死に体
「何で、覚えてない振りなんかしてるの?」
「え……?」
静寂の校舎に、鬼城の頓狂な声が響いた。
雲が月を隠したのか、これまで明るかった鬼城の顔に影が差す。
鬼城は本気で困惑したような顔と声音で問うてきた。
「ごめん、よくわからないんだけど、急に何? 私が、何を覚えてない振りをしてるって言うの?」
「当然、野勢君を殺したことだよ。いや、違う。野勢君だけじゃない。矢田さんも仲水さんも青山さんも、鬼城が殺したんでしょ? それを鬼城は忘れている振りをしてるんだ」
「は?」
先程と同じようなトーンの声音を鬼城が漏らす。
が、それも一瞬のこと。
「清羅と翡翠と真乃が死んだ? しかも私に殺された? なに、わけわかんないこと言ってんの? てゆーか、そういうの、冗談でも止めた方がいいよ。いくら八原でも看過できない」
間抜けてやや高かった声は、次第に低く重さを増していく。伸びていた背筋もまるで臨戦態勢の獣のようにやや猫背に近づいた。
確かに鬼城の意見はもっともだろう。的を射ていると言ってもいい。僕だって、鬼城の立場なら転校さえ選択肢に入れてもおかしくない言い草だ。
が、それは根拠がなければ、の話だ。
「一番大きな理由は、立花に袖を引かれたことだ。立花はね。人の感情を読み取る能力に長けているんだ。例えば、本当は嬉しい時に怒っていたりしたら、本当は嬉しいってバレるし、知っているはずのものを知らないと言えば、それは知っているんだと、バレる」
「はあ?」
いくら鬼城でもそんな主観的な台詞を信じてしまうほど純粋ではないのか、呆れたような顔を向けてきた。
けど、事実だ。前の蛍事件の時。そして三日前に僕がメイド喫茶のことを隠そうとした時。
あんな時みたいに、立花には人の感情を恐ろしいほど正確に感じ取れる能力がある。
さっき制服の袖を引かれた時も、鬼城が記憶を忘れていると、嘘を吐いてることを僕に知らせるためのサインだった。
「何、それ。そんなの誰でも言えるじゃない。路上の怪しい占い師と何も変わらない」
「分かってる。だから、これはあくまで僕側の決め手になっただけのことだ。だから、証拠を見せるよ。鬼城、これを見てくれる?」
「は?」
僕は制服のポケットからスマホを取り出す。
そして、カメラのアプリを起動し、とある二つの動画を鬼城に見せた。
「これ――!」
鬼城はスマホを覗き込むと、息を呑む。
スマホを見てから、瞼は一度たりとて仕事をしていない。
そう。
それは、鬼城が野勢君を殺した所を映した動画。それから少し飛んで、鬼城と立花が戦い始め、立花が勝つまでを僕が隠れて撮影していた動画だった。
これを見せるということは、鬼城が半霊を知ってしまうと言うことになる。そうすれば普通の世界にもう戻ることはできない。
けど、立花の手により、鬼城が嘘をついていることは証明された。それ故の動画だった。
「これ、一体何なの? 私は、一体……? それに千神さんは一体何者なの? 八原も、何でそんなに冷静なの?」
今すぐにでも大手事務所の女優オーディションを受けに行くことを勧めたくなるくらいには、鬼城の演技は完璧だった。おそらくミステリードラマで鬼城がこの演技をしていればまず間違いなく、視聴者は彼女を犯人役から外していただろう。
が、そんな鬼城には悪いが、この瞬間、鬼城が嘘をついていることが確定してしまった。
何故なら。
――鬼城の体から、ガラス板が出てこなかったから。
京子さんの話によれば、記憶のないはずの自覚のない半霊は、幽霊を見るか、自分が半霊だと気づいた瞬間に能力が自動的に出てくるという話だった。そして、僕は先程、鬼城が半霊であるなによりの証である動画を見せた。が、それでもガラス板は鬼城の体からは出てこなかった。つまりこの時点で鬼城に自分が半霊としての自覚がある、つまりは記憶があることは確定したということだ。
が、ここでそれを指摘したとしてもおそらく意味はない。
何故ならそういう法則があるとしても、鬼城にその知識はないし、説明したところで意味も分からないだろうからだ。
だとすればどうするか。鬼城に、自分には自覚のない半霊としての記憶が残っているのだと、嘘をついていたのだと認めさせるにはどうすればいいのか。答えは一つ。
自白させるしかない。
「立花は、霊殺士なんだ」
「れいさつ、し?」
首を傾げる鬼城に、僕は霊殺士について簡単に説明した。
この世には幽霊、半霊、人間がいること。幽霊は生前の人間の未練や恨み、願いを払拭するために生まれてくること。半霊は、幽霊と人間の間の存在であること。
幽霊と半霊は未練を払拭するための能力が一つ与えられること。
幽霊を倒すのが霊殺士という存在であり、僕と立花もその一員であること。僕と立花がガラス板で殺された仲水さんたちを発見し、今回の事件に霊殺士として解決を頼まれていたこと。そして鬼城の状態が自覚のない半霊であるということ。それらを伝えた。
「そう……そう、だったんだ。ああ、だから、千神さんのことも名前で……」
言って、鬼城は何度も頷く。そして、何故か僅かに悲し気な瞳を僕に向けてくる。が、それもたちまち消え失せ、
「確かに、私が何かしら、この能力を使ってやらかしたってことは分かった。野勢君だけじゃなく、清羅たちがガラス板が原因で亡くなっているって事も、私のその能力とつながりそうではある。けど、あくまでつながりそうってだけ。状況証拠でしかない。私自身、その動画内にあったことを含めて、清羅達を殺した記憶なんてない。それでも、八原は私が清羅達を殺した犯人で、その記憶があるって言い張るつもり?」
代わりに飛んできたのは槍のような視線。
確かに、人の記憶と言うのは、他人からは判別がつかない唯一のものだ。
僕が何を覚えていて何を覚えていないか、鬼城に証明できないように、僕も鬼城が何を覚えていて、何を覚えていないか、証明することなどできはしない。
それに、京子さんによれば、自覚のない半霊は、自覚のない半霊時の記憶を覚えていない者がほとんどだと言うことだった。
だから、可能性としてはむしろ鬼城は記憶がない可能性の方が高い。
だけど、僕は断言した。
「そうだよ」
「……! ……何で? やっぱり千神さんのその特技が証拠って言い張るつもり?」
「それもある。けど、鬼城、さっきの動画で半霊っていうのは一つ、能力が与えられることが分かったよね? 立花なら斬撃を飛ばす力。鬼城ならガラス板を作り出して飛ばす力」
「そうだけど、それが何?」
「それなら、僕は何なのかな?」
「え?」
急に両手を広げる間抜けたポーズでそんなことを言った僕に、鬼城は呆けたようにそう呟いた。
当たり前だ。鬼城の記憶の有無を確認しようとしているこのタイミングで、今更僕の能力が何かなど一見ものすごいどうでもいいことのように思える。が、そう言い返される前に僕は言葉を紡ぐ。
「立花だけじゃなく、僕も半霊だ。けど、僕は戦闘に参加もせず、ただ隠し撮りをしていただけだった。つまり戦闘に向いている能力じゃないことが分かる。そして鬼城は記憶を覚えているということを僕には断言できている。だとすれば」
「……まさか!」
やや間があって、ようやく僕が言いたいことが伝わったのか、鬼城は考えている間、廊下に向けていた顔をバッと上げる。そして、恐る恐ると言った体で尋ねて来た。
「……まさか、人の心を読む力だとでもいうつもり?」
僕が小さく頷くと、鬼城は激しく頭を振った。
「嘘! そんなわけない! それじゃあ、私が今何を思っているか当ててみてよ! 本当に心が読めるんならそれくらい――」
と、そこまで鬼城が言いかけた瞬間だった。
「立花――まっすぐ、野勢君の方の廊下の真ん中に向けて斬撃」
「ん」
――ピシャ。
「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
「な、何!? 急に変な液体みたいなのが飛んで……! それにこの鳴き声……!」
突然しぶきを上げたどす黒い体液のようなものと、磔にされている野勢君がいる方角から獣の咆哮のようなものが聞こえてきて、鬼城がたじろいだ。
立花の斬撃により裂かれ、周囲に飛散した液体は、あちこちでジュウ、とまるで何かを消化するような音を立てている。
「幽霊化した野勢君だよ。たった今、幽霊化した彼が液状の物体を使って攻撃しようとしてきたから、その心を視て、事前に立花に攻撃を防いでもらって、彼も倒してもらった。あの謎の液体は彼の幽霊としての能力って感じかな。ガラス板を突き破るために作られた消化液みたいなものを出す幽霊に化けたみたいなものだろうね。……どう? 鬼城? これで僕が心を読む、と言うか視る力があること、分かってくれた?」
「そんな……!」
まるでメドゥーサに見つめられたかのように、鬼城は動かなくなった。
実際は、僕は幽霊の心が読めるだけであって、自覚のない半霊の心が読めるわけではないのだが、そんなことは当然、鬼城には知る由もない。
術師のいなくなった腹話術人形のように、力なく、うなだれている。
言葉も、動きも、何もない。
が、
「……フ、フフ……」
動きを止めてから数分後。
「フフ……フフフ」
ぽつり、ぽつりと、豪雨の前の一雫二雫のように、あまりにもか細い笑い声が、聞こえた。
そして、
「フフフ……フフフフフフフフフフフフフフフフフフフッ……フフフフフフフフフフフフフフッフフフッ……」
腹を抱え、ぶっ壊れたラジオのように、くつくつと含み笑いを、声の大きさの差異はあれど、自覚のない半霊の時と『全く同じ』狂笑を、鬼城の口は吐き出し始める。
「フフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフ……アハハハハハハ……ハハハハハハハハハハハハハハハハハハ! アハハハハハハ!……フフフフフフフフフフ」
響く。
校舎内に。
耳に。
肌に。
心臓に。
空気中の成分全てが鬼城の笑い声に変わったかのように、それは穴と言う穴、隙間という隙間全てに入り込んできた。
「……フ」
空笑いを僅かに残して、天井を向いていた鬼城の顔は、突如カクンと首をうなだれ、再度、本当に魂の抜け落ちた人形のように動きを止める。
そして、太陽をも凍ってしまいそうな声音で、鬼城は、ゆったりと顔を上げ、言った。
「そうだよ。私は覚えてる。あの四人を殺した時の記憶を」
顔には笑み。
なのに、その目から温度を一切感じない。
僕は訊いた。
「……何で、覚えてないふりなんてしてたんだ?」
「……八原ならもう、分かってるんでしょ?」
……おおよその見当はついていた。
「……そもそも言っても信じてもらえるなんて思ってなかったから。殺した記憶があると分かれば罪が重たくなると思ったから。……なんて、そんな理由じゃ、ないよね。単純に、嫌な人間だと思われたくなかったんだ。自分が、自覚のない半霊の時の鬼城みたいに、人が殺される光景を楽しんで見るような人間だって」
「流石。そう。その通りだよ。私は楽しかった。今まで私を苦しめた人間たちが、私より苦しむ様を見るのが。でも、誤解しないでね? 最初は本当に別に殺してやろうとか、そんなことは思ってなかったんだよ? むしろ何で自分の体が勝手に動いているのか分からなくて怖いとか、意味わかんないとか可哀想とかやめてとか思ってた。……でも」
寂しげな笑顔が、急に歪な笑顔に変わる。
「……でも、自分が殺してるんじゃない。幽霊が殺してるんだって自覚した途端に、私は、止まらなくなった。ご丁寧に自覚のない半霊は私が犯人っていう証拠も潰してくれてたのもあったしね。彼女たちを呼び出した際に使ったLINEの履歴は、彼女たちの体と一緒に、履歴の入ってるスマートフォンごと粉々に破壊してくれたから。フフ……目の前で自分が憎んでた相手が、自分以外の自分によって殺されていく。愉快で愉快で仕方なかった……! 駄目だね。人間は。責任が他人にあると分かれば、どこまでも残酷に人の不幸を望める」
ジェットコースターみたいな語り口で言って、クツクツと、肩を僅かに震わせながら、鬼城は自虐的に笑う。
一昨日、廊下で空手部の先輩たちから盗み聞きした話に寄れば、鬼城は空手部内で嫌われていた。そしてそんな嫌いな相手がわざわざ人気のない校舎に呼び出しきて、来てくれると言うのだ。彼女たちも喜び勇んで鬼城の誘いに応じただろう。
そして彼女たちは――
鬼城は薄暗い天井を仰いで、
「はぁ……私の人生ってホント何でこんなうまくいかないんだろうね。私さ、中学の頃はよく根暗でいじめられてたんだ。だから高校に入ったら変わろうと思って必死に優等生を演じてた。なのに、何でこういう風になっちゃったのかな……って今更こんなこと言っても仕方ないか。それで、八原。これから私をどうするの? 殺す? いいよ。それくらいしなきゃ、私の罪は償えないんだろうし」
一方的にまくしたてて、鬼城はまた「フフ」と力のない笑い声を上げて、冷め切った瞳で僕を見据えた。
「…………」
その顔からは、過去を懐かしむ気持ちなど微塵も感じられない。
ただこれから自分は死ぬんだから全てがどうでもいいという、諦観だけの顔。
隣に立つ立花から袖も、引かれない。
嘘ではなく、鬼城が本心から思って言っているであろう証拠だ。
そして、それならば、僕がすべきことはただ一つだろう。
鬼城を殺すこと。
鬼城の決意が本物だからそれに応える、という理由もあるけれど、何より法律的に考えれば四人も殺せば、少年法を考えなければ、普通は死刑だ。
けど、今回は物的証拠もないし、何より霊殺士関係だから、普通の裁判で鬼城を裁くことは不可能。
それなら、裁判官でも警察官でもない誰かが、裁ける霊殺士が鬼城を殺すしかない。
鬼城は、僕に殺してほしいと頼んでいる。
介錯人を選ぶ権利ぐらい罪人にはあるだろう。
だとすれば、僕はここで彼女を殺すべきだ。
けど――
「殺すなんて、そんなことしない」
僕は目を閉じて、首をゆるゆると振った。
「――へぇ。何? 同情してくれてるの? 八原、やっぱり優しいね。でも残念。そんなの、今は求めてないよ」
「違うよ。同情なんてしてない。するわけない。ただ」
「……ただ?」
――目を開け、鬼城の冷め切った瞳を更に凍り付かせるくらい、冷たい瞳で僕は見た。
「死ぬなんて、そんな甘い選択をさせるわけにはいかない。それだけだ」
「――――!」
殺して、死んで、それでさよならなんて、そんなのは、認めない。
「鬼城は優しい。だから、罪悪感に耐えられない。あいつは殺人犯だって、僕らに嫌われながら生きるのが耐えられないんだ。だから、早く死にたい。殺されたいって思ってるんだ。甘えてるんだ」
「……だったら何? 何だって言うの? 八原は、私にどんな罰を与えて償わせてくれるの?」
鬼城は何かも諦めたように吐き捨てる。
冷めた瞳には、再び火事のような憎しみの炎が宿っている。
「鬼城には――」
そんな鬼城に、僕は一歩近づいた。
そして、右手を差し出す。
あの時。
あのおんぼろな神社で、立花が僕にそうしてくれたように。
僕は、言った。
鬼城にとって最も甘くない、辛い、選択肢を。
「霊殺士になってもらう」
僕がそう言った瞬間、鬼城は背中を向け、再び廊下を駆け出した。




