あなたに焦がれている
「……いっ……いっ」
「……………………」
「えいっえいっえいっ」」
「…………立花、痛いんだけど……」
「あ、起きた」
直りたてのかさぶたを無理やり剥ぎ取るような鈍い痛みを両頬に感じて目を覚ます。
目を開けるとそこには仰向けになった僕の頬っぺたをひたすらはたき続ける立花の無機質な瞳があった。
「………起こすならもうちょっと優しく起こしてよ。キスとか」
「したけど、桟起きなかった」
「………ほんと?」
「さぁ、どうだろうね」
悪戯っぽい微笑を浮かべる立花。もし本当にしてくれていたのなら僕はなんて不幸な男なんだ。立花の斬撃によって腹を内臓ギリギリまで裂かれて仕事を完遂させたっていうのに、その褒美が無意識化でのキスなんて。加えてその後のビンタなんて割に合わなすぎる。
……まぁ、実際は命があっただけめっけものなのかもしれないけれど……早く帰って京子さんに治してもらわなくちゃ。
「………あなた、どうしてそんなに普通にその娘と会話できるの? まさか斬られても――殺されても、それでも平気だったって、そう言うの?」
斬撃で裂かれたお腹を手で抱えながら、立花に手を引かれて立ち上がると、僕の隣で傷だらけになりながらも、本来の姿であるOL風の姿に戻り寝転ぶ、川辺さんが僕達に問いかけてきた。
その呼吸はとても荒い。出血量も尋常ではなく、周りには血だまりができている。放っておいてもすぐに死ぬだろう。
だから――僕は答えた。
「平気じゃないですし、怖かったですよ。でも、僕はそれ以上に立花に必要とされたいんです」
「……さっきキスしたとか言ってたけど、彼女は、あなたのことが、好きなの?」
「さぁ、どうでしょう。僕は好きですけど、立花に好きと真っ向から言われたことはありません。けど、僕はそれでもかまいません。僕が好きと思っているのならそれで充分なので。……でも、あなたはそうじゃないんですよね、川辺さん」
「――――!」
川辺さんは瞳孔を開いて、それから親の仇を目の前にしているかのようなすごい形相で僕を睨んだ。
「いつから……気付いていたの?」
「……最初はあくまで推測でした。ですが今、あなたの心を読んでそれが確信に変わった。やっぱり、僕達を襲ったのも『それ』が原因だったんですね?」
「心を見る? ……ああ、そういうこと……道理で私の動きがあなたに全て読まれていたってわけね……完敗だわ」
川辺さんは諦念が籠ったそんな独り言をボソッと漏らすと、星空を仰ぎ見てうっすらと微笑んだ。しかし、おそらくだが、彼女は夜空など見ていない。その虚ろな瞳には星空なんてものは眩しすぎるだろうから。
「……何で、あなたは自殺したの?」
突如そんな声が隣から聞こえた。隣を見やる。立花が眼下の川辺さんを、彼女と同じような虚ろな瞳で見下ろしていた。
……自殺、というのはおそらく生前の彼女が川に飛び込んで自殺したときのことだろう。どうして立花がそんなことを訊いたのか僕にも分からない。しかし、殺された原因である少女の問いかけにも関わらず、川辺さんは、僕と話していた時と同じ口調で、いや、更に丁寧な口調で語り始めた。
「そうね……。やっぱり絶望したから、が一番大きいかしら。……私のことを調べたのなら、私の仕事くらい知っているんでしょう?」
「ええ。アイドルのマネージャー、より厳密に言うなら亡くなった、いや、あなたが殺した千台公明さんのマネージャーさんだったんですよね?
「そうよ。もっと厳密に言うなら、担当しているアイドルとの恋愛が禁止されているマネージャー。……けど私は担当していた彼に恋をした。そして、その恋が叶わなかったから私は自殺した……」
そのこと自体は僕も、あの日図書室で立花から詳細を受け取ってから立花の部屋に行くまでの間にだいたい予想はついていた。
恋愛禁止のアイドルなのに、未成年との恋愛スキャンダルを持ってしまったアイドルの焼死。そしてそのアイドルを担当していた、アイドルと同じく恋愛禁止のマネージャーの自殺。そんな自殺、恋愛がらみでなければよほど不自然だ。けど、問題は、そこじゃない。
「私達は愛し合っていると思っていたの。クリスマスは一緒に出掛けたし、バレンタインにチョコをあげたりもした。一夜を共にしたことさえあった。私は恋愛禁止のマネージャーだから彼に直接好意を伝えることはできなかったけれど、それでも彼もその好意自体を受け止めてくれているようだった……なのに!」
冷め切っていた、川辺さんの口調が熱を帯びる。
「なのにあの男は私の気持ちを知りながら他の女と付き合ってた! しかも未成年! ねぇ! その時の気持ちが分かる? 私は好きな相手に好きだってことさえ告げられずに振られたの。私は彼のために我慢して我慢してその気持ちを抑えてきたのに、彼は私を都合の良いように弄んだだけだった……」
川辺さんは月を掴むように手を伸ばす。月はどこまでも遠い。目で追えば追いかけてくるくせに。
「だから、僕も殺そうとしたんですね?」
腕を力なく下ろした川辺さんに、僕はとうに分かり切っていることを確認する。
「ええ、そうよ。あなたが、その娘があなたのことを好きだと分かっていて、そしてそれをその娘が言い出せないことも分かった上で、あなたが体良くその娘をキープしていると思っていたから……そういう人間を、私は今まで四人殺してきたから。けど、誤解しないでね。自殺する直前までの私はそんなこと考えてもいなかった。単純に絶望したから入水自殺しただけ。……でもね、見たの。水が服にしみこんでいって、まるでオフィーリアみたい、なんて思いながら川の底に沈んでいく、私の目が――とっても綺麗な蛍の群れを」
……川辺さんの瞳に爛々と、それこそ夜中の蛍のような光が宿った。
「あの川ではね、夏になると蛍が無数に飛び交うの。だから、蛍祭りなんてものが開催されている。夜中、水中から見たあの光景は綺麗だった。でもね、それ以上に思った。
なんて――可哀想な子たちなんだろうって。
……蛍はね。種類にもよるけれど、蛹から成虫になって地上に出てきた後、二週間で死ぬの。成長の過程で口が退化した蛍は鳴くことも物を食べることもできず、ただ子孫を残すパートナーを探すために体を発光させて、あとはそのまま死んでいくだけ。人々はそれを美しいだの儚いだの崇めるけれど誰もその死にゆく蛍を救おうとはしない。恋のために光って焦がれてただ死ぬ。それだけ。……ねぇ、こういう蛍たちを言い表す『諺』、私に辿り着いたあなたなら、私の能力を知っていたあなたなら、分かるでしょう?」
「……はい」
僕は小さく頷いた。知っていたから。
きっかけは、あの日――立花に詳細を渡された日のその放課後、立花の部屋で事件について考えていたあの日のことだった。
多少自意識過剰ながらも、立花が、僕と京子さんが仲良くすることに嫉妬していると分かった時、それを立花が言いたくても恥ずかしくて言い出せないことが分かった時、そしてそれは立花のせいではなくて、僕のせいだと分かった時。
その諺が脳裏をよぎり、川辺さんの能力と殺人の動機が『キープ』にあることを僕は推測することができた。
だから僕はその日から立花とデートをし続けた。
時折京子さんにもデートをしてもらい、僕をあくまで京子さんを本命にしたまま立花をキープするという、まぁ、なんというか最低な奴に仕立て上げるために。
そういう人を標的にする川辺さんを呼び出すために。
川辺さんは、淡々としたトーンで続ける。
「さっきも言ったけど、あなた以外、つまり私が殺した四人もあなたを殺そうとしたのと同じ理由で殺したわ。私は生前の私と同じような境遇にいるような男女を探し当てて、彼らを苦しめている人たちを、能力を使って殺すことに勤しんだ。私と同じように身を焦がす苦しみを味わってもらうために。可哀想な蛍を、救い出すために」
川辺さんの心が、視える。
それは彼女が見てきた、彼女が殺した人たちのこと。
――アイドル、千台公明は彼のマネージャととても良好な関係を築いていた。
――お金持ちの女子高生、神之宮雫は執事ととても仲が良かった。
――明るい性格の女子高生、矢尻美夏は塾の閉業時間まで講師と勉強を頑張っていた。
――ムードメーカーの大学生、瀬川凛太郎は幼馴染からサークルまで広い交友関係を持つ、コミュニケーションに優れた人間だった。
だが、
――千台公明がマネージャーと良好な関係を築いたのは、彼女の身体が目的なだけだった。
――神之宮雫が執事と仲が良かったのは、その立場の強さを利用して、彼が彼女へ抱く恋心を弄んでいただけだった。
――矢尻美夏が塾の閉業時間まで勉強を頑張っていたのは、仕事上、生徒に手を出すことは許されない塾講師を、塾の閉業時間後に呼び出し、神之宮雫と同じようにからかって楽しんでいただけだった。
――瀬川凛太郎がムードメーカーで人気者になれたのは、自分に恋心を寄せる幼馴染を保険にして、他の女性に多くアプローチをかけていたからだった。
結局、どの被害者も、皆鳴かない蛍を弄んでいた人だった。
だから川辺さんによって、殺された。
彼らに恋して裏切られ、ただ恋に身を焦がしていただけだった人たちと同じ気分を、彼らに味わせるために。
川辺さんは空笑いを浮かべながら力無い瞳で僕を見据える。
川辺さんの身体はもう半透明と言っていいくらいに薄くなっていた。
幽霊の、死のサインだ。
「……ねぇ、最後に一つ、いいかしら?」
僕が小さく頷くと、彼女はほんの少しだけ瞳に光を宿して、薄い唇を吊り上げた。
「あなたは本当に彼女が好きなの? あの娘はあなたを斬ろうとしていたけど、それでもあなたは本当にあの子を好きでいるって言うの?」
訊かれるまでもない。
「はい。たとえ『嫌いにならなければ死ぬ』と言われたとしても」
「そう。そんな風に言ってもらえるなんて、あの娘は幸せ者ね」
私みたいなのと違ってね。
それだけ静かに付け足すと、彼女は笑い、星空を見上げた。
ふいに彼女の身体は光り始める。
その体は――燃えていた。自分の能力で自分に火を点けたのだ。
その巨大な人魂のように燃え盛る炎の中から、火を全身に纏った一匹の蛍が飛び出す。
それは月を手に入れようとするかのようにゆらゆらゆらゆら夜空へ綺麗に羽ばたいていく。けれど、それもやがては力尽き、あるいは燃え尽き、地に落ちてゆく。
僕はそんな光景を目で追いながら、改めて彼女が僕に伝えてくれた諺を、彼女へ送る手向けの花のように、夜空へ呟いた。
「鳴かぬ蛍が身を焦がす」




