物騒な世の中
「巨大な人魂?」
七月中旬。
東京都心からだいぶ離れた住宅街、橋暮町。
その町にひっそりと佇む喫茶店『百合黄』の水屋兼和室兼休憩室にて、高校帰りの放課後、僕、八原桟は、昨夜、高架下で見つかったという焼死体について、キセルから紫煙をふかしながらさも楽しそうに語る京子さんにそう問いかけた。
京子さんは『ふぅ』とやけに艶めかしく窓の外の夕日を見つめながら再び煙を吐き出し、
「そう。人魂。別名、鬼火とも言うわね。厳密に言えば、目撃者の男子高校生曰く、小さな光みたいなものがいっぱい集まってそう見えた、っていうだけらしいけど。……たくさんの光が被害者の少年の体にまとわりつき、そして一つ一つの光が――」
ボウツ。
言うと同時に京子さんはキセルを咥えながらマッチに火をつけた。そして、あらかじめキセルの火皿に詰めておいた煙草に、火のついたマッチをあて、鎮火してから灰吹に捨てる。再びその艶やかな唇から煙が吐き出され、和室の中を紫煙がくゆらした。……僕は未成年だし、ここはあくまで水屋なので煙草はやめた方が良いと思うのだが……。
百合黄京子。
僕が所属する協会。霊殺士協会橋暮支部の支部長だ。また、喫茶店『百合黄』を営む若女将でもある。
年齢は二十五(自称)。いつも値の張りそうな着物に身を包んでおり、濡羽色の黒髪を後ろでたぼ形に結わえている。
いつも聖母のような笑みを湛えている美人でスタイルも良く、喫茶店のお客さんにも人気の女将なのだが、本人に興味がないのか、それともひた隠しにしているのか、浮いた噂はゼロと言っていいほど皆無。
以前、それとなくそういった質問をしてみたことがあるのだが、普段、瞳を見ることがないほど常に微笑を絶やさない京子さんが、その時ばかりは般若もかくやとばかりの形相で僕を睨んできたので訊くのを途中でやめた。もしかしたら男運、というのがないのかもしれない。
僕は、僕の胡坐の中ですやすやと眠る、京子さんの飼い猫である三毛猫のコインの頭を撫でながら、
「これで四人目、でしたっけ。殺されたの」
備え付けのテレビから、「本日未明、東京都橋暮町、仏川上水から死体が見つかりました。遺体は身に着けていたものから、川辺夢子さん二十五歳(女性)のものと推定されています。昨日はこの川で、蛍の鑑賞会、通称仏川蛍祭りが開催されていたこともあり、警察はその際に転覆した可能性もあるとして、その関係性を調べるとともに、自殺も視野に入れて捜査を進める方針を――」とキャスターがニュースを読み上げている声が聞こえる。昨日の焼死体の件についてはさっき報道された。これは人魂とは無関係の事故だろうが、とにもかくにも、物騒な世の中だ。
「そうね。一人目はアイドルの事務所で。二人目は公園の茂みの中で。三人目は自宅のベッドの上で。そして四人目は高架下で。それぞれ夜中に殺されて、焼死体で見つかってる。……けど、現場を目撃した人がいたのは、今回が初めてね」
「それで、とうとう僕らにお鉢が回ってきたってことですか」
京子さんはフッと微笑んだ。
「ええ、そういうの、得意でしょ?」
「…………」
得意か不得意かと言えば、別に得意じゃない。ただ、協会の意向には逆らえないというだけだ。
「情報が少なすぎます。せめて被害者の名前だったり職業だったり、家族構成が分からないと」
「そこらへんは立花ちゃんに伝えてあるわよ。そろそろ帰ってくると思うし、なんだったら明日学校で訊いて?」
「警察は? 『幽霊』の仕業といえども被害者は出てるんだから動くでしょう?」
「『見えない』彼らには何もできないわよ。協会も情報をひた隠しにしてるんだし。全く手に負えないって感じね」
溜息を吐く。なるほど。既に協会は僕らに仕事を丸投げする気らしい。……まぁ、支部長、つまりは僕の上司にあたる京子さんにこうして頼まれているのだから、そもそも僕に拒否権なんてないんだけど。それに、京子さんには恩もあるからできるだけ仕事は引き受けたい。
「分かりました」
僕はコインを起こさないように胡坐を崩し、スッと立ち上がって言う。
「あら? 引き受けてくれるの?」
「僕も立花もまだ生きていたいですしね。協会を敵に回して死んでいった人、何人も見てますから」
協会にはそれだけの力がある。というかまぁ、僕も立花も京子さんも協会に養われている立場なので仕事をせざるを得ない、というのが正直なところだ。……あるいは、管理されてるだけ、とも言えるかもしれないけど。
「そう。それじゃあ、よろしくね」
僕が依頼を無事に引き受けてくれたことが嬉しかったのか、京子さんはそれまでの微笑とは種類の違う笑みを浮かべた。うん、何はともあれ恩人が喜んでくれるのは僕としても喜ばしい限りだ。……けど、
「ところで京子さん」
「ん? どうしたの?」
「その手は何ですか?」
依頼を受けて会話も一段落したし、そろそろお暇しようかと思って襖を開けようとしたところ。僕の制服のズボンの裾を、キセルを持ってない方の手でちょこんと掴む京子さんの姿が目に止まった。
京子さんは火事にならないよう、キセルを木製の机の上に慎重に置く。と、着物の袖から、着物には似合わないスマートフォンを取り出し、慣れた手つきで操作して画面を僕の方に向けてきた。
それはもう、楽しそうに。
「駅前のゲームセンターに新しいプリクラが入ったの。これから付き合って」
「お断りします」
僕がそう言って襖を開けようとしたのと、京子さんが僕のズボンの裾を思いっきり引っ張ったのはほぼ同時。しかし、一瞬だが、京子さんの方が早かった。
「ねぇ、お願い。一時間だけでいいから。これマジ盛れるらしいのよ」
「大人びた和服美人というイメージを一瞬でぶち壊すその言葉遣いを今すぐやめてください。あと、京子さん。一時間とか言いながら前、五時間も付き合わせたじゃないですか。あの時、同じクラスの女の子も偶然居合わせて、後日、めちゃくちゃからかわれたんですよ。本当に勘弁してください」
百合黄京子。
彼女は古風な見た目とは裏腹に実はトレンディなモノが大好きだ。より厳密に言うなら、ナウでヤングな女子高生が好みそうなものが大好物。
プリント倶楽部、通称、プリクラもそのうちの一つ。一人で行くのは恥ずかしいからと、時折こうして僕を連れて行こうとする。おそらく今日僕を呼び出したのもこのためだったのだろう。本当に勘弁してほしい。マジで。
転んだ僕に容赦なく畳の上で掴みかかってくる京子さんに抵抗しながら、僕は抗議する。
「立花を連れて行けばいいじゃないですか。本人は隠してるつもりかもしれないですけど、実は可愛い物大好きっ娘なんですから。絶対そっちの方が楽しいですって」
「立花ちゃんは恥ずかしいって言って聞かないの。無理やり連れて行くのも可哀想でしょ?」
「今無理やり連れて行かれそうになってるのは誰なんですかね?」
百人一首ばりに畳上で格闘しながら「いいでしょ?」「嫌です」「いいわよね?」「嫌」とYES OR NOを繰り返す。
各々着ているものがはだけてきていて、もしこの現場を第三者に目撃されれば完全に誤解されかねないシチュエーションだ。
そして、そういう嫌な展開ほど大抵高確率で訪れるもので、
「なに……やってるの?」
その透き通るような声に京子さんと僕の乱闘は一度ストップした。
声の震源地である襖の方を向くと、一人の女の子が立っている。
腰まで真っ直ぐ下ろした白髪。同じく石膏のように白く、雪花のように瑞々しい肌。女の子らしい凹凸のはっきりした肉体。
それは紛れもなく僕の同級生にしてパートナー。千神立花の普段の姿だった。
……そのゴミを見下ろすような赤い瞳を除いて。
「違うんだ。立花、これは――」
その続きは僕の顔面にめり込んだスクールバッグのせいで発することができなかった。
階段をギシギシと登っていく音が聞こえる。どうやらバッグを僕の顔面に投げつけた後、即行で二階の自分の部屋に行ってしまったらしい。
ポロ、とバッグが僕の顔面から畳へと落下する。溜息を吐いて、僕は元凶となった京子さんを睨みつけた。京子さんは、
「それじゃあ、行きましょうか。大丈夫、お日様と再開するまでには帰れると思うわよ」
「…………」
……なるほど。やはり世の中は物騒だ。
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