十一・決意に報いるために
「君、一人なの?」
不意に声をかけられ、顔を上げると、そこにはオレンジ色の長髪の少年が立っていた。利発そうな顔に綺麗な服装の彼は、ここらで一番有名な騎士の名家の生まれだった。
「もう遅いから、送って行くよ」
「いい」
道端に座り込んでいた少女は、少年の差し出した手を払い除けた。幼心に少女は分かっていた。この少年と自分は違うのだと。
「でも、女の子が一人でいるのは危ないよ?」
「あたしの居場所はここだ。貴方には関係ない」
少女には、帰る家も待ってくれている家族もいなかった。生まれた時からずっと、少女は一人だった。
「あんたこそ、帰れよ。ジェイド=ミラー」
「何で僕の名前を……」
少年――ジェイドは驚いて、目を付ける丸くする。あどけなさの残る顔は、実年齢よりも幼く見えた。
「そんな事、どうだっていいだろう」
「……とにかく、ここにいたら駄目だ」
ジェイドはそう言うと、少女の手を掴んだ。綺麗なジェイドの手が薄汚れた少女の手と重なる。
「離して」
「嫌だ。悪いけど、僕の家まで来てもらうよ」
少女がいくら嫌がっても、ジェイドはしっかりと手を掴んでいて、離す気配はない。何をやっても不毛だと思った少女はとうとう観念した。すると、ジェイドは勝ち誇ったような顔で少女に尋ねた。
「君の名前は?」
クルッカ=クレセント、六歳の事だった。
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カラカラッと軽快な音を立てながら、円盤の上を球が駆けていく。賑やかなカジノで一時の静寂。小さな球一つで誰かは幸福になり、誰かは不幸になる。たった一瞬、瞬きをしている間に今までの人生がひっくり返り、狂わされる。そう思うと、途端に愉快だと笑みが零れる。
ルーレットの横には、うず高く積まれたチップの山々が並んでおり、それを囲む人々は回る球相手に一喜一憂している。
――ギャンブルはこうでなくちゃな。
「俺も賭けさせてくれよ」
テーブルを囲む人々の後ろから、ガドールが声をかけた瞬間、その場にいた者はぎょっとした目で一斉にガドールに視線を投げる。
「ガドールだ……」
「出禁じゃなかったのかよ!」
ガヤガヤと騒がしくなる周りを無視し、ガドールは席についた。さて、どう掻き乱してやろう。不敵に笑うガドールに対し、周りの人々からは血の気が引いていくのだった。
「……帰るか」
数時間後、散々稼いだチップを換金したガドールは、一仕事終えたような達成感と共にカジノを後にする。
王都は夕方だというのに、昼間のように騒がしい。沈みかけた夕陽は誰の眼中にもないらしい。何となく、感傷的になったガドールだけが夕陽を見つめていた。
「久しいな、number5」
聞き覚えのある声に、ガドールの体に緊張が走る。そっと盗み見るように後ろに目をやると、そこにはいつかのあの黒いロングコートの男がいた。
――何でこいつが……。
「否、ガドール=クーリッジと呼ぶべきか」
「……お前、何者だ」
ガドールが夕陽を見たまま、男に問う。
「さぁな。己で考えろ」
男はガドールの問いに曖昧模糊な返答をした。無論、ちゃんとした返答をしてくれるとは、これっぽちも思っていなかったのだが。
「我が名はエヴァンだ。覚えておけ」
「エヴァン……」
ガドールが小さな声で繰り返す。正直、名を明かすとは思っていなかったので、ガドールは内心驚いた。
「お前に忠告しておく。今すぐに自分のアジトに戻れ」
「忠告?敵だろ、お前は」
――んな奴の言う事なんか聞けるかっての。
ガドールの一言に男――エヴァンは苦笑にも似た笑みを浮かべた。少し寂しげな表情に何故か、複雑な気持ちになる。最近、こういうものに弱くなったなと切実に思う。
「それも己で考えろ。しかし、今は急げ。手遅れになるぞ」
「手遅れって何だよ。……って!」
ガドールがエヴァンの方に振り返った瞬間、エヴァンが水晶を叩き割った。
「おい、言い逃げかよ!」
「クルッカを守りたいなら、急げ」
意味深な言葉を残し、エヴァンは去って行った。
――何であいつがクルッカの事を……?
「ッチ!訳分かんねぇ」
エヴァンの言葉を疑問に思いつつも、ガドールは騎空艇に向かって走り出した。
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甲板の方が騒がしい。図書室に寄って、部屋に入りかけたロックが不意に顔を上げる。よく聞けば、金属音と人の声がした。明らかに戦闘中だった。
「あの馬鹿っ……!」
その音を聞きつけて、ロックの横をチェイスが走って行く。あまりの慌てぶりにロックは本を床に置くと、甲板に向かった。
「はぁ!」
掛け声と火花の散る甲板には、クルッカとジェイドの姿があった。それぞれの得物を手に本気で戦っている二人の目は殺気で満ちている。まるで、親の敵を見ているかのような形相にロックはゾッとする。
「ロック、お前は手ぇ出すなよ」
「手ぇ出すなって、何だよ……。何で二人が戦ってるんだよ!?」
状況の分からないロックは訳知り顔のチェイスに詰め寄る。が、チェイスは苦虫を噛み潰したような顔をするばかりで、話す気は毛頭ないらしい。
「朴念仁がはやまりやがって……」
「説明しろよ、チェイス!」
「ロック、落ち着いて」
チェイスの胸ぐらを掴みかけた手をマティアスが制する。騒ぎを聞きつけたらしいマティアスは、いつも通り嫌に冷静で、その紅蓮の瞳は相変わらず何を考えているのか読めない。
「止めよう、二人を」
「マティアス!」
チェイスがキッとマティアスを睨み付ける。けれど、マティアスは屈する事なく、真っ直ぐにロックを見据える。
「ロックの声ならクルッカに届くから」
「でも、俺には……」
あの二人の間に割って入る勇気も度胸もない、とは言えなかった。否、マティアスがそれを許しはしなかった。何を期待しているのか、マティアスはロックに希望を見出している様に見える。
――お前はガドールとは違うのに……。
誰かの希望になどなれない。いつだって、ロックを見る目はそれとは対象的な暗いものばかりだった。そんなロックがあの殺気をどうにか出来るというのか。過大評価にも程がある。
「何で、お前は俺を……」
「俺にもよく分からないけど、そんな気がするんだ。ロックなら大丈夫って」
「やめろ、怪我するだけだぞ」
「なら、説明してよ。じゃないと、納得出来ない」
マティアスの強い口調にチェイスの肩が小さく揺れる。その肩越しには尚も戦い続けている二人の姿が見え、ロックはぐっと拳を握りしめる。
「……悪い、チェイス」
「おい、ロック……!?」
一瞬出来た隙をつき、ロックはチェイスを押し退け、甲板へと駆け出す。後ろからは待てという声と共にチェイスの手が伸びてくるも、その手はマティアスに払われ、ロックには届かない。
「やめろよ、二人とも!!」
甲板にやって来たロックとマティアスに気付く事もなく、戦いを続けている二人にロックは叫ぶ。が、声は武器のぶつかり合う音で掻き消され、二人には聴こえない。
「やっぱ、ダメか。仕方ない、なら……」
万が一にもと持って来ていた拳銃を手にすると、ロックは中から銃弾を取り出し、銃口を空に向ける。パァンと乾いた空砲が甲板に響き、それは二人の耳にも届く。
「ロック……」
クルッカの目が真っ直ぐにロックを捕らえる。先程ジェイドに向けていた殺気は少しばかり薄れたように見えるが、未だその戦闘心が消える様子はない。
「邪魔しないで。あたしは……!」
クルッカの声に周りを漂っていたカードが一斉にロックへと飛んでくる。
「ロック、避けて」
背後から聞こえた声にロックが身を翻すと、数本のナイフが勢いよくカードを貫いた。あと少しでも動きが遅れていたら、貫かれていたのは自分だったかも知れないと思うとロックの背筋に悪寒が走った。
「ロックには関係ない」
甲板に落ちたカードがクルッカの意志に応えるかのように再び、彼女の周りに集まり始める。どうすれば、クルッカを止められるのか。考えながらもロックは先程取り出した銃弾を素早く拳銃へと戻す。
「関係あるよ。言っただろ、俺がお前を守るって」
「うるさい!」
クルッカの声と共に再び、カードがロックを襲う。が、何度も同じ手を食らう程、馬鹿ではない。ロックは拳銃を構えると、冷静にカードを撃ち落としていく。
「ロック!」
「なっ……!?」
マティアスに手を引かれ、よろけた瞬間、ロックの顔があった場所にカードとは違う、銀色の得物が斬りかかってきた。ジェイドのレイピアだ。
「あっぶな……」
「他人事に首を突っ込むものではないですよ」
冷たい視線でロックを見下ろすジェイド。瞳の奥に闇を感じさせるモスグリーンはつい最近、対峙したロマノフ=ジョーヴァンを彷彿とさせ、ロックの体は強ばる。
「喧嘩は止めるのが当たり前。違う?」
その場にしゃがみ込んだロックを庇うように前に立つマティアスはいつも通り、ジェイドに問いかける。しかし、ジェイドはゆるゆると首を振り、レイピアを構える。
「これは喧嘩ではありません。故に止められる筋合いもない!」
「くっ……!」
ジェイドの鋭い一撃にナイフで応戦するマティアス。普段のマティアスならスピードでジェイドに負ける事はないが、今はロックを背に戦っている為、ジェイドの一方的な攻撃に耐える他なかった。
――俺はまた、誰かに守ってもらうのか。
クルッカに守ってやると言っておきながら、結果このザマだ。いつまでも過去に縛られて、恐怖で動けない、そんな自分からは卒業しようと決めたばかりなのに――。
「ぐはっ……!!」
「マティアス!」
ジェイドの攻撃を受けたマティアスがよろよろと後退りをする。見れば、手からは血が出ており、床に小さな水溜まりを作り始めていた。
「ジェイド、やめてくれよ……。こんなの、おかしいだろ。俺達、仲間じゃないのかよ!」
「邪魔をするなら、仲間だろうと容赦しません」
「……マティアスに何かしてみろ。絶対に許さないからな」
「元より許される気などありません。それに非力な貴方が吠える以外に何が出来ると言うのです?」
不敵に笑うジェイドにロックは震えが止まらない。騎士の家系が嫌いだと、心底その存在を呪いたくなった。いつだって、騎士はロックから大事なものを奪っていき、非力なロックを嗤うのだから――。
「ジェイド、もうやめろ。これ以上は俺が許さない」
ロックへの罵倒についに痺れを切らしたチェイスが割って入る。しかし、ジェイドが止まる事はなく、レイピアを構えたまま、チェイスと対峙する。
「マティアス、ロックを連れて中に戻れ」
「今更、何?」
止めるチャンスならいくらでもあったと言いたげに視線を投げるマティアス。対して、チェイスはこちらを見ず、ただ一言ごめんなと呟くのだった。
「……分かった。でも、ちゃんと後で説明して」
「あぁ、約束する」
チェイスの返答にマティアスは納得したのか、ナイフを収めるとロックの手を引き、立ち上がらせる。
「待ちなさい」
中に戻ろうとした二人をジェイドの影が邪魔をする。意図の読めない行動にロックとマティアスが目をやれば、ジェイドがこちらに殺気を向けていた。
「貴方は自分の非力さを身を持って知るべきです」
次の瞬間、ロックの右肩に焼けるような痛みが走った。咄嗟に右肩に手を置けば、ぬるりとした嫌な感触と独特な鉄の匂いが鼻を掠める。
「え……?」
手に付いた血と深々と刺さったレイピアを見て、ロックはようやく自分がジェイドに刺されたのだと理解した。
「ロック!!」
マティアスが駆け寄って来ると、見計らったようにレイピアが抜かれ、傷口から血が流れ出す。倒れそうになるロックを受け止めたマティアスは、止血をしようと傷口を手で力いっぱい抑え始める。
「あ……あぁっ!!」
遠くでクルッカの小さな悲鳴が聞こえる。幻聴か、兄さんと口走っているように聞こえるが、クルッカに兄はいただろうかとロックはぼんやりと考えていた。
「ジェイド、お前……!!」
チェイスがジェイドに掴みかかった、その時、見慣れた茜色がジェイドを思い切り殴り付けた。余程勢いがあったのか、数回跳ねた後、ジェイドは床に倒れ込んだ。
「ガ、ドール……?」
霞んだ視界の中、何とか茜色の長髪を捕らえたロックが名前を呼ぶ。すると、ガドールはすぐ様傍にやって来て、ロックの手をぎゅっと強く握りしめた。
「ごめん、ガドール……。俺、また……何も、出来な……」
「しっかりしろ、ロック」
「強く、なりたい……お、れ……。もう、誰にも……あんな目で、見られ…」
「……分かったから、喋るな」
ガドールの手が小刻みに震えている気がした。否、これは自分の震えだろうか。出血のせいか、身体が妙に寒い。感覚はとうに麻痺しているはずなのにおかしな話だ。
「用があるのはクルッカだけです。後のみなさんはどうぞ、お引き取りください」
「……後で覚えてろ」
ガドールはジェイドを鋭い目付きで一瞥すると、ファーの中から転移用の水晶を取り出した。
「待てよ……」
どこへ連れて行かれるかは明白だ。だが、まだやらなければならない事がある。薄れゆく意識を何とか繋ぎ止め、ロックはクルッカを見る。
「待てってば……。また……一人で…お前は……」
――戦うって言うのかよ。
クルッカはこちらを見ない。固く握り締められた拳は何の迷いもなく、構えられたまま。勇ましすぎる、その背中を見ている事しか出来ない自分がとても情けない。
「ふざけんなよ……」
ガドールが水晶を持っている腕を振り上げる。ゆっくりとスローモーションのように動きの一つ一つがよく見える。それなのに、言葉は喉から出て行ってはくれず、口だけがパクパクと虚しく開閉する。
――守ってやるなんて、傲慢だった。
「待てっつってんだろ!!!」
水晶の割れる音が空に響き、クルッカとジェイドを残して、ロック達は光にのまれた。
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それは、今から十二年前。王都の某所の事。
王都の大通りの道端に少女は暮らしていた。親のいない少女は、六歳ながらも必死に生きていた。周りから何と呼ばれようとも、どんなに惨めだろうと、少女の心は折れなかった。
少女には、夢があった。それは、クリスタルを集めて花園へ行く事だった。そこに行けば、自分の知らない真実を知る事が出来る。少女はそう信じていた。
凛とした少女は何者にも染まらない、純白の心を持っていた。その輝きは薄汚れてもなお、汚れる事はなかった。彼女の決心は、意思は、どんな壁さえも砕いた。
「楽園に行けば、あたしが誰だか分かるはずだ」
少女は自分が分からなかった。知っているのは、名前と年くらいで、その他は全くと言っていい程に知らなかった。
少女――クルッカ=クレセントには、記憶がないのだ。
生まれてから、ここにいるまでの六年間の記憶がごっそりと消えてしまっているのだ。
「……寒い…」
身内も、心を開ける相手もいないクルッカは孤独だった。差し伸べられる手はなく、いつも哀れんだ目でクルッカを見る人々。
温かな手のぬくもりも、迎えてくれる家族のありがたみも、クルッカには羨ましかった。
思い切り、甘えてみたかった。クルッカの願いは、とてもささやかで、当たり前にあるべきものだった。
「星、綺麗だな……」
クルッカは星を見て、思った。あんな風に輝けたら、きっと幸せなんだろう、と。けれど、憧れてみて、それは無理だと痛感した。
「あたしは星じゃ、ないもの……」
それでも、クルッカは星になりたかった。自分なりに輝きたいと、幸せになりたいと。そんな自分を見て、誰かが幸せになれるように。誰に邪魔されても、クルッカは意志を貫こうと決意した。
不毛だろうと言われても、人に笑われようとも、全てをありのままに受け入れたい。それがクルッカが自分自身を認める事になるからだ。
偽りのない、真っ白な心のまま、クルッカは大人になった。彼女のなりたかった、理想の大人に。
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静まり返った甲板には、睨み合うクルッカとジェイド、そして二人の間に陣取るチェイスの三人だけがいた。かつての幼馴染の情などないとばかりの殺伐とした雰囲気にクルッカはぐっと拳を握りしめる。
――いつから、こうなったんだろう。
純粋に綺麗な大人を目指していた。なのに、どうして、こんなにも上手く生きれないのだろう。傷付けないと前に進めないのだろう。
『お前みたいに、綺麗なままに生きれたら、最高なんだろうな。きっと』
世界に抗ってでも、生きたいと願う事が綺麗な訳などない。
――単なるエゴだって、分かってる。
目の前にいるジェイドが世界の命により、クルッカを殺そうとしている。それが何よりの証拠だ。世界はクルッカを抹消しようとしている。
「はぁっ!」
殺伐とした雰囲気を切り裂くように、先手を打ったクルッカのカードがジェイドを襲う。が、カードはチェイスの大鎌により、あっさりと防がれてしまう。
「邪魔しないで!」
先にチェイスをどうにかしなければと、クルッカは床を蹴り、チェイスと距離を詰める。しかし、チェイスは素早くクルッカから離れると、武器の大鎌でクルッカの足元をすくう。
「ぐぅっ!」
足を取られたクルッカは何とか受け身を取るものの、上からチェイスに抑え付けられ、身動きを封じられてしまう。
「お前も大人しくしろ」
「……分かりました」
降参とレイピアを床に放るジェイドの首元には、チェイスの大鎌が構えられていた。変幻自在な光の大鎌に今更ながらに敵には回したくないとクルッカは思った。
――ジェイド……。
『君、一人なの?』
込み上げて来る感情が目の奥をじんとさせる。殴りつけた拳も、蹴り飛ばした足にも何か分からない、変なモノがへばりついているみたいで重たい。
――揺らぐな。もう、決めたじゃないか。
クルッカがキッとジェイドを睨む。全ての感情を無理矢理押し込める。
『待てっつってんだろっ!!!』
頭の中でロックの言葉が甦る。顔はあえて見なかったが、絶対に怒っていた。
『言っただろ!俺が……お前を助けるって!』
ロックの言葉一つ一つが、クルッカの心の中で響く。汚れを知らない、綺麗な言葉は固く閉ざされた決意さえも揺らがせてしまう。感情が一気に溢れて来る。
『お前みたいに綺麗なままに生きられたら、最高だったんだろうな。きっと』
ガドールの声と共に撫でられた頭が熱を帯びる。小さな頃に知らなかった、人のぬくもりが今はここにある。あの頃に憧れていたモノが手に届く場所にある。
温かい手のぬくもりも、迎えてくれる家族もそのありがたみも、クルッカは知っている。
――あたしは……。
世界がこんなにも温かい事をクルッカは知らなかった。この世界を見ようと、旅する気になったのは、クルッカに世界の一部を見せ、誘ってくれたジェイドがいたからだ。
――ジェイドがいたから、あたしは……。
ボロボロと溢れ出した涙が止まらない。不毛すぎる戦いに虚しさばかりが募っていた心は、もう限界だった。
「なっ……!」
「クルッカ……」
クルッカの変わりようにジェイドは小さく声を上げ、チェイスは慈しむように目を細める。ジェイドだって、分かっている。世界の御使いである前に、彼も一人の人間なのだ。感情を完全に消す事など出来はしない。
「あたしは……戦いたくない……」
パラパラとクルッカの周りに浮いていたカードが力なく、甲板に落ちる。wild cardはクルッカの意志によって、力を得る。戦う気がない事は明確だった。
「最初は戦おうと思った。世界に疎まれても、生きていくって……、そう決めたから」
涙を流しながら、クルッカは言葉を紡いでいく。
「けど……違うって気付いたんだ。だって、ジェイドのおかげであたしは生きてるから」
「私のおかげ?」
「ジェイドがあたしを連れて行ってくれた、あの日から……ずっと……」
クルッカは顔を上げると、涙まみれの顔に精一杯の笑みを浮かべて見せた。
「ずっと……感謝してる。ジェイドがいなかったら、きっと今のあたしはいなかった」
「っ……!」
クルッカが再び口を開こうとした時、ジェイドがチェイスを押し退け、気が付けば、ジェイドの腕の中にすっぽりと収まっていた。状況が把握出来ていないクルッカは、目をパチクリさせる。
「ジェ…ジェイド?」
「全く……。何を勘違いしているのですか?」
ジェイドの声は心なしか、呆れているように聞こえる。「勘違い?」とクルッカが首を傾げ、ジェイドを見る。
「貴方が命をかける必要など、どこにもありません」
「けど、殺そうとした……」
「私に貴方が殺せる訳ないでしょう」
ジェイドの一言に心底驚くクルッカ。この一言により、さっきまでの戦いは完全に不毛となった。
「よく、分からないんだけど……」
「それは後で詳しく説明します」
ジェイドはそう言うと、クルッカの肩に顔を埋めた。ひどく疲れた様子のジェイドは深いため息をつき、それを見ていたチェイスは更に疲れた表情をしている。
「おい、愚弟。お前、後でガドールに半殺しにされるの、分かってる?」
いつもの飄々とした口調でチェイスがジェイドに尋ねると、ジェイドの身体がピクリと分かりやすく跳ねる。どうやら、頭から抜けていたらしい。
「私は騎士として、何という事を……」
ガドールに殴られた頬を抑え、冷や汗を流し始めるジェイド。余程必死だったのか、そういえばジェイドはこうと決めたら頑固一徹で周りが見えなくなるのだったとふと思い出す。
「騎士を辞めた俺が言うのも、なんだが、あれは最低だったぞ」
「はい」
「でも、やっちまったもんは取り返せねぇし、死ぬ気で謝るしかねぇよ」
「もちろんです」
ジェイドはロックの血で濡れたレイピアの剣先を見やると、今更込み上げてきた罪悪感に顔を歪ませる。
「俺も謝るからさ。二人で許してもらおう」
「チェイス……」
チェイスの手が慰めるようにジェイドの頭を撫でる。
「あたしも謝る。だから、三人だよ」
「そうだな。そんじゃ、怒られに行きますか」
二人はチェイスに頷くと、ロック達の転移先である病院を目指す。犯してしまった罪を罰せられる為だというのに、三人の顔は晴れ晴れとしており、それはいつかの幼馴染の三人の顔そのものだった。




