絵になっている絵にならない絵
「はぁ……死ぬかと思った……」
鬼城にぶっ飛ばされて五分後。僕は特別棟四階の端っこ、鳥鬼高校における辺境の地と言われるほど人気の少ない物置き場を目指し、蹴られた顎を手で擦りながらとぼとぼ歩いていた。
何とか怒りを収めた鬼城に、その代わり、と言うわけではないだろうが、メイド喫茶で使うテーブルクロスが物置にあるかもしれないしないかもしれないから探してこいと言われたからだ。
流石に蹴られた後で、しかも本当にあるのかも分からない物を探しに行くのは気が引けたので僕は断ろうとしたのだけど、断わったらもう一度蹴る、と言われてしまえば僕に選択肢はなかった。あの蹴りをもう一度喰らうのだけは是非とも遠慮したい。
「……ってわけでさー。ほんとにありえないよね」
「ほんとほんと。うちの空手部、どうなっちゃうんだろうね」
「……ん?」
と、僕が今後鬼城とどういう接し方をしていけばいいのか考えながら三階の一般棟と特別棟を繋ぐ廊下に向かっていると、渡り廊下から三人ほどの女子生徒の声が聞こえてきて、僕は足を止めた。
空手部と聞き、なんとなく気になった僕は、彼女達からは見えないであろう、渡り廊下手前の壁に携帯をいじる振りをしてよりかかる。
「清羅も翡翠も真乃もいなくなっちゃたし、このままじゃ来年、新一年が入ってこなかったら廃部になっちゃうよ」
「それ。まぁあの娘らは努力もせずに、他の才能ある子を僻んで、いじめるだけだったからそこまで来なくなっても痛手ではないんだけどね」
「それでも廃部だけは嫌だよねえ」
うんうん、と三人とも頷く女子生徒。先輩なのか同級生なのかは分からないけれど、どうやら彼女達は空手部の部員らしい。そうかもしれないと思って僕は足を止めたのだけど、清羅や翡翠、真乃と、三人ほど知っている名前が出たから間違いないだろう。
「あっ、でも一番嫌なのはアレだよねぇ――鬼城が部活に来ないこと」
僕は思わずスマホを落としそうになった。……鬼城?
「確かに。あいつ一年のくせにちょっと強いからって生意気だよね。文化祭の準備忙しいから部活休ませてください、なんてさ。まぁ、真乃たちに一番いじめられてたのはあいつらしいから来たくなくなるのもわかるけどね。知ってる? あいつらが鬼城を放課後にリンチしてたの」
「ああ、聞いた聞いた。酷かったよね。あれ。でもそれもまぁ、有名税ってやつでしょ。それにそのことと文化祭の方に力入れるの、関係ないし。才能あるなら文化祭なんて休めっての。空手に集中しろ集中」
「あ、でもこの前別の一年生の女の子から聞いたんだけど、あいつが文化祭の準備頑張ってるのって別に文化祭自体が目的なわけじゃなくて、なんでも好きな男がいるかららしいよ。準備を口実にして接近したいんだって」
「は? 何それ? うざ。勉強もできて空手強くてついでに恋人まで欲しいとか何様。一個くらい献上しろっての」
「あんた全然彼氏できないもんね」
「うっせ殴んぞ。ま、殴るのは鬼城でいっか」
「そだね。今度部活来たらあいつ殴ろう。あいつ、胸もそこそこあって重たいだろうからへこませてやろ」
「貧乳のひがみ乙。あ、そろそろ部活行かないと先生に怒られるから行こ。ったく練習きつすぎ」
部活に行く前に油を売っていたのか、女子生徒三人は会話を一旦区切る。そして不満をぶちまけて満足したのか、楽しそうに雑談を交わしながら僕の前を通り過ぎて行った。
「…………」
僕はスマホをしまい、渡り廊下を渡ってお馴染みの図書室がある特別棟三階の廊下を歩く。……鬼城の奴、やっぱり大変なんだなぁ。
会話から察するに、おそらく彼女達は鬼城の空手部の先輩なんだろう。
いなくなった、という表現はやや過剰だけれど、最近矢田さんや仲水さん、青山さんなどの後輩が学校に来ていないのが不満で、同じく後輩である鬼城にも鬱憤が溜まっていたという感じだ。
鬼城には才能があるから、嫉妬などの感情も混じって、余計に鬼城にムカついていたに違いない。教室に戻ったら、胸を殴られないように忠告しておこう。……僕が殴られるだけのような気もするけど。
「……ん?」
と、てきとうにさっきのことについて考えつつ、物置に向かう最中にある図書室の前を通り過ぎようとしていたところ、僕は室内のカウンターに座っている女子生徒を見つけ、またしても足を止めた。
その生徒は、カウンター内に座っていることから分かるように、おそらく図書委員なのだろう。しかし、その女子生徒は貸出業務を行っているわけでもなければ、本の清掃を行っているわけでもない。
おそらくは家から持って来たであろう、特性の兎のイラスト入りのブックカバーがかかった文庫本に目を落としている。
その女子生徒というのは――
「立花、何してるの?」
僕は図書室の扉を開け、小さい声で呼びかけた。
もちろんその女生徒は図書室よりも馴染み深い僕の相棒――千神立花だった。
声をかけられた立花はまさか僕が来るとは思っていなかったのか、ピクリと小さく体を揺らす。しかし、その一秒後には文庫本を閉じ、何食わぬ顔で僕を見上げた。
文化祭の期間中は、カウンター当番は任意制で、出なくてはいけないものじゃなかったと思うんだけど……何してるんだ、こんなとこで。
「当番……じゃなくて文化祭の準備面倒臭いからさぼりにきた」
「誤魔化すなら最後まで誤魔化してよ……」
げんなりして僕は言う。いや、まぁ、誤魔化されても信じなかっただろうけどさ。
「それで、桟は何しにきたの?」
分が悪いと思ったのか、即座に立花はそう言って話を変えてきた。しかし、言われて思い出した。僕は立花がここにいる理由も気になったけど、それとは別にちょっと頼みがあって声をかけたんだった。
「立花、暇ならちょっと探し物手伝ってくれない?」
「探し物? 別にいいけど。何探すの?」
「テーブルクロス。メイド喫茶に必要なんだ。ちょっと四階の物置まで探してくるように鬼城に頼まれちゃって」
「鬼城?」
「あ」
瞬間、僕は自分が最悪のミスをしてしまったことを悟った。しまった。鬼城に蹴られた衝撃のせいか、完全に脳味噌の働きが鈍っていた。
何やってんだ僕は。立花の前でする、他の女子の話題ほどご法度なものはないのに。
「あ、いや、立花、えっとね」
「ふうん……桟は他の女に頼まれたついでに私を使うんだ……他の女の、ついでに」
僕の意見に耳を傾けようともせず、案の定、本をカウンターの上に置いて立ち上がり、僕をジト目で見上げてくる。
「随分と楽しそうだね、桟。私のお願いなんてこの頃ぜーんぜん聞いてくれないくせに、他の女の言うことは聞くんだ」
「いや、鬼城のはお願いというより命令……」
「私のお願い聞いてくれないなら、私も桟のお願いなんて聞かなくてもいいよね? 桟はいっつもそう。私の気持ちをちっとも分かってくれない。もういい。私、桟の言うことなんて聞かないから。分かったら早く帰――」
「わ、分かった! 土曜は、京子さんじゃなくて、立花との予定を優先するから、それで許して!」
図書室に入ってきた時とは真逆の態度で僕は立花に手を合わせた。あんまりこういう約束の仕方は好きじゃないんだけど、今は仕方がない。さすがに鬼城も僕に業を煮やしている現在、もう一人敵を作るのは勘弁だ。……けど、京子さんになんて説明しよう……。
「それだけじゃ足りない」
「え?」
「キスして」
「は!?」
言われた言葉の意味が分からず、思わず素っ頓狂な声を上げてしまう僕。
非難がましい視線を向けてきた、本を読んでいた周りの生徒に一度頭を下げ、僕は立花に小声で問う。
「な、何言ってるの、立花。ここ図書室だよ? 皆いるじゃん。分かってる?」
「皆本読んでるし、大丈夫。だから、して」
「駄目だって。そういうのは。もし僕らの関係がバレて、そこから霊殺士の情報が漏れでもしたら……」
「いいからして」
「……!」
ぐい、とつま先立ちになって、立花はその傷一つない雪の結晶みたいに白くきめ細やかな顔を僕に近づけてくる。赤の瞳は涙で潤み、桜色の唇はしてもらえないことへの不安か、微かに寂しげに震えていた。
「……これで、いいでしょ」
僕は他の生徒が、本に目を落としていることを確認してから、目を閉じ、そっと口づけをして言った。正直、周囲を警戒するならずっと目を開けて警戒していなければいけなかったんだろうけれど、流石に無理だった。まぁ、短い間だったし誰も見ていないだろう。
「うん……」
すぐに唇を離したことが残念だったのか、立花は僅かに不満気な表情を浮かべる。が、それでも一応は満足してくれたらしい。
「じゃ、探しに行こ」
と、そそくさと図書室を出て行く。いや図書当番は、と、思わず腕振ってツッコみそうになる。が、どうせ立花にそんなことを言っても暖簾に腕押しなのは目に見えているのでやめておいた。
「言っとくけど、これでメイド喫茶に行くことを許したわけじゃないからね」
廊下を歩きながら立花が言う。
「分かってるよ……」
そこは最初から期待してない。今度立花にメイド服を着てもらうので我慢しよう。
「ここ?」
「うん、ここ」
物置き場の扉を指差した立花に、僕は頷いた。
特別棟四階の、視聴覚室という名前のくせに、普段は滅多に使用されず中をお目にかかれない可哀想な教室の隣の、更に文化祭や催しものがある際以外はお目にかかることがない、小さな部屋だ。流石、鳥鬼高校辺境の地と呼ばれるだけあって、周囲からは物音一つ聞こえてこない。
「ほんとに誰もいないね。今ならもっと長く色んなことできそう」
「言っとくけど、さっきの続きはしないから」
「甲斐性無し」
「ほっといて」
もしそんなことをすれば本当に僕らの人生は終わりかねない。
霊殺士の情報を少しでも世間に漏らせば、一霊殺士でしかない僕らはすぐに協会に消されてしまうだろう。いや、それ以前の問題か。
「お、空いた」
ドアノブを捻る。あまり期待はしていなかったけれど、鍵を使っていないのにも関わらず、扉は開いた。職員室で鍵を取って来るのを忘れていたので、取りに行くのを省けていい。
ギィと、古めかしい音を響かせながら、扉は中の薄暗い姿を映し出す。
様々な物が集まる学校という施設の、物置という名前の部屋だ。さぞ雑然と物が積まれているのだろうと思いながら、僕はその中を覗き込んだ。
「――え?」
驚愕、と言うより、恐顎というような感じの声を、僕は漏らした。
そこにあったのはゴミ屋敷さながらに敷き詰められた大小様々な物の山――などではなく、三体の人間の形をした絵だった。
小さな四角形の部屋のちょうど真ん中。まるでかのモーセの伝説のように両端の雑貨の海の侵略から逃れた小さな通路の奥。
そこの壁に、その絵はあった。
まるで額縁に飾るようにガラスの板で覆われた、三体の人間の絵。
否――それは絵ではなかった。
それは――ガラス板に潰され、臓物と血で部屋中を汚し、プレスされたブラウスとスカートのおかげでかろうじて人間の輪郭を留めた――三体の女子生徒の死体だった。
「…………」
いったいどれくらい、僕達はそうしていただろう。
分からない。しかし、いつまでも絵に見蕩れる観客のように立ち尽くしていてはいけないと、ようやく我に返った僕は、慌ててポケットに手を突っ込んだ。
「……と、とにかく京子さんに電話を……!」
匂ってくる汚臭に鼻を塞ぎながらスマートフォンを取り出す。謎のガラス板を見る限り、これは幽霊の仕業だろう。人力だと、大学の研究所か、臨海部の工場にあるようなマシンでも使わなければ無理のはずだ。そして、この学校にそんなマシンを運び入れるスペースなどない。
「待って」
「……え?」
そう判断して、僕は一刻も早く京子さんに連絡するべく、毎日毎日壊れたラジオみたいにプリクラプリクラ云々言ってくるせいで通話履歴の一番上に表示されていた電話番号をタップしようとしたのだけど、後ろから立花にブレザーの袖を引かれ、僕は手を止めた。
「どうしたの」
問うと、立花は一瞬はっと、気まずそうに視線を逸らす。
が、僅かな沈黙の後、吐き捨てるようにこう言った。
「これ……幽霊の仕業じゃない」
ご一読ありがとうございました。次話も読んでいただけると超嬉しいです。




