目を瞑る
幽霊を消す方法は主に二つある。
一つは幽霊そのものを殺すこと。
当然、殺せば幽霊はこの世からいなくなる。
霊殺士と読んで字の如く、僕と立花の仕事はだいたいこっちの方だ。
だが、今回の事件に限ってはそっちの方法は使えなかった。なぜなら、普通は幽霊が死んだ者の未練や願いが形となって現れた存在なのに対して、鬼城は死んでいない、いわば幽霊にとり憑かれている状態だからだ。
一つ目の方法だと鬼城の肉体そのものを殺してしまう。そのため必然的に二つ目の方法――成仏を採らざるを得なかった。
成仏。
本来は煩悩を排して悟りを開くことだったり、死そのものを指す言葉。
が、僕たち霊殺士が使う時は別の意味を帯びる。
つまり、未練や望みを果たした幽霊が、自発的に消滅すること。
成仏さえしてくれれば、とり憑いた幽霊だけが消え、鬼城本体はそのまま残る、という算段だ。
そんな行為に意味などないと思う人もいるだろう。
だってそれは幽霊に未練を果たさせる――つまりは幽霊に好き勝手させるという意味で、僕たち霊殺士の信念からは遠くかけ離れているように見えるからだ。
だが、この成仏、『自覚のない半霊』に関しては、裏技がある。
その裏技は――京子さんが言っていた通り、夢から覚ましてあげればいいのだ。
『板挟みに遭っていた自分と同じ痛みを加害者に味合わせる』という、未練を達成するのではなく、彼女の心を救ってあげるような何かを鬼城に施せばいい。
未練や恨みとは、必ずその裏に願望が隠れているものだ。
いじめられているのだったら、仲良くしたかった。好きな人に振られたのなら、好きな人と付き合いたかった。
だったらその願いを、夢を、叶えてあげればいい。
夢を覚ますには、夢を叶えてあげればいい。
鬼城は一昨日、こんな風に言っていた。
『好きな人とキス……したりとか。……私も、そういうのできたらな、とか……』
この好きな人という枠に僕が当てはまるのか、それは最後まで確証は持てなかった。
だが、霊殺士関連の仕事である以上、代役を立てるわけにもいかない。
結果はまぁ、そういうことになって、無事、彼女を『自覚のない半霊』から普通の半霊に戻すことには成功したわけだけれど、それでもほんとのところどうなのかは分からない。
抱いていた夢も、本当に好きな相手とキスすることだったのか、それは本当に効果があるものだったのか。それさえも分からないままだ。
所詮はまだまだ研究の行き届いていない半霊や幽霊の分野だ。単にびっくりしすぎて我に戻ってしまっただけだったという、なんともお粗末な可能性も十分ある。真相は、鬼城の本人の口から聞かなければ分からないだろう。
もっとも、その本人が僕と接吻してしまったことを忘れてしまっている可能性は高いので、結局、訊き出しようもないことのなのかもしれないけれど。
「ん……」
幽霊が消え、鬼城が、魂が抜けたように眠ってしまってから一時間。
場所はさっきと変わらず特別棟四階の廊下。
僕の膝の上で眠っている鬼城がむずかった。
膝の上。そう、つまりは、膝枕だった。
いや、決して不純な動機ではない。流石に女の子の頭を直に廊下に寝かせたままにしておくのは、非人道的と判断したための、ただそれだけの不純どころか、むしろ男気溢れる行いだ。
……いや、まぁ、実を言うと、本当に男気溢れる行いを行いたいのなら、本来僕が取るべき行動は、彼女を保健室のベッドや下のクラスメイト達が寝ている教室にそっと持って行くこと、というのは分かっているのだけれど、しかし、その場合もし、保健室や教室に僕が寝ている鬼城を持って行っているところを見られれば、大変なことになる。
膝枕だって本当は、異性の僕ではなく、同性の、今も尚、体育座りで廊下の壁に背を預けて不満と批判の視線を飛ばしてきている立花にしてもらいたかったのだが、けど、立花は未だ膝や太ももからも出血している(一応持って来ていた救急セットで簡易的な怪我の治療はしてある。腕の骨折に関しては後で京子さんに何とかしてもらうしかない)。衛生的にも立花の健康的にも僕がするしかなかったということだ。
……まぁ、本当はもう一個だけ、彼女をここにとどめておく理由があるのだけれど。
そうはなってほしくない、理由が。
「…………ん」
最近寝れてないというのは嘘ではなかったのか、始めは妻子持ちのサラリーマンの夫の土曜日の朝のようにぐっすり眠りについていた鬼城だったが、慣れない環境で寝ていたことが影響したのか、再度鬼城は苦しそうにむずかった。
そして、それから、ゆっくりと、大きな目と小さな唇をか細く開いて、
「あ、八、原……?」
と、問うてきた。
僕は頷く。
「ああ、僕だよ鬼城」
「……ここ、どこ?」
「僕の膝の上」
「膝……そっか……私、八原の、膝の上に……」
呟くと、鬼城は縁側の日向で眠る猫みたいに気持ちよさそうに再び目を閉じた。そして二、三回ほど頷くと――
「膝の上!?」
――まるで樽の外側から剣を一歩一本刺されていく黒ひげおじさんみたいに跳ね起き、
「ッ――――⁉」
「ぐはっ!」
そして当然のように、彼女を見下ろしていた僕の顎と、彼女の額が衝突した。
鬼城は声にならないうめき声を上げつつ額を抑えて蹲り、僕は衝突した勢いそのままに、正座のまま、まるでイナバウアーのように体を反らして後頭部を廊下にこすりつける。ぐはっなんて言葉、生まれて初めて言った……。
「……てて。ごめん、大丈夫? 鬼城」
「……ああ、うん。なんか背中もすっごい痛いんだけど、なんとか。こっちこそ、ごめん……」
起き上がって問うと、鬼城は僕同様おでこと、そして、背中をさすりながら苦笑しつつ返事をしてくれる。
手当したものの、やっぱりまだ立花との戦闘時に負った背中の怪我が痛んでいるらしい。けど、それでも笑顔を見せてくれるところは、なんというか、やっぱり鬼城って感じだ。
「ってそうじゃない!」
と、そんな風にお互い謎の謝り合いに興じていたのだけれど、数秒経ったところで、鬼城がそう叫んだ。まぁ、やっぱりそうなるよね。
「私、何でこんな場所で、しかも八原の膝の上で寝てたの!? 私、教室で文化祭の準備してて、それで確か野勢君に夜中呼ばれてたからそれまでは寝てようと思ってて……!?」
そう叫ぶと、鬼城は突如慌てた様子で自分の体をぺたぺた触りだした。何かあらぬ誤解を受けている気がしてならない。
「言っておくけど、何もしてないから」
「………え? あ、そ、そう、なんだ。……なら、よかった………」
立ち上がり、僕が手をひらひらさせながら言うと、安堵のような、もしくは不満のような、どちらともつかないような顔で、鬼城は訥々と言葉を紡いだ。何なんだ、一体。
……あと、鬼城の真後ろ、そこからものすごく低温かつ湿度の高い視線を照射されているような気がする。いや、実際に照射されている。……キスは鬼城から幽霊を成仏させるために仕方なくやったことだったんだから、それを『何かした内』に入れるのは勘弁してほしい。
「……え? 千神、さん?」
鬼城も冷えた視線を背中で感じ取ったのか、振り向き、斜め後ろで体育座りのままピクリともせずこちらを見つめる立花を見つけた。
「何で、千神さんが八原と一緒に? というか、どうしたの、その怪我?」
そしてそのガーゼだらけの全身を見渡すと、目を丸くする。
「…………」
立花はぶすっとした様子のまま無言で、しかし、無駄な肉が一切無い右腕をぶんと振り、白魚のような右人差し指でとある一点を指差した。
それに連られる形で、鬼城の視線もそれを追う。
「――――」
鬼城が息を呑む音が聞こえたような気がした。
そこにあるのは、標本だった。
それも世にも珍しい、人間の標本。
時間が経過したことにより、血液と内臓が更に染み出し、もはや人間らしい部分が髪の毛以外垣間見えない、野勢海也君の死の――標本。
「何、これ……」
鬼城は立ち上がり、二、三歩、よろめくようにして後ずさった。
体と声が震え、瞳は焦点が定まっていない。
「覚えてない?」
僕も立ち上がり、そして訊いた。
鬼城は自らの体を抱えるようにして、逆に問い返してくる。
「お、覚えてないって、どういうこと? なんなの、あれ? 何でそんなに八原や千神さんは冷静なの?」
ああ、そうか。鬼城の方に気を取られてすっかり失念していたけれど、よくよく考えれば、僕達がここにいるのもおかしい。仕方ない。もう大体真偽はついているけれど、てきとうに誤魔化すついでにカマをかけてみるか。
「いや、僕達も分からないんだ。ほら、さっきまで文化祭の準備が終わって男女別で教室に寝泊まりしてたでしょ。そしたら、野勢君が急に起きて、教室を出て行くのが見えてさ。野勢君が僕経由で鬼城を倉庫前に呼び出していたことは知ってたから、そこまでは別に良かったんだけど。けど、そこからいつまでも経っても野勢君が帰ってこないから。それで気になって途中図書室で偶然会った千神さんと見に来たらあんな風になってたんだよ。鬼城も廊下に倒れてたから、それで鬼城が起きるのを待ってたんだ。ねぇ、鬼城いったい何があったの?」
もし鬼城に自覚のない半霊としての記憶があるのなら、ここで警察を呼んでいないことに違和感を覚えるはずだ。
だって、一時間も彼女は眠っていたのだ。その間、僕達は警察も呼ばず、彼女を保健室に運びもせず鬼城が起きるのを待っていたというのは控えめに言っても訳が分からない。
ただ、それは一時間も眠っていたことを知っていた時の話。
もし自覚のない半霊としての記憶が彼女にないのなら、鬼城の記憶は文化祭の準備を終えて教室で寝ていたところまでで止まっているはず。おそらく教室で寝ていたらいつの間にか廊下に寝ていて、いつの間にか怪我をしていたと思っているはずだろう。だから、今の時刻を知らない彼女がそのことに不信感を抱けるはずがない。
「何があったか……」
僕の質問に鬼城はそう、一人、呟く。
そして、答えた。
「ごめん、全然分からない」
「……そっか」
僕は頷いた。
――予想通りの結果だったからだ。
僕は言う。
「それなら鬼城、とりあえず先生を呼びに行ってもらえる? たぶん宿直室で一人は寝てると思うから」
「え? 八原と千神さんはどうするの?」
「僕と千神さんは警察を呼ぶよ。鬼城と一緒に行ってあげたいけど、多分現場の状況を聞かれると思うから、ちゃんと目で見て正確に伝えられた方がいいでしょ?」
「そっか……うん、そうだね。分かった。じゃ、行ってくる」
一瞬怪訝な表情を浮かべた鬼城だったけれど、すぐに振り返って階段の方へ歩き出した。
タン、タン、と薄暗い廊下に上履きの無機質な音が響く。
そしてその音も小さくなり、彼女の姿も闇に掻き消えようとした、その瞬間――
「…………」
――立花に袖を引っ張られた。
……ああ。分かってたけど、やっぱりそうなのか。
「鬼城」
僕は鬼城の背中が消えかけた、その直前で、彼女を呼び止めた。
「何?」
気付いた鬼城が足を止め、やや、不機嫌な顔をして、顔だけで振り返ってくる。
月光が照らす廊下。
淡い光は、セーラー服越しにも分かるほど、反った背中を映し出す。
僕は言った。
「何で、覚えてない振りなんかしてるの?」
ご一読ありがとございました。次話もご覧いただけますと幸いです。




