投じられた一滴
「やっほー八原。ちゃきちゃき働いてるー?」
早朝の図書委員の文化祭準備もそこそこに放課後。
今度はクラスの出し物であるメイド喫茶の看板を作るべく、教室で僕が段ボールを裁断していると、立花とは対照的な快活かつハスキーな声が背中に掛けられた。
振り向くとそこにはクリっとした大きな目に、ポニーテールの青髪。スカートから覗く引き締まった脚は見るからに運動部のソレを感じさせる。
一年生ながら空手部のエースかつ、うちのクラスの委員長、そしてこの文化祭の委員長をも務める委員長オブ委員長、ザ文武両道なクラスメイト、鬼城空音が見下ろしていた。
「いや……自分の作業の無意味さに打ちひしがれていたところ……」
「え?」
「いや、何でもない」
首を傾げて不思議そうな顔をする鬼城。
同級生の女の子に脅されていて、どうせ文化祭当日は参加できないのだからちゃきちゃき働けるわけなんてない、なんて言えるわけもなかった。
おかしなことを言う僕を不審に思ったのか、鬼城は眉を顰める。
「ちょっと八原頼むよー。今日はただでさえ欠席が多くて人数が少ないんだから。今日は八原みたいな藁にでも縋りつきたいんだよー」
「藁って……」
ジト目で僕はツッコむ。猫の手とからならまだしも藁とは……。
鬼城の目から見てどれだけ僕はものぐさに映っているんだろう……。
「……ん? ていうか今日、そんなに休み多かったっけ?」
鬼城は何故か大仰に肩を竦めた。
「はぁ……これだからクラスに友達が私くらいしかいないボッチは……」
猛烈にほっといてほしかった。
「朝から午後まで授業受けて何で知らないのさ。今日、清羅と翡翠が休んでるんだよ。理由は特に知らないけど」
「へぇ……」
たしかにその二人はクラスメイトだ。
矢田清羅さんと仲水翡翠さん。
鬼城と同じ空手部だった気がする。
周りを見渡してみる。たしかに二人の姿はなかった。
「もしかして八原、疲れてる? 看板作るの手伝おっか?」
僕の様子がおかしいことが気にかかったのか、そう言って心配そうに僕の顔を覗き込んでくる鬼城。さっきまでの人をからかうような口調とはえらい差だが、しかし、鬼城が本当は、心根はいい奴だということを知っているので特に驚きはない。
さっき藁だのなんだの言われたし、ここは甘えさせてもらうか。そう、思ったのだけど、
「ああ。それじゃ頼……え……?」
「ん? どうしたの八原」
とある一点。
僕は鬼城のセーラー服のとある一点に気付き、口を噤んだ。
微かだがセーラー服の裾。そこには赤い、人の血みたいなものが付いていた。
作業中にカッターナイフか何かで指を切ったりしたのだろうか。いや、それにしてはどこにも怪我の跡がない。
「鬼城、それ……」
僕はそれについて尋ねようと口を開く。が、
「おーい、鬼城ここの配役ってどうなってんだー? 手離せないの見れば分かるだろ? 手伝ってくれよー」
「空音ー。鎌満先生が呼んでる。レギュラーのみの緊急ミーティングだってー。これからランニングー。一年レギュラーなんだからはよこいー」
鬼城に二手から声がかかり、僕は追及を止めた。
片方は文化祭副委員長の眼鏡男子の野勢海也君で、もう一人は、鬼城と同じ空手部員の青山真乃さんだったか。二人とも自分は大して忙しそうではないのに、鬼城をせかしている。
「分かったー、今行くー。あ、それで八原、何?」
「何でもない。がんばって」
「? まぁありがと。行ってくるね」
鬼城は笑顔でそう答え、まずは野勢君の方へと駆けて行く。その背中を僕は黙って見送る。……まぁ、空手とかで友達が怪我をして、その血痕が付いてしまったとか、そんな感じだろう。
にしても、委員長に、部活動のエースと、色々才能がある奴は大変だ。
僕と違って。
そして。
そんな風に感心していたからだろうか、
「……はぁ、めんどくさ」
野勢君の方に駆けて行く途中発せられた、鬼城のそんな小さな呟きを、残念ながら僕は聞き取ることができなかったのだった。
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