第83章 関谷の照合
地下二階の冷え切った特設資料室。
頭上の小さな壁掛けテレビから漏れ聞こえてくるのは、昼夜を問わず御子神の不正資金疑惑と東亜重機との癒着を報じる、ワイドショーの甲高いアナウンスだった。世間は今や「一人の悪徳フィクサーが国家を欺いた」というセンセーショナルな物語に酔いしれ、連日のように犯人の断罪と厳罰を求めて気炎を上げている。
だが、その熱っぽい喧騒がどれほど地上を揺るがそうとも、この窓のない資料室の空気を変えることはない。
卓上ライトの青白い光の中、関谷は老眼鏡の奥で鋭い目を細め、手元の三群のログファイルを交互に指で追っていた。
画面に並んでいるのは、世間が大騒ぎしている「御子神と東亜重機常務・神山との接触記録」、防衛装備品に関連する海外契約の送金履歴、そして宮崎の旧組合口座を経由した特殊法人の権利移管データだ。
手元の資料には、見過ごせない「不自然な事実」が明確に三つ浮かび上がっていた。
一、御子神と神山の接触日時、防衛省の装備品選定委員会の開催時刻、および海外ファンドへの送金実行日時が、同日の時刻表の上で不自然なほど正確に連動していること。
二、東亜重機の関連会社へと流れた巨額の資金が、契約書上は「コンサルティング報酬およびライセンス料」という名目で処理されながら、実態の確認が取れない役務に対して支払われていること。
三、防衛省の装備品選定委員会における公式議事録や出席者名簿には御子神の名が一切存在しないにもかかわらず、最終決定された資産移管スキームの条項が、御子神の手元資料に記された手書きのメモと寸分違わず一致していること。
ただしそのメモは、別件の捜索で押収された写しで、日付も署名もなく、誰にいつ渡されたのかを示す記録がなかった。
「……これだけの不自然な事実がありながら、すべて『通常業務』のタグで処理されている」
関谷は乾いた声を漏らし、キーボードを叩いて検索条件を切り替えた。
個々の文書、個々の送金命令、個々の承認印。
世間がどれほど「裏金の証拠だ」と騒ぎ立てようとも、その書類の末尾をどれだけ精査しても、個々の書類から明白な違法処理を確認することはできない。契約の実態や資金の最終的な帰属先について疑惑は深まるものの、これらの記録だけで違法と断定することは不可能なのだ。すべては定められた書式に従い、適切な権限を持つ者の手によって処理されていた。
御子神がやったのは、違法な指示を下すことではない。
制度の隙間に存在する『誰も管理責任を問われない領域』を指し示し、そこに既存の合法的な処理手続きを滑り込ませただけだ。
「これでは、御子神の具体的な指示、認識、犯罪への関与を裏付ける証拠が不足している……」
関谷は深く椅子に身体を預け、テレビから聞こえるコメンテーターの威勢の良い声を背にしながら、天井を見上げた。
世間が御子神を「悪者」として吊るし上げ、検察に素早い起訴を求めてどれほど気炎を上げようとも、捜査のハードルは高い。御子神の関与の濃い影は濃厚に漂っている。だが、個々の取引と特定の犯罪行為を結び付ける事実や、彼の具体的な関与を裏付ける証拠が不足しており、容易に立件へと踏み切れない状況だった。
彼らはみな、組織の定めたルールに従い、与えられた権限の範囲内で処理を行ったに過ぎない。御子神はその「無自覚な正当性」を束ね、巨大な迂回ルートを成立させていただけなのだ。
照合票の余白に、関谷は手帳のペン先を重く走らせた。
――『個々の記録は不自然な関係を示しているが、関与を裏付ける証拠にはまだ至らない』
関谷は静かに手帳を閉じた。
報道がどれほど一人の男を十字架にかけようとも、この国家の深部に巣食う真の「歪み」は、御子神という人間を切除したところで、何一つ消えはしないという暗澹たる真実がそこにあった。




