出血大サービス
「千神、立花?」
そう小さく呟いた『空音』の瞳は、恐怖よりも疑念の感情を多く宿していた。
千神立花。
空音の所属する一年二組の隣のクラス、一年三組に所属する女子生徒。
校内では生徒はおろか、教師とすら一言も言葉を交わさないという、性格に難儀な部分はあるものの、そんな目を瞑るには大きすぎる欠点に目を瞑れば、美人且つ、成績優秀で運動神経も抜群の優等生だ。
何故そんな彼女がこんな真夜中の、しかも辺境の地と呼ばれるこんな場所にいるのか。そして何故自分を襲ってきたのか、そしてさっきは一体何が自分を襲ってきたのか、『空音』には全く分からなかった。
狼狽える『空音』とは対照的に、立花は悠然と僅かに首を傾ける。
「光栄ね。天下の委員長に知られているなんて。いや、今は委員長じゃなくて、普段は眠っている悪い本性の方、つまり幽霊みたいなもの、なんだっけ?」
「っ……!」
『空音』の青い瞳が強引にこじ開けられる。そして、すぐにその瞳は鋭く細められた。
「あなた……何物?」
「私は、霊殺士という存在」
「……霊、殺士?」
「そう」と呟いてから、立花は『空音』を見据え、言った。
「霊殺士というのは、幽霊と人間の間の、半霊という存在。半霊は、人間にも幽霊にも近い存在だから、普通の人間には見えない幽霊が見える。そして、その役割は――」
「――!」
刹那、月光を受けた無数のガラス片が二人の間に乱舞した。
まるで夜空の星々が校舎内に降ってきたよう。
「――人間に危害を及ぼす幽霊――あなたみたいなのを討伐すること」
刀の切っ先を『空音』に向けたまま、立花は言った。
立花の斬撃を防いで粉々に砕かれた『空音』のガラス板は、真夏のアスファルトに垂らした水の如く、地面に落ちると同時に霧散する。
「……なるほど、ね」
神妙な面持ちで、『空音』は呟いた、
「私は、おびき出されたってことね。あなた『たち』に」
「…………」
心の中で、立花は頷く。
桟が『空音』と海也をこの場に呼び出し、空音が憎っくき海也を襲ったところで立花が『空音』を討伐する。これが、桟が考えた作戦の一部だった。
実際に殺そうとしている場面を見られれば、『空音』も言い逃れはできない。たとえ『空音』が立花に反撃してきたとしても立花なら返り討ちにできるはず。結果作戦はうまくいき、討伐は目前まで迫っている。立花と桟が繋がっていることまでバレるのは想定外だったが、しかし『空音』と海也を呼び出したのが桟で、その呼び出された場所に立花が現れたことを結び付ければ、二人の間に何かがあることは誰でもすぐに分かるため、そこまで狼狽えはしなかった。
が――
「でも、無駄だったわね」
「……?」
にやりと、何故か『空音』は口角を吊り上げた。
「なに、知らんぷりしてるのかしら? だってそうでしょう? さっき聞いたあなた達の役割は、人間に危害を及ぼす幽霊を討伐することのはずだった。鬼城空音が恨んでいる野勢海也を使って『私』を呼び出したってことは、彼を私が殺す直前で助けて、その後言い逃れできなくなった私を殺す手筈だったってことでしょう? なのに、野勢海也はさっき私に殺され、死んだ。それは、あなた達の作戦が無駄に終わった証拠じゃないかしら?」
まるで下民を見下す貴族のような語り口で『空音』は言葉を弾ませる。
しかし、言っていることは至極真っ当だった。人の心を持った者ならば、誰しもが『空音』が言う通りの作戦を採るだろう。
当たり前だ。だって野勢海也は何も知らない人間なのだから。
勝手に巻き込まれ、勝手に殺されるのだ。
そんなことがあっていいわけがない。
だが。
もっとも。
もっともそれは――桟と立花が、霊殺士でなければ、の話だが。
「……なんのこと? 最初からその野勢何とか君は、囮に使って、あとはあなたに殺してもらうっていうだけだったんだけど? 彼を囮にしたあなたの討伐を予定した時点で、彼が私達の存在を知って後に殺されることは確定。だったら、あなたが罪を言い逃れできないように、殺してもらう方が、都合がいい」
「…………は?」
『空音』は、詐欺に遭ったような気分に駆られた。
信じられるはずもない。
目の前で、授業前の号令の時以上に何気ない顔でそんなことを言う彼女。ただ便利だからというだけで、人を見殺しにできると言い張る人間。
いや、人間ではないのかもしれないが、人の心を持つ者なら、そんなことができるはずがない。
だが、立花に嘘をついているような様子はない。
それもそのはず。
なぜなら、立花は霊殺士としてというのを抜きにしても、正真正銘、野勢海也のことなど、いや、数少ない人物を除き、誰がいつどのように死んでも構わないと思っているのだから。
『空音』は骨の髄まで悟る。
――この女は、狂っている!
「ふ……」
自身をもしのぐ圧倒的な異常性を信じたくなくて、自身が気圧されたと認めたくなくて『空音』はその事実を笑い飛ばそうと、馬鹿にしたような笑みを無理矢理浮かべる。
「見栄はただ寿命を縮めるだけよ。それに、たとえそれが本当なんだとしても、あなたがしていることが無駄なことには変わりない。だってこれから私に殺されるだけだもの。どう? 今謝罪してみっともなく尻尾を巻いて逃げるなら、今後も含めて見逃してあげてもいいけど?」
「それはつまり、あなたが見逃してほしいってこと?」
「償う機会をあげてるのよ。あなたの私に対する愚行と妄言を償う機会を。……それに、これはあなたにとってもメリットがある話でもある」
「どういうこと?」
「あなたも、八原桟が好きなんでしょ?」
「……!」
今度は『空音』ではなく、立花が目を見開く番だった。
「……いつ、そう思ったの?」
「昨日、見たのよ。鬼城空音が。暴力を振るったのはよくなかったと思い直して、八原桟に謝ろうと後を追ってたら、図書室で盛ってるあなた達を、ね」
「…………」
立花は僅かに顔をしかめた。
昨日の図書室でキスをしたとき、確かに何か気配のようなものを立花は感じていた。けど、それがまさかこの少女だったとは思わなかった。そして、この自覚のない半霊の少女が桟のことを好きだということも。
僅かにでも立花に動揺を与えられたことが愉快だったのか、『空音』は勝気に微笑む。
「私の言いたいこと、もう、分かったわよね? あなたは私の主人にとっての恋敵なの。今はたまたまあなた以上に殺したい人間がいるから、あなたを殺そうとしなかっただけで、私の主人の殺したい人間のリストにあなたは入っている。だから、たとえここではあなたが逃げおおせても、その後も私の主人はあなたを狙い続けるわ。どう? 今ここでみっともなく去るなら、その可哀想な姿に免じてずっと見逃してあげてもいいけど? こんな出血大サービスなかなかないわよ?」
「いいね」
「まぁ結論は一個しかないとしても、いきなりこんなこと言われても困るでしょうから心の準備くらいは……え?」
首を縦に振り、即答してきた立花に、『空音』は狼狽えた。提案を受け入れるとは思っていたが、多少は葛藤があると思っていたからだ。
だが、そんな狼狽も一瞬。その直後に発せられた立花の台詞によって、霧消した。
「出血が、あなたの体からなら、だけど」
「……!」
――ギョロリと、まるで獲物を狩る蛇のような獰猛な瞳で以て『空音』を見据える立花。
「……契約不成立ってことね……残念」
おもむろに空音は右手を前へかざした。
「私は合意したつもりだけど?」
刀の切っ先を立花は『空音』に向ける。
『空音』はシニカルな笑みを。立花は無表情ながら、僅かに茫洋とした光を湛えた瞳を。どちらからともなく、交わす。そしてそれから無限とも刹那ともとれる、まるで時が過ぎる速度をぎゅっと握り潰したかの如く二人の動きが静止した後――
「――――」
「――――」
――時はその遅れを取り戻すかのごとく、弾けた。
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