第95章 記録と空隙の残存
十二月中旬。
師走の冷たい風が霞が関の街路樹を吹き抜ける頃、あれほど世間を騒がせたスキャンダル報道の熱狂は、潮が引くように収束を迎えていた。
新聞の紙面からも御子神の名は日増しに小さくなり、テレビのワイドショーは新たな芸能ニュースや季節の話題へと関心を移している。「一人のフィクサーの告発」と「一部記録の公開」によって、世間は事件の全貌が解明されたと納得し、再び穏やかな日常へと戻っていった。
公文書館の地下深く、温度と湿度が厳重に管理された文書庫の棚には、今回の件に関する数千通の決裁文書と資産移管記録が、真新しいファイルに収められて静かに並んでいた。
記録の上では、すべてが「正常」だった。
大正期の特例規定に端を発する不整合も、南西ブロックの複雑な権利関係も、直人たちが現場で打ち込み続けた「例外処理フラグ」によって綺麗に上書きされ、形式上の不備はどこにも見当たらない。御子神との接触記録も「正当な諮問手続き」として整理され、法務判断の整合性も完璧に担保されていた。
制度は自らを完璧に防衛し、破綻の痕跡をすべて「正当な手続きの記録」へと置換することに成功したのだ。
だが、その完璧に整えられた記録の海の行間には、重い「空隙」が広がっていた。
記録から抹消されたのは、エラーコードの数字だけではない。
保身のために同僚を切り捨てた官僚の躊躇い、制度の不整合の皺寄せを被って廃業へと追い込まれた末端業者の無念、そして「悪人」のレッテルを貼られて社会からパージされた御子神の孤立――そうした血の通った人間の感情や痕跡のすべてが、「処理済み」という無機質な二文字の陰へと押し込められ、存在しなかったかのように消し去られていた。
辻褄の合わされた記録と、決して埋まることのない現実の空隙。
システムは今日もその空隙を抱えたまま、何事もなかったかのように自律的な運転を続けている。完璧な書類の山が整然と並ぶ静寂の中で、その見えない歪みだけが、この国家の底流に冷たい澱となって深く、深く沈殿し続けていた。




