蝙蝠と鼬
「上手くやったね」
膝の上の白い生物を愛おしそうに撫でながら、立花はそう呟いた。
都内。某ビルの二階。
十畳ほどの照明を極力排した洋室に、木製の丸テーブル。同じく木製の猫脚の椅子が一定のスペースを空けて六つ程置かれていて、その机の間には馥郁たるコーヒーの匂いが広がっている。
一見するとただのおしゃれなカフェという感じだ。
ただ立花の上に座っているのとは別の個体のその生物が、店内をてこてこ歩いたり、さささと走ったり、ぴょんぴょん跳ねたりするせいで、そんなイメージは、走り回るその生物の毛色のように白紙に戻ってしまっていた。
昨日の鬼城の件から一夜明けた翌日というか、今日。
つまり、文化祭当日。
僕と立花は、高校生の間で三度しかない貴重な文化祭を共に満喫――するわけもなく、最初の約束通り二人で兎カフェ通称うさカフェに来ていた。
今日、本当は京子さんともプリクラを撮る約束をしていた(一方的に決められていた)のだけど、昨日の一件で鬼城が霊殺士になることが決まり、その登録などの手続き諸々を行わなければいけなくなってしまったため、もともとダブルブッキングだった予定が一つに絞られた結果、こうして僕は、お金を払って小動物を可愛がるという、正直言ってまんじりとも理解できない行動に及んでいる、というわけだった。
僕は背もたれに深く腰掛けコーヒーを一口含む。そして兎の両耳を引っ張り、兎以上に赤い目を輝かせている立花を眺めながら言った。
「ん? ああ、鬼城の件? あれは確かに、上手くいった。流石に幽霊の心までは読めても、流石に半霊までは心は読めないから、それっぽい理屈をでっちあげることで、何とか鬼城に納得してもらうことができた。嘘を吐いちゃったことについては後で鬼城に謝っておかなくちゃね」
「そうじゃなくて」
「え?」
「鬼城さんじゃなくて、京子さんの方。京子さんを、上手く騙したねってこと」
「…………」
僕は飲みかけていたコーヒーのカップを空中で止めた。
顔を上げる。
立花を見る。
立花はこっちに視線を向けることなく、変わらずカイウサギの耳を弄んでいる。
「京子さんに聞いたの。昨日の作戦は桟が今日、京子さんを、鬼城さんを霊殺士にさせるための手続きに向かわせて、気兼ねなく、私と二人でここに来るためだって。ダブルブッキング、つまりは板挟みを解消したいのなら、どちらかの板を消せばいい」
「そんなのたまたまだよ。そんな証拠がどこにあるのさ。まぁ、今、立花の特技でそう判断されたのなら仕方ないけどさ」
「確かに私には人の感情を読み取れる特技はあるけれど、でも、そうじゃない。私は感情は読み取れるけど、その理由までは分からないから。前、メイド喫茶のことを聞いた時はたまたま当たっただけで、実際、桟のはかなり読みにくいし」
「じゃあ、何で?」
「……昨日は文化祭前日だった。前日だから、大量の生徒が準備のために学校に泊まってた。そんな中、鬼城さんを捕まえるのは、幽霊や半霊の存在を知られたくない私達にとってリスクでしかない」
「犠牲者を少しでも減らしたかったんだよ。一日でも早く自覚のない半霊を処理しなければ、間違いなく野勢君以外の犠牲者も出ていた。廊下で鬼城の悪口を言ってた空手部の先輩たちも標的だっただろうし」
「その返しをしてきたら、じゃあ何で、その空手部の先輩さん達の警護の方にリソースを割かなかったのか、って伝えておいて、だって」
「…………」
「あの野勢君を殺した日の夜、鬼城さんは別の、それこそ空手部の先輩を人気のない所へ呼び出し、殺ってから、野勢君のところへ来る可能性もあった。桟は昨日の夜、鬼城さんを見張ってたから、鬼城さんが野勢君以外を殺そうとすればすぐに気付いて、野勢君の所で待ち伏せしてた私を呼ぶだろうけれど、それでも、移動には時間がかかる。その間にさらに別の空手部の先輩だって殺されたっておかしくはない。それだと犠牲者を減らしたいっていう桟の理論とは矛盾する。だからあくまであの日に、自覚のない半霊を処理することだけが桟の目的だった。自覚のない半霊を討伐し、鬼城さんを霊殺士にし、その手続きに今日、京子さんを向かわせ、私とのダブルブッキングを避けるために」
って京子さんが。と締めくくって、ようやく立花は上目遣いでこちらを見て来た。
僕は空中で止めていたコーヒーカップをソーサーに置き、肩を竦める。
やれやれ。
やっぱり、どうも、あの人だけには敵わないな。
僕は苦笑しつつ、もう一度コーヒーカップを手に取り、いつもより苦めに感じるブラックを口に流し込んで訊く。
「怒ってる?」
「別に」
立花は、言う。
「別に。こうして私が桟とデートできてるんだから、それでいい。何で勝手に可愛い女の子を霊殺士に引き入れたりしてるのかとか、ちゃんと選ばないなんて最低とか、そういうのは、気にしてない」
「滅茶苦茶怒ってるじゃん……あ、いえ、何でもないです」
兎以上に赤い目で睨まれたので僕は自重した。赤信号が出ているのに渡るほど僕は馬鹿じゃない。
立花はしばらくの間僕に、まさに脱兎の如く逃げ出してもおかしくない恐怖の視線を向けてきていたけれど、やがて膝上の兎をおざなりにしてしまっていることを思い出したのか、今度は髭をぴょんぴょん指ではじきながら、
「ああ、でも、私は別に怒ってないけど。京子さんの方は怒ってたかな。仕方ないから、桟の代わりに鬼城さん……じゃなくて空音ちゃんってもう呼んでたっけ。空音ちゃんに七十二時間プリクラ付き合ってもらうから、って言ってた」
「ごめん……鬼城」
まさか霊殺士になってからの一番の試練が京子さんとのプリクラだとは……。
彼女を霊殺士にしたのは僕だし、彼女の罰に霊殺士はふさわしいものだと思っていたけれど、流石に申し訳ない気がしてきた。
あの人と七十二時間、しかもプリクラだなんて幽霊よりも恐ろしすぎる……。
というかあの人、絶対僕にかこつけて、現役の女子高生とのプリクラを満喫しようとしてるだけだろ。
現役で、しかも立花みたいにトレンドのトの字もない女子高性とは違って、そこそこ常識や最近の流行りも抑えた美人が身内に入ってくるのだ。今頃京子さんは財布の中身を枯らして鬼城に金を借りてる頃ではないだろうか。いや、まさか京子さんもそこまでするはずないか。
「…………」
それにしても、鬼城、か。
……そう言えば、廊下で鬼城の空手部の先輩の話を聞いていた時、彼女らが言うには鬼城が文化祭の準備を頑張っていたのは、好きな人に近づくためと言っていた。
そのことについては一体どうなったんだろう?
鬼城は他人のためではなく、自分のために文化祭を頑張っていたと言っていた。
となると、鬼城はその好きな人と距離を詰めるために準備を頑張っていたことになる。
その相手とは一体誰だったんだろう?
鬼城は僕とは違ってそれこそずっとクラス問わず文化祭実行委員として働いていた。
だから思い人がどのクラス、どの学年にいたとしても不思議はない。
けど、準備の間、一番鬼城と一緒にいたのは………僕だった気がする。
そして、あの接吻も。
…………。
「桟、どうしたの?」
「ううん、何でもない」
こればっかりは絶対に立花には話せない類の話だ。なので、僕はすぐに首を振り、ついでに話題も別のものを振ることにした。
「そんなことより、立花。『卑怯な蝙蝠』って寓話、知ってる?」
言うと、立花は誤魔化されたのかと、不満気な顔を見せた。
が、僕がそこを何とかぐっと堪えて平素な顔をキープしていると、「……たしか、風見鶏は結局迫害される、みたいな話だっけ」と訝し気に言ってくれた。その通りだ。
「そう。ある時、鳥と獣、どちらが強いかで闘争になった。けど、獣と鳥のどちらの性質も持ってる蝙蝠は獣が有利になれば獣に、鳥が有利になれば鳥の味方をした。だけど結局獣と鳥は和解して、どっちつかずだった蝙蝠はそのせいで獣と鳥、どっちにも受け入れてもらえずに一生暗い洞窟で過ごす罰を受けることになった」
「うん。だけど、それが何?」
「この蝙蝠、鬼城にそっくりだと思わない?」
「…………」
僕に批判的な態度をとっていたからか、立花は素直に頷くことはなく、ただ黙った。
けど、それは肯定の証。
そう。
風見鶏でどちらにもつかずに迫害された蝙蝠。文化祭も空手部もどっちも頑張った結果、板挟みに遭った鬼城。そっくりだ。
「本題はここから。実はこの話には、展開はほとんど同じだけど、結末がまるっきり異なる話があるんだ。知ってる?」
「…………」
さすがに知らなかったのか、立花は小さく首を振った。
「蝙蝠と鼬っていう話なんだけど、この話はね、さっきの話とは違って、蝙蝠を賢い生物として書いてるんだ」
僕はソーサーの上に置かれていた、小さな取っ手のついたカップを手に取る。
ミルクが入ったそれをコーヒーに傾け、注ぎながら、僕は物語の概要を語っていく。
「展開はさっきの卑怯な蝙蝠とほぼ同じ。とある蝙蝠は地面に落ちた際、鳥嫌いの鼬に捕まって殺されかけるんだけど、蝙蝠は自分は鼠だと言って見逃してもらう。蝙蝠は漢字で天鼠とも書くからね。それで、その場ではその蝙蝠は見逃してもらうんだけど、今度は、鼠が嫌いな別の鼬に捕まって、自分は鼠ではなく鳥だから見逃してくれって言うんだ。前には鼠って言って見逃してもらったのにね。……けど、その蝙蝠は結局、その鼬にも見逃してもらうんだ」
「………!」
僕の言いたいことをなんとなく察したのか、立花は僅かに目を見開いた。
そして性格悪い、と言わんばかりの視線が飛んでくる。
僕はその視線を無視し、コーヒーカップを持って、中を眺めた。
「不思議じゃない? 設定や展開はほぼそっくりなのに、オチは全然違う。一つ目の話の蝙蝠、つまり鬼城みたいな蝙蝠と、二つ目の話の、鼬から逃げおおせた蝙蝠――立花と京子さんの板挟みから逃れた僕みたいな蝙蝠、それらが辿った結末は全く違う。どうすれば、一つ目の話の蝙蝠は、二つ目の話の蝙蝠みたいになれたんだろう」
僕はカップをくるくると回す。
白黒はっきりしていたミルクとコーヒーは、かき混ぜられる度、混ざり合って次第に境界線がぼやけていく。
やがて、完全に区別はつかなくなった。
「答えは簡単」
白とも黒ともつかない、グレーに。
「騙せばいいのさ」




