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鳴く蝉よりも鳴かぬ蛍が身を焦がす


「桟、こっち終わったよ。そっちまだなら、手伝おうか?」


 辞典みたいなサイズの小説を両手で抱えた立花が、本で口元を隠すようにして、そう訊いてきた。


「ううん。大丈夫。こっちももう終わるから。立花はカウンターにでも座って待ってて」

「そ。ありがと。それなら、待ってる。何か手伝うことあったら言って」


 立花はそう言うと、早歩きで僕達がいつも使っているカウンターへと、てこてこ歩いて行く。もう夜中だというのにその足取りは軽い。椅子に座るとカウンターに両肘(りょうひじ)をつき、開いた掌(てのひら)の上に顎を乗せてじっ、とただ本棚を整理しているだけの僕をまるで水族館のイルカでも見るような目で見据えてきた。……いや、僕そんな見ていて楽しい存在じゃないと思うんだけど……。

 八月五日。

 夏休み真(ま)っ盛(さか)りの高校の図書室。

 世間の高校生諸君はやれ海だの山だのキャンプだのバーベキューだのを堪能(たんのう)している中、僕達二人は何故か夜中の図書室で本棚の整理をするという、かの孔子もびっくりの積徳(せきとく)行為に耽(ふけ)っていた。

 なんでも司書の先生によると、八月六日、つまり明日から十日までの五日間限定で、図書室で受験生の勉強会なるものを行うらしい。

 そのための図書室の掃除をするべく、暇をしていた図書委員の僕が駆り出されたということだ。

 ちなみに立花は僕が呼んだ助っ人。実際に図書室に来てみると、一人で片づけられるキャパシティを遥かに超える程散らかっていたので、夜分に悪いとは思いながらも救援要請を出させてもらったのだ。

 ここのところ、立花のご機嫌は悪かったからてっきり断られるかと思っていたのだけれど、しかし豈(あ)に図(はか)らんや、あっさり快諾してくれた。

 どころか立花は図書室に来てからというもの、やけに機嫌がいい。あの川辺さんの事件以来久しぶりに会うから、その間に何かいいことがあったのかもしれない。何にせよ、好きな人の機嫌がいいというのは、それだけでいいことだ。


「そう言えばさ、桟」


 カウンター越しに銀鈴(ぎんれい)の声音が耳に届く。生徒が好き勝手乱しやがった本の位置を修正しながら僕はその声に応じた。


「何?」

「川辺さんってさ、結局のところ、何であんな能力を持ってたの?」


 僕の作業の手はピタリと止まった。

 振り向き、ジトっとした目を立花に向ける。


「立花……あの時分かってなかったの……?」


 立花は窓の方へとそっぽを向いた。


「仕方ないでしょ。聞くの、癪(しゃく)だったし……」

「癪って……」


 不満と呆(あき)れを溜息(ためいき)に乗せて吐き出す。仕事なんだから分からないことがあるならちゃんと訊いてほしかった。というか、気になってたんなら川辺さんが成仏した後、すぐに訊いてくれれば良かったのに。あの後、何故か顔を真っ赤にして立花はそそくさと家に帰っちゃったし。


「あのね、立花。僕達は二人で一つのバディなんだよ。情報の共有ができてないバディはバディじゃない。分からないことがあるなら、ちゃんと訊いてよ」

「……………」


 天体観測でもしているのか、図書室を見守る月から視線を外さず、沈黙する立花。だが、コクリ、と微(かす)かにだがその顎は頷いた。

 ……そんな態度は、珍しい。こういう時は何故か僕が理不尽に謝らされたり、立花が無視するのかの二択なんだけど。

 そんな立花らしくない塩らしい姿に、少し笑ってしまう。

 まぁ確かに川辺さんの事件が解決するまで、立花の機嫌が悪かったのも事実。

 毎日デートしようと言った時も、その時だけは機嫌が良かったけど、京子さんも巻き込むことを知った後は尚更機嫌が悪くなった。

 機嫌が悪い時に、その原因である人物に教えを乞うような言動を取るのは、あんまり進んでしたいことではないだろう。そう考えると原因の一端は僕にあると言えなくもない。

 その反省も含めて、僕はやや語気を緩めて先程の立花の質問に答えることにした。


「鳴かぬ蛍が身を焦がす」

「え?」

「川辺さんの能力の話だよ。立花が訊いてきたんでしょ。……『鳴かぬ蛍が身を焦がす』。川辺さんはこの諺に自分を重ね合わせたせいで、あの能力を獲得したんだ」

「……どういうこと?」


 立花は体勢をもとに戻して首を傾げた。赤い目は訝(いぶかし)むように僕を捕(と)らえている。

珍しく立花が素直なので、僕は少しだけからかうように笑って尋ねた。


「立花、この諺ってどういう意味か、知ってる?」


 案の定、むくれる立花。


「馬鹿にしないで。それくらい知ってる。好きな人への思いを安易に口に出す人よりも、鳴かずに静かに光を発する蛍みたいな人の方がかえって意中の人を強く思ってる、みたいな意味の諺でしょ。確かに一見しただけじゃ意味が分かりにくい諺かもしれないけれど、そこまで難しい諺ってわけじゃ……って、あれ?」


 けどその表情は次第に穏やかな色に変わっていき、純粋な疑問の色へと変化した。立花も気が付いたのか、その確認するような目線は僕の顔へと注がれる。


「そう、立花も気付いたみたいだね。確かにその諺はそんな意味の言葉だ。だけど僕達がその諺をそう解釈するのは僕達がその意味を知っているからこそだ。立花がさっき言ったようにこの諺は一見しただけじゃ意味が分かりにくい。しかもその字面から読み取れる意味はむしろ――」

「鳴かなかった蛍が、ただ、身を焦がしただけ……」


 立花は僅かに俯いて、ぽそっと呟いた。

 白い太ももに落とされた、近くを見据えているはずなのに、どこか遠くを見つめる瞳。

 たぶんその瞳は、あの時の川辺さんの姿を映している。


『私は好きな相手に好きだってことさえ告げられずに振られたの。私は彼のために我慢して我慢してその気持ちを抑えてきたのに、彼は私を都合の良いように弄んだだけだった』


 あの台詞(せりふ)こそが川辺さんが蛍になった理由の全てを語っていた。

 鳴かずに身を焦がすだけの蛍、つまり思いを言葉にできず、ただ光って恋焦がれるだけの生物。

 そんな姿をその諺――『鳴かぬ蛍が身を焦がす』――に自分と重ね合わせ、そして自分をそんな風にした千台さんのような存在を、川辺さんは心底恨み、そうして川辺さんはあの能力を手に入れたのだ。

 気持ちを言葉にできず、ただ恋に燃えて焦げるだけの蛍、そんな存在を生み出す千台さんのような人間を、同じ目に遭わせるために。


「もちろん川辺さんが本来の諺の意味を知らなかったからその能力を獲得したってわけではないと思う。ただ、川に飛び込んで蛍を見た時、その諺を思い出して、死ぬ前の自分に重ね合わせただけ。川辺さんが化ける蛍が一匹じゃなく群れだったのは、死に際に見た蛍が群れだったからっていうのが一番しっくりくる理由かな。蛍が燃えていたのは『焦げる』の部分からだろう」


 僕はそう締めくくりつつ、整理していた本棚を一瞥(いちべつ)する。

 もうほとんど、事件にも本棚にも直すべき箇所は見当たらない。けれど、やっぱりどこかに綻(ほころ)びがあるような気がしてならなかった。それはやっぱり僕が川辺さんではなく、僕が僕であるが故のことなんだろう。どんなに川辺さんの気持ちになったところで、心を視れたところで、正しい事実を、残酷な真実を語ったところで、記憶を共有したところで僕は川辺さんにはなれない。

 だけど、それでいいと思う。

 今回の事件を無事収束させたことで、僕と立花には協会から当面の生活の保証と、ほんのささやかな報酬が支払われている。そして、また事件が起きれば動かなくてはならない。

 僕にだって優先順位がある。たとえ今回の事件に見落としている部分があったとしてもそれは既に過去の事。僕と彼女の生活のために、悪いけれど、そんな小さなものに気を遣う猶予(ゆうよ)も意欲も必要もない。


「そっか……そう、だったんだ」


 立花は目を細め、項垂(うなだ)れるようにして、ただでさえ小さな口を小さく動かし、思わず守りたくなるようなか弱い声音を紡(つむ)ぎ出す。

 そして、垂れ下がっていた瞼(まぶた)をゆっくりと開けると、再び窓の方へ椅子ごと体を傾け、ぼんやりとした瞳で月を見上げながら誰に語りかける風でもなく囁(ささや)いた。


「けど……だったら千台さん、少し、可哀想……」

「え?」


 僕は眉をひそめた。立花が何を言っているのか少しも分からなかったからだ。


「どういうこと、立花。可哀想? 千台さんが? 川辺さんが、じゃなくて?」

「うん。千台さんが、可哀想」

「どうして? 川辺さんは浮気……じゃないけれど、それと似たようなことをされて、それで自殺までしたんだよ。今回の事件の原因は間違いなく千台さんだ」

「うん。確かにそうかもしれない。川辺さんも実際、傷ついてた」

「だったら……」

「けど、川辺さんは好きって伝えてなかった」

「――――!」


 僕は目を瞠(みは)った。テスト中に見直しをしていて解答欄が最初から一個ずれていたのを発見した時のような感覚。

 そうだ。これこそが見落としていた綻びなのかもしれない。

 いや、綻びじゃない。強いて言うなら、全てか。そもそも問題そのものが間違っていただけだったんだ。

 立花がおもむろに立ち上がる。そして、月の浮かぶ窓の方へと歩き始めた。


「確かに千台さんは浮気に近いことをした。それも未成年と。それはいけないことだと思う。他の殺された人たちも同じ。……けど、それは気持ちを伝えなくてもいい理由にはならない」

 立花は窓辺まで来ると立ち止まり、クルリと振り返る。うっすらと笑うと、願うように左手を胸の上に置いた。


「好きなら好きって言うべきだよ。じゃないと……やっぱり不安になる」


 やっと。ようやくここで、僕は立花が最近まで怒っていた原因を悟ることができた。

 そうだ。僕が感じていた綻びは川辺さんのことなんかじゃない。これ、だったんだ。

 立花はずっと僕にそれを言って欲しくて――怒っていたんだ。

 蛍のような月明かりを頭上に戴(いただ)く立花は、踵(きびす)を返して窓を開ける。

 そして月と夜空に瞬(またた)く星々を眺めながら、言葉を闇に溶かしていった。 


「人間は、蛍と違って光ったりしないしね」


 蝉(せみ)の鳴く声が、遠くで聞こえた気がした。


一章はこれで、おしまいです。次から第二章となります。もしよろしければご覧ください。

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