十三・白騎士年代記(クロニクル)
真っ赤な絨毯の敷かれた廊下を騎士団員のコートを着た少年は歩いていた。
「チェイス」
声をかけられ、少年――チェイスが振り返ると、そこには、少し疲れた顔をしたジェイドがいた。
騎士団に入って四年、王族直属の騎士――王族騎士団に所属する事となったジェイドは、久々に見るチェイスの顔にホッとしたような表情を浮かべた。
「よぉ、忙しそうだな」
「忙しいと言っても、やっている事は雑用ですけどね」
「そう言いなさんなって。平和なのはいい事だろ?」
チェイスの言葉に「それはそうですが」と不服そうに眉を顰めるジェイド。騎士道を重んじ、騎士になったというのにジェイドはどうも顔に似合わず、血の気が多い。
「お前、本当戦うの好きだな」
「別に、そういう訳では……」
「いや、顔に書いてあるぞ」
チェイスがからかい半分にジェイドの顔を指差す。すると、生真面目なジェイドは、近くに取り付けられている窓を鏡代わりに自分の顔を覗き込んだ。
「あ〜…、マジで書いてある訳ないだろ」
「分かっていますよ」
「冗談です」とジェイドが意地悪く笑う。ジェイドの場合、どこまでが本気なのか、理解に苦しむ。元より、ジェイドにそういう事を期待してはいけないのだが。
「そういうチェイスはどうなのですか?」
「え、我?我はジェイドよりも格下だから、戦闘はしょっちゅう参加。そのせいで白騎士とかいう肩書きをもらったよ」
少し皮肉っぽくチェイスが言うと、ジェイドがクスクスと笑った。
「白騎士……ですか。これはまた……」
「似合わないだろ?」
白騎士とは、チェイスの能力である光からきている。騎士だというのに、剣を使わず、光で出来た大鎌を用いて戦う事から、騎士団の誰かがそう呼び始めたのがきっかけだった。
「そういえば、お前、クルッカには会ったのか?」
「いいえ。何分、忙しい身ですから。私もクルッカも」
この頃のクルッカはバウンティーハンターになって、まだ一年も経っていなかった。幼馴染のチェイスとジェイドからすれば、クルッカは実の妹のような存在で、心配の種でもあった。
「たまには息抜きしないと、体がもたないぞ」
「いつも息抜きしているチェイスに言われたくありません」
弟からの厳しい一言にチェイスは何も言い返せない。
「あらら…、怒られちゃった」
チェイスは片目を瞑り、ペロっと舌を出した。話を茶化してしまうのは我ながら悪い癖だと思う。しかし、そうでもしないとジェイドとまともに話せそうになかったのだ。
ジェイドは兄のチェイスよりも優秀だった。ストイックな性分のジェイドはいつも、チェイスの先にいた。決して傍にいる事はない。チェイスがジェイドの先を行く事がないように――。
「………と、俺、そろそろ行かねぇと」
「そうですか。呼び止めてしまい、申し訳ありません」
「気にすんなって。またな」
ジェイドに手を振りながら、チェイスはみんなのいる食堂へと向かった。
チェイスが食堂に着いたのとほぼ同時に、夕方を告げる鐘が鳴った。先程まで静かだった食堂に人が流れ込み、食堂はカオスな状態となる。
「おーい、チェイス!」
聞き慣れた声に、チェイスはそちらへ向かおうと人の流れに逆らっていく。
「大丈夫か?」
「何とかな」
少々疲れた表情のチェイスに声をかけたのは、チェイスの相棒の少年――モルドレッド=マローネだった。名の通り、栗色の長髪をした中尉だ。明るい性格でみんなから好かれていた彼はモロと呼ばれていた。
「というか、今日は遅かったな」
「ここに来る途中でジェイドに会ってな。ちょっと話してたんだ」
チェイスが言うと、モルドレッドは「ふ〜ん」と興味なさげに返した。前から思っていたが、モルドレッドはジェイドの事が嫌いなようだ。
人当たりのいいチェイスとは裏腹に朴念仁のジェイドを理解してくれる者は少ない。おまけに、言葉がキツイため、嫌っている人間も多い。
「あ、悪りぃ……」
「別に気にしてねぇよ」
「そうは見えねぇけど……」
「そんな事より、明日の事考えろ」
チェイスはテーブルの中央に置いてあるポットを手に取り、湯呑みにお茶を注いだ。
「明日はお前が俺達を束ねるんだからな」
チェイスは湯呑みのお茶に息を吹きかける。底に溜まっていたお茶の葉が湯呑みの中で、ゆっくりと回っていく。
「プレッシャーかけんなよ」
「多少のプレッシャーはあった方がいいんだよ」
ニヤリと悪戯っぽく笑うチェイスに対し、モルドレッドは暗い表情を浮かべている。
「お前なら出来る。な、モロ」
「チェイス……」
チェイスがその背中を鼓舞するように叩くと、モルドレッドは僅かに頬を緩ませる。まだ少しぎこちないが、先程よりはだいぶマシだ。
「お前がいてくれて、よかった。ありがとな、相棒」
「どういたしまして」
コツンっと二人が拳を合わせる。二人は騎士団の中でも特別、仲がよかった。コンビネーションもよく、戦場ではいつも背中を預ける程に信頼しあっていた。
「チェイス、モロ!イチャついてんじゃねぇぞ」
騎士団の一人――ワーカーが二人のやり取りを見ていたのか、いつものように茶化してきた。すると、食堂は決まって、笑いで満たされた。
「男とイチャつく趣味なんてないっての」
「ワーカー、お前、毎回懲りないな」
日常茶飯事なやり取りにチェイスとモルドレッドは肩をすくめた。
「みんな、明日はよろしく頼む」
笑いが止むのを見計らい、チェイスは立ち上がり、食堂にいる一同に向かって言った。
「よっ!白騎士」
ワーカーが口笛を吹き、再び茶化す。それに便乗して、お調子者が次々と声を上げる。気付けば、食堂は猿山の如き騒がしさとなっていた。
騎士といえば、大半の人がジェイドのような人を思い浮かべるであろう。しかし、残念な事に時として、このような幼児的知能の大人も混ざっているのだ。
「レベル低いな、あいつら」
お茶を啜り、冷ややかな視線を送るモルドレッド。これでも肩書きは騎士だと言うのだから、驚きだ。
「あ〜……、もういいです。はい」
収集のつかなくなった食堂をチェイスは、半ば逃げるように立ち去る。バカ騒ぎにまで発展した食堂は、もはや動物園だ。
「ったく、明日がどれだけ重要か、分かっちゃいねぇな」
続いて、食堂から出てきたモルドレッドはチェイスの隣に並んで歩き出す。こう並ぶと数センチの差とはいえ、モルドレッドが自然と上目遣いになる。
「なぁ、お前って何で騎士になったんだ?」
「何だよ、急に」
チェイスの質問にモルドレッドが驚いたように声を上げる。
「いや、ちょっと気になってな。俺は、騎士になる道しかなかったからさ」
物心ついた時から、チェイスは大鎌を振っていた。大人相手に殺し合い紛いの戦闘だってした。生きていく道など、選ぶ権利さえなかったのだ。
「後悔、してんのか?」
「……さぁな。それすらも、分からないんだ……」
自嘲気味に笑みを浮かべたチェイスは、沈みかけた夕陽を見つめた。こうやって、クルッカも夕陽を見ているのだろうか。この頃は、よくクルッカの事を思い出していた。
生きていく道を自ら選定し、歩んでいるクルッカ。まだ十一歳だというのに懸命に働いている、小さな女の子。その生き様がかっこよくて、羨ましく思えたのだ。
「俺は後悔してねぇよ」
モルドレッドが独り言のように呟く。夕陽を見ていたチェイスが視線を落とすと、モルドレッドがこちらを見上げていた。
「お前に会えたからな」
ニィッとモルドレッドが満面の笑みを浮かべた。告白紛いの一言に流石のチェイスも茶化す気にはなれず、照れ隠しに目線を逸らし、頬を指でかく。
「俺、元々騎士とかなる気なかったんだ。というか、夢がなかった」
モルドレッドはそっぽを向くチェイスを他所に話を進めていく。
「騎士になったのも、単なる偶然ってやつだ。試験でヤマ張ったとこがドンピシャで出て、筆記は合格しちまうし、腕っ節が強かったから、実技も合格ってな」
「お前、それはもはや運命だぞ」
騎士団への試験を勘で合格出来る訳がない。あのジェイドでさえ、血反吐を吐くぐらいの努力をした程だ。モルドレッドの運は超絶にいいらしい。
「けど、すぐに分かったんだ。遊びじゃねぇって」
モルドレッドの声に真剣みが帯びる。普段のノリのよさからは想像もつかないくらい、悲しげな表情をしたモルドレッドは目を伏せ、なおも続ける。
「支払われた金が命の価値って思ったら、何か釈だった」
「モロ……」
「さっきまで生きてたやつが、数分後には何も言わなくなって……。邪魔だって言われて、踏みにじられて……」
モルドレッドは騎士団に入ってすぐに、親しかった友を亡くしていた。気丈に振舞ってはいるが、モルドレッドの心には深い傷となって、今も存在しているのだ。
「俺は、あいつの分まで生きなきゃなんねぇ。だから……」
意を決したようにモルドレッドがチェイスを見て、言い放つ。
「俺は死なねぇ。どんな手を使ってでも、生き延びてやる」
沈みかけた夕陽に照らされ、モルドレッドの顔がオレンジ色に染まる。揺るがない決意を宿した瞳は、真っ直ぐにチェイスを見据えている。その瞳はどこか、クルッカの瞳に似ていた。
「なら、俺が守ってやる」
「アホ。お前もだよ」
モルドレッドに言われ、チェイスが自身を指差し、首を傾げる。「当たり前だろ」と何故かキレだすモルドレッド。
「お前は俺の相棒だからな」
モルドレッドの指がチェイスの方に向けられる。
「頼むから、お前は俺より先に逝かないでくれ」
「……俺だって、お前の死に様なんか見たくねぇよ」
チェイスが腰に差していたレイピアを抜いた。騎士団に入団した時に贈られたレイピアは真新しく、チェイスにとってはただの飾りでしかなかった。けれど、今、これが役に立つ――。
レイピアの剣先がモルドレッドに向けられる。何をするのか分からないモルドレッドは、剣先を見つめている。
「俺の命、お前に預ける」
チェイスは持っていたレイピアを放る。クルクルと弧を描くレイピアは柄を向け、モルドレッドの手の中に収まる。
どこぞの世界の武士というものの命が刀のように、騎士にとっての命は剣だ。騎士の中では、信頼している相手に自身の剣を渡す事が何よりの信頼の証とされている。
「ま、半分だけどな」
チェイスが申し訳なさそうにこぼす。本来、チェイスの使っている武器は大鎌だ。けれど、光で出来た大鎌はチェイスにしか触れない。故に、預けられる命も半分という事になる。
「十分だ」
モルドレッドが嬉しげにレイピアを見つめる。そんなモルドレッドを見て、チェイスは改めてモルドレッドがクルッカに似ていると思った。
思った事をストレートに言える所、すぐに表情に出る所、気丈に振舞っているが弱い所。だから、チェイスは放っておけないのだ。誰よりも一生懸命で誰かのために頑張れる、二人の事が。
「モロ」
「ん?」
「ちゃんと、帰って来ような」
チェイスの一言にモルドレッドは静かに頷いた。
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ジェイドが帰って来て、かれこれ二時間程。途中眠っていたロックが目を覚ますと、ジェイドはまだ考え事をしていた。
「……起きましたか」
「お、おう……」
急に声をかけられ、ロックはビクリと肩を揺らす。
「……傷は痛みますか?」
「まぁな」
「そう、ですか……」
ロックの返事にジェイドは目を伏せる。一連の責任でも再確認しているのか、その目は珍しく揺らいでいる。
「……いい勉強になったよ。自分の非力さを知れて」
「――ッ!!」
「感謝してるよ、騎士様」
心にもない、皮肉の効いた言葉にジェイドは返す言葉もなく、黙りこくっている。その姿は可哀想ではあったが、騎士という存在自体に嫌悪感のあるロックには関係のない事だ。
「君は、そんなにも……騎士が嫌いですか」
「あぁ、嫌いだね。特にお前みたいな他人を見下してるような傲慢チキはな」
「傲慢……」
「大体、こんな事しておいて、騎士が好きなんて答える訳ないだろ?」
不信感は嫌悪感へと変わり、ロックの中で凝り固まっていく。騎士なんて所詮はみんな、こうなのだと。そこに取り付く島はなく、再び傷付けられたロックへの弁解ももう許されない。
「俺は、俺から何もかもを奪っていくお前らが大嫌いだよ」
「ロック……」
「……分かったら、どっか行ってくれ。また刺されでもしたらたまったもんじゃない」
そう吐き捨てるとロックは布団を被り直す。もう話したくないという意思表示にジェイドは何か言いたげに口を動かすも、声は一向に出てこず、やがて諦めたように立ち上がる。
「最後に一つだけ、君に聞きたい」
ドアに手を掛けて数秒、思考を巡らせていたジェイドが再びこちらに顔を向ける。
「そこまで恨んでいるのに、どうして君はロマノフ=ジョーヴァンを許せたのですか?」
「……許す訳ないだろ。あいつの事も、お前の事も」
答える義理はなかったが、何も分かっていないジェイドを少しばかり憐れだと思ったのだ。非力故にそうせざるを得なかったというのに、それを広い心で許したと勘違いされては自分も報われない。
「俺は復讐しないって決めたんだ。だから、医者になった。誰かを殺すよりも生かしたいと、そう思った事を喜んでくれた人がいたから」
言葉にすれど、ジェイドにロックの苦しみや悔しさの全てが伝わる訳ではない。だが、言わずにはいられなかった。どれだけの不幸に見舞われようと、自分は決して折れなかったのだと嫌悪の象徴である騎士に知らしめてやりたかったのだ。
「俺の手は誰かを救う為の手だ。だから、あの一発で気は済んだ。ただ、それだけだよ」
「なら、私の事も殴ればいい」
言うが早いか、ジェイドが布団を捲り上げる。いつの間に戻って来ていたのか。ロックの目とジェイドの目が真っ直ぐに互いを見やる。
「ガドールの電撃を喰らえというなら、それでもいい。それで君の気が済むのなら、私は何だってしましょう」
「そんな事したら、俺がクルッカに怒られるだろ」
ロックの事でガドールがキレたように、ジェイドに何かあればクルッカが黙っていないだろう。それにジェイドが欲しいのは許しだ。騎士であると名乗る為には今回の事をロックが許さなければならない。だから、こんなにも必死になっている。
「悪いと思ってるなら、俺に許されようなんて思わない事だな」
「しかし、それでは――!!」
「言ったろ。俺はお前が嫌いで、許さないって。どんな事があろうと、どんな事をされようと」
ロックは怪我をした肩を掴み、ジェイドを睨み付ける。その気迫に今までの勢いはどこへやら、気圧されたジェイドは一歩後退する。
「それでも、許してほしいなら、俺に"騎士はいいもの"だと思わせてみろ」
「それが贖罪、ですか」
「そう。だから、もう謝るな」
許す事は簡単ではない。ロマノフ=ジョーヴァンを前に復讐心に駆られたロックは身を持って、それを知っている。許しは加害者側の免罪符だが、被害者側からすれば、今までの苦しみ全てを忘れろと言われている事に等しい。そんな重みも知らないくせに軽はずみに許してくれと懇願してくる輩は心底軽蔑する。けれど、ジェイドはガドールの電撃を喰らう覚悟を見せた。それが口先だけではないと直感的に感じたロックは、もう一度だけジェイドを信じてみようと思ったのだ。
「ありがとうございます、ロック」
「はいはい。せいぜい頑張れよ?」
ロックが悪戯っぽく笑ってみせると、ジェイドの口の端に薄らと笑みが浮かぶ。わだかまりはまだあるものの、一歩進めた事が嬉しいのか、否かはロックには分からない。
「ロックさん、包帯取り替えますよ〜」
ガラガラとドアが開き、病室にカートを引いた看護師が入って来る。
「あら、お取り込み中でしたか?」
「いえ、大丈夫ですよ」
ジェイドがにこやかに返すと、看護師はよかったと笑い返す。こういう時だけ愛想がいいのだなとロックは心の中で毒づく。
「あっ――!!」
その時、看護師の引いていたカートがサイドチェストに当たり、上に置いていた医学書が床に落ちる。
「ごめんなさい、大切な物なのに」
「いや、大丈夫ですよ」
「私が拾います」
看護師の次にサイドチェストに近いジェイドが、床に落ちている医学書を拾い上げる。落ちた拍子に裏返ったのか、ジェイドの視線の先にはロックの祖父である、シュネル=ペプラムの名前があった。
「シュネル……ペプラム」
「じいちゃんの名前がどうかしたのか?」
「え、おじいちゃん!?シュネルさん、そんな年の方ではなかったはずですけど……」
ジェイドと看護師の様子にロックは首を傾げる。祖父のシュネルは風月村出身者であり、死ぬまで一度も村の外に行った事はないと記憶している。しかも、シュネルは足腰が悪く、こんな遠くの王都まで来れるとは思えない。恐らく、人違いだろう。そう納得しかけたロックに看護師が言った。
「でも、ロックさん。確かにシュネルさんと似てるわ。ううん、似てるなんてもんじゃない。双子みたい」
「双子って、じいちゃん何歳だと……」
「いや、君は確かにシュネさんの孫だ」
困惑するロックを他所にジェイドは納得したとばかりに言い放つ。
「私や看護師さんの知る、シュネル=ペプラムは君のおじいさんよりもはるかに若かった。けれど、先程も言った通り、君はシュネルと瓜二つ……、生き写しのようにそっくりなんです」
「たまたま名前と容姿が似てたって言うには無理があるか……」
「そうです。信じ難い話だとは思いますが――」
「まさか、君が……」。口元を手で隠す寸前、ジェイドがそう呟いたように見えた。
「……あれ?」
不意にロックの瞼が急激に重くなる。先程までしっかりしていた意識も朦朧としてきて、麻酔を打たれたような抗いようのない強烈な眠気に襲われる。
「ロックさん?」
――ダメだ……、眠い。
「ロック?しっかりしろ、ロック!」
ロックの様子がおかしい事に気付いたジェイドが声を上げるも、ロックの意識は既に微睡みの中にあり、やがて深い眠りについてしまった。
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無機質な電子音が、規則正しく鳴っている。はっきりとしない意識の中、医師と誰かの声が聞こえてきた。
「落ち着いたかい?」
医師の優しい声に相手も安心したのか、「大丈夫です」と落ち着いた声で返す。声の主はジェイドだった。
「チェイス君の方は心配ない。今は眠っているが、時期に目を覚ますだろう」
――そうか、俺は………。
チェイスの頭の中で、戦場での記憶が走馬灯のように思い出されていく。
「ただ、彼はかなりの重傷だ」
「ICUにいる彼、ですか」
二人の会話を聞きながら、徐々に覚醒していくチェイス。固く閉ざされた瞼をゆっくりと開くと、そこは病院の大部屋だった。
鴇色のカーテンを引いているため、二人はチェイスが目覚めた事に気付いていない。
「かろうじて、命は繋ぎ止めている状況だ。切り落とされた腕からの出血量が半端じゃなかったから」
医師の言葉にチェイスは全てを思い出した。
「モロっ!」
チェイスは叫んだと同時にベッドから飛び起きた。口に付けられている呼吸器を荒々しく外し、腕に刺してある管を引っこ抜く。
「チェイスっ!」
ようやく、チェイスが起きている事に気付いたジェイドがカーテンを開ける。
「どけ!!」
チェイスがジェイドを押しのけ、病室を出て行く。管の外された穴から、ポタポタと血が垂れて、道しるべのように床に印をつける。
「っ!」
目覚めて、間もない体は思うように動かず、チェイスは派手に転んだ。
「くそ……」
体に力が入らない。それでも、チェイスはやっとの思いで立ち上がる。すぐそこまで来ているあろう、ジェイド達の足音が徐々に近付いて来る。
――モロ、どこにいる…!
チェイスは走る。
「モロっ……」
そして、チェイスは見つけた。ベッドの上でたくさんの管に繋がれて、かろうじて生きながらえているモルドレッドを。
心電図の電子音だけが唯一、モルドレッドが生きている事を教えてくれた。
「嘘……だろ……」
痛々しすぎて、直視出来なかった。戦場で受けた一撃のせいで、モルドレッドの左腕は肩からなくなっていた。
「モロっ……!!!!」
チェイスはその場に崩れ落ちた。壁に握り締めた拳を叩きつけ、肩を震わせる。ボロボロと目から零れていく涙が床に小さな水たまりを作っていった。
「出ていけっ!この愚か者がっ!」
チェイスの頬を殴り、ジェイドの父が怒鳴った。
チェイスは退院後、仲間に何も言わずに騎士を辞めたのだ。
「二度と戻って来るなっ!ミラーの名を汚しよって……」
――元々汚れてんだろうが。
汚れた掟のせいでミラー家に入れられ、汚れた掟に従い、ミラー家を追い出された。何ともおかしな話に笑えもしなかった。
「何故、騎士を辞めたのですか」
「……けじめだ」
チェイスは持っていたレイピアでコートを切った。そのレイピアはモルドレッドの物だった。
「お前だけをあの家に縛り付ける形になって、悪い」
「私が聞きたいのは、そういう事ではありませんっ!」
「分かるだろ。もう子供じゃねぇんだよ」
切ったコートに袖を通すチェイス。ライトグリーンの目がしっかりとジェイドを捕らえる。
「モロの件は、俺の責任だ。ミラーの力でもみ消される訳にはいかねぇ」
なかった事にしてしまいたくはない。騎士を辞めて、償えるものではないけれど、チェイスにはこうする他なかったのだ。
「お前は俺みたいになるなよ」
チェイスは精一杯に微笑んでみせた。自分が情けなくて、気を張っていないと泣いてしまいそうだった。義理とはいえ、弟のジェイドにそんな姿は見せたくない。
「馬鹿ですよ、本当……」
軽蔑された、あの日から決めた事がある。たとえ、誰かに必要とされなくなっても、生きると。死よりも重い罪を背負い続けると。そして、決してそれを悟らせないと――。




