第三章 Which Do You Like Better, Right Foot Or Left Foot ?
『吾輩は猫である。名前はまだ無い』
『どこで生れたのかとんと見当がつかぬ』
小学三年生くらいの時でしょうか。
そんな特徴的な冒頭の小説を読んだ記憶があります。
当時から言葉の由来や文章が好きでよく本を読んでいた私ですが、もう読んでから二年ほど経ちますし、内容は正直ほとんど覚えていないのですけれど、その変わった冒頭だけは印象的で覚えていました。
いえ、別に名前の無い猫が可哀想だったから印象に残ったということではありません。
むしろいいなぁとさえ思いました。
だって名前が無いということは、まだ名付けてもらえる可能性が残っているということではありませんか。
……まぁ、この物語の主人公の猫は名付けられる前に死んでしまったんですけれど……。
しかし、ともかく。
まだ名前が与えられるチャンスがあることは、とても幸福なことだと思うのです。
そう。少なくとも名付けられておいて、名前をいただいておいて、尚も名前を失ってしまった私に比べれば。
『どこで生れたかとんと見当がつかぬ』
この小説の冒頭でもそうあるように、私もどこで生まれたのかとんと見当がつきませんでした。
病院で生まれたのかもしれません。メルヘンチックにコウノトリが運んできてくれたのかもしれません。それとも真逆で、どこぞの公衆便所みたいな汚いところで母の腹から生まれたのかもしれません。
とにかく私は自分が生まれた場所を確認する術がありませんでした。
物心ついた頃には施設にいて、その頃には親は私を置いてどこかに行方をくらませてしまっていたのですから。
施設。
児童養護施設。
家族が暮らす家ではなく、他人が一緒に暮らす家。もちろん今となっては他人ではなく、家族同然の人達と住んでいる場所だとは思っていますが、しかし、当時の私にとっては、そこはそんな場所でした。
私に家族の名残はほとんどありません。
唯一あったのは、両親から与えられた自分の名前だけ。
職員さんによると6歳とちょっとぐらいで、もう育てられなくなったと、両親に施設に預けられたそうなのです。
そんな名前だけが、私と家族を繋ぐ唯一のもの。
私はそれをとても大切にしていました。
けど、どうしてでしょうか。
私はすぐにこの名前さえも失ってしまうことになります。
いえ、別に私が自分の名前を忘れたというわけではありません。
私はちゃんと自分で自分の名前を覚えていますし、第一この名前はそう、それこそ苦沙弥先生並みに奇天烈な名前ですので、忘れようにも忘れられません。
しかし名前というのは他人が呼んでくれることで初めて成立するのです。
施設にいた職員の皆さん、そして学校の同級生、同じ施設の子供達。
その人たちはいつしか皆私の名前を呼ばないようになりました。
最初は私も名前を呼んで呼んでと同級生や先生達にせがんでいましたが、せがむ度に皆一様に顔をしかめるので、私もいつしか皆にお願いすることはなくなりました。
こうして私の名前は消え失せてしまったのです。
辛かったです。
悲しかったです。
……だから、でしょうか。
今私の目の前で名前を呼んでくれなかった友達たちが縛られて浮いている気がするのは。
……いえ、きっとこれは夢なのでしょう。
じゃないとこんなの、説明が付きません。
確かに私はその子達に恨みこそ持っていましたが、引っ込み思案で臆病なこの私に、同級生を縛って浮かせるなんてことができるわけもありませんし、それに何より現実以上に現実的なこの施設内において、そんな超能力じみた現象が起きるわけもありません。
だからこれは夢なのでしょう。
いえ、夢というよりも酔狂でしょうか。
もしかしたら私も、あの猫同様ビールで酔ってしまったのかもしれません。
私じゃ私じゃ。
ご一読ありがとうございました。第三章もよろしくお願いいたします。




