただいま、モロ」
モルドレッドの愛称を口にしたチェイスは、七年間のしがらみからようやく解放されたのだった。




