好きな人
翌日の放課後。
この日も僕は鬼城と共にメイド喫茶の小道具作りに勤しんでいた。
看板は昨日のうちに作り終えたので今日はメニュー表作りだ。
京子さんの家が喫茶店なのでそういう系の手伝いをしたことは何度かあるから最初はつまらないだろうなと思っていたけれど、これがやってみるとそこそこ楽しい。
たぶん手伝いをすることはあっても、小規模ながら一から作るということはなかったからだと思う。……まぁ、本音を言えば、普段退屈な学業を強制的にやらされている反動で、こういうイレギュラーが楽しく思えてしまっているだけなのだろうが、まぁそれでもいい。
文化祭は所詮子供騙しのイベント、なんてよく言うけれど、大半の学生にとっては本業の勉強でさえ騙し騙しやるものだ。少しは騙されてやるのも悪くはないだろう。
そう、思っていたのだけれど。
「八原、手、止まってる。動かせ」
「……はい」
「八原、メニューの漢字間違えてる。頭動かせ」
「……はい」
「八原顔むかつく。顔のパーツ動かせ」
「んな無茶な……」
……メニュー表を作り初めて十分。
僕は、長机で隣に座り、永遠、そんないつにも増して切れ味鋭い、鬼城の罵倒や理不尽な要求に耐え続けるという苦行に勤しんでいた。
他にも「はい、八原君がミスしたせいで三分も時間が無駄になっちゃいました」や「私だって怒りたくて怒ってるわけじゃないんだよ」だったり「そんなに先生の生徒が嫌なら他の子になっちゃいなさい」などまるで小学校の先生みたいな、とにかくおびただしい数のお説教を受けていた。……というか最後の方にいたっては完全にお母さんと先生が混じっていた。……なんだ、『先生の生徒がいやなら他の子になっちゃいなさい』って……。
メニューを作るというか、もはや自分の感情を繕繕うのにさえ必死という有様だった。
「はぁ……」
どうやら鬼城は本日ご機嫌斜め、というか調子が良くないらしい。その証拠に、いつもは気丈な鬼城が(ダジャレではない)そんな風に大きく溜息を吐いているし、僕に指摘する割に自分もメニュー名を間違えたりと結構ミスをしている。
鬼城は人に厳しくする分、自分にはもっと厳しい奴だ。
なので、今日のそれはもはや異常事態と言えた。
「鬼城、今日は随分と手厳しいね。もしかして気分でも悪い?」
また怒られてはたまったものではないので、僕は、今度は書く手を止めずに、そして顔も一応僕なりに気遣って訊いた。これならさっき以上の痛烈な台詞が飛んでくることはないだろう。
「……別に。八原が無能でのろまなあんぽんたん馬鹿だからムカついているだけ」
「…………」
より酷い台詞が飛んできた。
……うーん。なんだか、ここまでくるともはや、いつもよりむしろ本調子な気さえしてきた。人間、なかなかこうも他人を滔々と罵倒できるものではない。
が、やはりそれは気のせいであって思い違いだったらしい。
その証左として、鬼城の目の下には大きなクマができていた。
「もしかして寝不足?」
流石に証拠を示されては反論できなかったのか、さしもの鬼城もバツが悪そうに頷く。
「どうして? 徹夜でテニスの国際審判員になるための勉強でもしてたの?」
「私の口が悪いのは、いろんな国の悪口に精通してるテニスの国際審判員になるための勉強をしているからじゃない。ていうか八原、後で、私のことを普段どう思っているのか、みっちり聞かせてね。……別に、徹夜なんかしてない。たしかに文化祭の準備と空手部でスマホを一度も見れないくらい忙しいし、夜、制服のまま寝ちゃったりしているけど、その代わりにちゃんと睡眠時間だって確保してる。けど、なんだか寝てるのに眠れてないんだよ」
「寝てるのに眠れてない?」
思わず訊き返した。それ、寝不足よりまずくないか?
鬼城はメニューを書くペンと止めると、
「別に寝てる時に途中で起きるとかそういうのじゃないんだよ。悪夢に魘されるとかそういうのでもない。だけどなんて言うのかな……朝起きると、寝てる前より疲れてる。まるでそう、私が、私の知らない間にどこかに行ってるみたいに」
「…………」
自分が、自分が知らない間に、どこかに行っている……。そんなことが、あり得るのだろうか。いや、ありうるのか。実際夢遊病っていう病気があるくらいだ。いや、でも、そういうのは、一応あるにはあるんだろうけど、寝た後が、眠る前より疲れているなんてほどの酷い症状は聞いたことがない気がする。と、そこで僕は一つ、思い出した。
「昨日制服についてたあの血……」
そうだ。普通なら、セーラー服に血がついていたら、すぐに気が付いて洗い落とすなりなんなりするはずだ。けど、もしそれが制服のまま寝て、その睡眠中に起きた出来事なのだとしたら気が付かないのも無理はない。
鬼城は、昨日の夜か今日、落としてきたのだろう、自分のセーラー服の裾をちら見して、
「ああ、気付いてたんだね。そう、私も知らない間についてたの。今日も朝見たらついてた。それも朝落としてきたけど」
「……睡眠不足? って何日くらい続いてるの?」
「二日。隠してたけど、昨日も実はそうだった」
はぁ……だるい、と大きく鬼城は溜息を吐いた。
二日。ということはつまり、もうほとんど丸二日ほど寝ていないということだ。
昨日は空手部のミーティングとその後ランニングもしているということだったから、その疲労がほぼ取れないまま鬼城はここに来ているということになる。
休めば、と思わず言ってしまいそうになる。が、昨日から学校を休んでいる矢田さんと仲水さんに加えて、今日は青山さんも休んでいた。
彼女らの穴を埋めるためにも、文化祭の軸である委員長として来ずにはいられなかったに違いない。
「そっか。まぁ、あんまり無理しないようにね。ほら、あんまり役立ってないけど、僕も可能な限り手伝うから。何かして欲しいことあったら何でも言って」
結局、僕が言えたのは、そんな、安っぽい慰めの言葉だった。こんな誰にでも言える紋切り型な言葉しか出てこない自分にうんざりする。
さっき僕は鬼城に馬鹿だの、あんぽんたんだの言われて、むっとしたものだけれど、今ではそんな鬼城の台詞をこそ馬鹿にできない。
そう、思っていたのだけど、
「え?」
あにはからんや、何故か鬼城はメニュー表に落としていた暗い瞳を上げ、僕の方へ振り向いてきた。そして、
「えっと、えっと……じゃあ」
顔を赤くし、かじかむ手を温めるみたいに、運動部なのに、文化部みたいな綺麗な指を重ねたり解いたりを繰り返していた。暗かった瞳も僅かにだが、明るさを取り戻している。なんだろう?
「えっと……その……して欲しいっていうか、訊きたいことって感じなんだけど」
「うん」
「え、えと……そ、その……八原ってさ、好きな人って、いるの?」
「え?」
「い、いや! 別に変な意味じゃなくてね!?」
別にまだ「え?」としか言ってないのに、鬼城は掌を僕に向けてぶんぶんと振った。かと思うと髪を撫でたり、目を泳がせたりと大変お忙しいご様子だ。
「えっと、何で急にそんなことを?」
鬼城とは普段そういう話で盛り上がることはない。僕も別にそういう類のことを話したいタイプではないし、鬼城もこの通りさっぱりした性格なので、女子同士ではどうだか知らないが、少なくとも僕相手にそういう話題を投げてくることはほぼなかった。それが、何でまた。
「い、いや、ほら、その、文化祭とかってそういう話題多いじゃん。誰かが誰かと付き合い始めたとか。好きな人とキス……したりとか。……私も、そういうのできたらな……じゃなくて、と、とにかくそんな話題ばっかりだから、八原にも興味本位で聞いてみただけ!」
「あ、ああ、そういうことね」
まぁ、確かにそういう話は聞く。昨日、立花もあれこれ言っていたことだし、普段そういう話をしない鬼城が興味を持ってもそこまでおかしくはない……のだろうか。うん、まぁそうなんだろう。
「…………」
けど、好きな人、か……。真っ先に思い浮かんだのは立花で、そしてそれは完全な事実なんだけど、それを鬼城に言うわけにはいかない。なぜなら――鬼城はこちら側の人間ではないから。
けど、だとしたらどうすればいいだろう。
「いない」と言ってしまうは簡単だ。けど、それだとなんだか逆に嘘っぽくて却って追及されそうだしなぁ。………あ、そうだ。
「うん、まぁ、一応いるかな」
「え!? だ、誰!?」
「鬼城」
僕は即答した。
確かに鬼城は好きな人を訊いてきていた。
だが、鬼城は、『恋愛的に好きな人』とは指定していなかったはずだ。
だから僕は『友人として好きな人』という意味でそう答えた。
クラスで唯一の友人である鬼城なら、笑ってくれると思って。
だが、
「………………………………………………………………え?」
静寂が。
鬼城がそう発したっきり、静寂が、僕らの半径数メートルを支配した。
放課後の教室では、他のクラスメイトも作業をしてるはずなのに、全く彼らの声が耳に入ってこない。……あれ? なんだか、僕が予想していた反応と違うような……。
「はああああああああああああああああああああああああああああああ!?」
そして、オランダの涙くらい固まっていた鬼城が椅子から立ち上がり、教室中に割れんばかりの声をひびかせ、その静寂を打ち破った。………あれ?
「八原! それ本気で言ってんの!?」
教室中の注目を集めてしまったため、鬼城は一度「ごめんなんでもない」と会釈してから、再び椅子に座る。そして僕にしか聞こえないような声で詰め寄ってきた。あれ? やっぱり少し様子が……。僕は胸倉を掴んでくる鬼城の手から逃れながら、
「も、もちろん本気だよ。嘘はついてない」
「ほ、本当!? 本当に本当!?」
「うん、本当本当。鬼城が好き」
「……っ! だ、だったら、その……私も……」
「けど、友達としての『好き』だけどね」
「す――は?」
さっき以上に鬼城は固まり、そしてさっき以上に目を見開いた。
「え? 今、なんて、は?」
わなわなと震え、瞳孔は完全に開き、白目は明らかに寝不足とは違う原因で血走っている。……ヤバ。やっちまった?
「八原……あんた」
「……はい」
僕のYシャツの襟をつかみ、手を震わせながら言う鬼城に、僕は恐る恐る相槌を打つ。
鬼城は手を離し、一度だけにっこり笑顔を浮かべ立ち上がると、
「っざけんな! この馬鹿あああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
「ぐはぁ!?」
空手部で鍛えられた自慢のお御足で僕の顎を蹴り抜いた。
ご一読ありがとうございました。次話もご覧いただけますと幸いです。




