Firefly
「ねぇ、桟」
一学期が終わり、いよいよ高校生として初めて夏休みを迎えた七月末。
ショッピングモールで立花と買い物をし映画を堪能し、もう人生で何度目になるか分からないプリクラを撮りまくったその帰り道の夜。
休憩するために立ち寄った、電柱一本分しか夜闇を照らす光源がない公園のベンチで、隣に座る立花は伏し目がちにそう呼びかけてきた。
「ん? 何、立花」
「……桟はさ、京子さんのこと、実際どう思ってるの?」
「京子さん? うーん、まぁ多少変わったところはあるけど、やっぱり恩人かな。僕を救ってくれたのは立花だけど、今の僕達が無事に生活できてるのはあの人のおかげだし。だからやっぱり恩人って言うのが近いかな」
「そういうことが聞きたいんじゃなくて……」
立花は伏し目がちだった瞳を僕の方へと向ける。揺れ動く瞳。その瞳は今にも泣きだしてしまいそうなほど潤んでいる。
「そういうことじゃなくって、何?」
「……もういい」
僕が訊き返すと、立花は俄かに立ち上がった。そのまま公園の出口へと歩いて行こうとする。
「六花、どこ行くの」
「帰る」
ベンチから立ち上がり、その背中を呼び止めるも、立花はにべもなくそう答えた。
真夜中の公園は虫の呼吸音が聞こえてくるのではないかと思うくらいの静寂だ。その中で立花の土を踏み鳴らす荒々しい足音だけが、この空気の秩序を乱している。
ザ、ザと、砂と擦れる立花のスニーカー音が聞こえる。
その音を聞くのが嫌で、僕は彼女に近づこうと足を踏み出す。
そして数歩ほど歩き、立花との距離が二メートル程まで縮まったところ。
『……ろ。焦げろ! 焦げろ! 焦げろ! 焦げろ!』
――唐突にその静寂を打ち破る『声』が聞こえた。
「立花、上!」
喉が張り裂けんばかりの大声で、僕は叫んだ。
と、同時に立花が振り返り、突如その手に顕現した刀を白銀の鞘から抜き、振るった。
猛烈な加速と同時に振り出されたそれは斬撃となり、僕の頭上二十メートルほどの距離に迫っていたソレへと襲い掛かる。
ソレ――幾数もの光の玉。それは斬撃が飛んでくることを察知したのか、まるで一回転するジェットコースターのように旋回し、斬撃を避け、そして僕達がいる方向とは真逆の闇夜へ逃げていった。
そして同時に僕は気付く。
ソレは幾数もの光の玉などではなかった。
ブンブンという羽音がやけに耳について煩わしい。
闇夜に点滅するように光るソレ。
ソレは——群れを成した数十匹の蛍だった。
「……消えた?」
プツン――とまるでブレーカーが切れた時のように、さっきまで闇雲を彩っていたソレが初めから存在しなかったかのように突如、消え失せた。
羽音も止み、聞こえてくるのは怪訝そうな声音でそう呟く、駆け寄ってきた立花の声だけ。
しかし、それは空気上で聞こえている音だけだ。
幽霊の心が『視える』僕には、聞こえる。
無数の『焦げろ』という言葉と『どうして』と言う言葉。
蛍の集団は消えたわけではなく、まだ幽霊は、闇夜にひっそりと息をひそめている。
――まだ、そこにいる。
「驚いたわ。あなたたち、私が見えるのね。いったい何者?」
ザ、という足音とともにそれは暗闇を従えているかのように、現れた。
クマの濃い目に、不思議と似合うリクルートスーツ。長く腰まで垂らした黒髪に、一センチほど亀裂が入った眼鏡。整った顔立ちに、不気味な笑顔。
熱を一切感じさせない声でその女性は訊いてくる。
それは今回四人もの焼死体を生み出した犯人、
この前ニュースで溺死していたことが伝えられていた——川辺夢子さんの幽霊だった。
僕は川辺さんの動きを注意深く観察しながら告げる。
「こんばんは、川辺さん。突然で恐縮ですが、僕達は半霊という存在です。言わば人間と幽霊の間のような存在。そして半霊にはこの人間社会をかき乱す悪い幽霊を退治する義務がある。川辺夢子さん、あなたを退治させていただきます」
「……退治?」
「成仏、あるいは殺す、と言うことですよ」
「――!」
ここで初めて川辺さんの笑顔が消え失せ、代わりに獰猛な野獣の如き形相が現れた。
確信したのだろう。
自分が僕達に誘い出されたこと。自分が焼死体の事件の犯人であることがばれていること。僕達が只者ではないことを。
それらが彼女の心に描き出され、僕の能力で、僕の脳内に直接伝わってくる。
川辺さんは表情を無理矢理笑顔に引き戻すと、僕達二人を観察するように言った。
「そういうこと……。私は騙されていたってわけね。……ねぇ、あなた、私を退治するって言ったわよね?」
「はい」
「それは私があなたたちに敵対しない場合であっても、あなたたちは私を殺すのかしら? あなたたちのアレが演技であった以上、私にあなたを殺す理由はない。もし、あなたたちが手を引いてくれるのなら、私はあなたを今ここで殺さないと誓うわ。それに人を殺すのも極力控える。どう? いい条件だとは思わない?」
僕は川辺さんの心を視る。
どうやら川辺さんの言葉に嘘はないようだった。
川辺さんは僕達が手を引けば本気で僕達と敵対せず、この場から去ろうとしている。
殺人を極力控えるという言葉も嘘ではない。
だが嘘ではないだけだ。
彼女が幽霊である以上、必ずその能力でいずれは人を殺すし、僕が半霊である以上、幽霊である彼女を見過ごすことは絶対にできなくなる。
僕達は協会には――絶対に従わなければならない。
「残念ながら、できません。もしもあなたが殺した人数が一人くらいなら話を聞く余地ぐらいはあったのかもしれませんが、あなたは四人も殺している。四人は――やりすぎだ」
「……そう。なら交渉は、決裂ね」
スッ、と川辺さんの顔から笑顔が消えた。いや、消えたのは笑顔ではない。
顔が、手が、足が、胴体が、すべてが消える。
代わりに出現したのは無数の光――いや光ではない。
――炎をお尻に湛えた、蛍の群れ。
ブンブンと騒がしい羽音を唸らせ、前胸の赤い斑点が、血走った人間の目のように僕らをギロリと覗き込む。
『……ろ。焦げろ。焦げろ。焦げろ。焦げろ。焦げろ。焦げろ。焦げろお!』
瞬間、蛍の群れが爆散し、僕達の方向めがけて襲い掛かってきた。
距離にしておよそ十メートル。
人間にはおよそたどり着けない速度と恐ろしい狂気を携え、怨念に満ちた火の粉をまき散らしながら猛追してくる。
それらは一匹の残らず僕を包み込み、灰にし、焼き殺そうと――
「立花!」
「分かってる!」
――はせずに、それは彼女の当初の標的であった僕ではなく、そうと見せかける形で立花の方向へと飛んでいこうとしていた。
さっきの立花の斬撃で、川辺さんの中の始末すべき優先順位が変わっていたからだろう。
僕は立花へ攻撃の指示を出すのと同時に、立花の後ろへ隠れるように川辺さん、いや、蛍の群れから走って離れる。
情けないが、立花の傍にいたところで僕は彼女の戦闘の邪魔になるだけだ。
それに僕の役割は――別にある。
「立花! 右に一閃!」
「真上と正面から突っ込んでくる! 少し下がって纏めて殺せ!」
「攻撃を避けた振りをして背中から襲ってくる! 斜め右に振りぬいてそのまま背中へ薙げ!」
川辺さんと戦う立花に指示を出す。
あの手この手を用いて川辺さんは立花に襲い掛かるも、僕の指示により攻撃の手を読まれて逆に立花から反撃を喰らっている。
これが僕の戦闘における役割だ。
立花が実戦担当で、僕が司令塔。
幽霊の心を視ることしかできない、僕の唯一の役割にして、思考を苦手とする立花の弱点を補う、霊殺士としての僕達を支える最大の武器。
『っ……!』
攻撃をしているはずの川辺さんが、僕の指示のせいで防戦一方になっている苦しさが、彼女の心を通じて僕の脳裏に伝わってくる。
何度手を変え品を変え立花を襲っても、どんな複雑な策を練っても、僕に手を読まれて防がれる疑念と焦りと不安が波のように押し寄せる。
無駄だ。
僕は幽霊の考えていることが分かるのではない。
心を視ることができるのだ。
いくら考えないように動いたところで、策を練ったところで、いかに幽霊と言えども心を無にすることは――できない。
「……腹立たしいっ!」
ついに業を煮やしたのだろう、川辺さんは立花ではなく、標的を再度、僕へと定めた。
司令塔である僕から殺そうという魂胆。
だが――それもお見通しだ。
「立花! 後ろへ!」
川辺さん、いや蛍が立花の後ろにいる僕の背中めがけて、まさに光速で回り込んでしてきたのとほぼ同時、立花に斬撃を背後に繰り出すように命令する。
しかし、当然その方向には蛍だけではなく、僕もいる。だが僕は立花にそう命令した直後、持てる力のすべてを用いて跳躍していた。
人間は、自身の身体を傷つけないために無意識に力を制御している。しかし、そのリミッターを外せば、通常、蛍が飛ぶ高さ程までなら人間はその近くの高さくらいまでは跳躍できる。それが目の前に斬撃が迫っているような、命の危機にあるような状況なら、猶更。
『っ……!』
川辺さんから苦痛が伝わってくる。
案の定、立花の白銀の斬撃は、背面飛びした僕の足元ギリギリをすり抜け、僕を襲おうとした蛍を巻き込み、切り刻み、飛んで行った。
僕の視界の中で、倒れ伏し、炎を失い、死んだ蛍の姿が散らばっていく。
約四分の一程の蛍は何とか難を逃れていたものの、立花が殺した蛍は四分の三以上。
これほどの痛手を受ければ川辺さんも絶命せざるを得ない――
『焦げろ! 焦げろ! 焦げろ! みんな、焦げオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!』
「――――!」
が、安堵したのも束の間、そんな川辺さんの『声』が聞こえてきたのと同時、僕はそれが愚かな考えだったと知った。
――こいつら、一匹一匹に命があるのか!
運よく立花の斬撃を逃れていた四分の一は初めて僕を襲ってきた時と同様、斬撃を避け、一回転するジェットコースターのように旋回して、僕を殺すべく執念の炎を向けてきていた。
「くそ…………」
僕は空中にいて、逃げ場はない。
そして、僕がここで殺されれば、僕の指示がなくなった立花も殺される。
すなわち、勝ち目はない。どうする?
そんなの、決まってる。
――今ここで、こいつを殺すしかない!
『アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ! 焦げろオオオオオオオオオオオオオオ!』
「……死ぬのは、お前だ……! 立――」
「分かってるってば」
刹那。空中で仰向けになっている僕を、上から焼き尽くさんと襲い掛かる蛍の群れ。
その更に上に、蝶のように優雅に飛んでいる立花が見えた。
「大人しく――散りなさい」
闇夜に銀色が閃く。
それは月光を浴びた立花――ではなく、目にもとまらぬ速さで繰り出された刃の波動。
『な……! まさか、この男の子ごと⁉』
斬撃が蛍を貫く直前、そんな川辺さんの思考が僕の脳裏に木霊する。
そう。今川辺さんを殺さなければ、僕は殺され、立花も殺される。
なら――今この瞬間、僕ごと殺ってしまえばいい。
そう命令するつもりで僕は立花の名前を呼ぼうとしたのだが、僕が命令する前に立花は跳躍していた。
まるで、僕ごと蛍を殺すことを、何とも思っていないかのように。
『っ……! アァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ――――!』
川辺さんの絶叫と共に、僕と、切り刻まれた蛍たちが、お尻に宿した炎を揺らめかせながら、儚く地面へと落下していく。
それはまるで、咲き終えた祭りの花火のようで、美しく、そしてどこまでも、堕ちて行くだけだった。
ご一読ありがとうございました。次話もご覧いただけますと幸いです。




