第81章 報道
十一月下旬、湿った冷気が都心の街頭を濡らす夜。
最初に流出したのは、資産移管の決裁経緯を示す社内文書の一部と、海外ファンドとの資金関係を記した資料だった。入手経路は明らかにされていなかったが、複数の文書に共通する管理番号が残されており、御子神と東亜重機、そして旧防衛プラントの資産移管をめぐる内部資料の断片が、ネットメディアの速報として流出した。
始まりは、海外ファンドの資金流出に関するごく小さな記事だった。
しかし、翌朝の週刊誌が「国民の資産数兆円を、誰の責任にもならない形で、特定の企業と海外ファンドの利益に変えた」というショッキングな見出しとともに構造の概要を報じると、事態は一変した。「民間フィクサーの暗躍」「官僚と軍需産業の蜜月」というセンセーショナルな言葉が躍り、昼のテレビのワイドショーが御子神の顔写真と経歴を繰り返し画面に映し出すに及んで、スキャンダルは一気に爆発的な熱量をもって世間へ広がっていった。
記事の中では、東亜重機との顧問契約書にある「成功報酬」条項、シンガポール拠点への巨額の海外送金記録、そして同日に並ぶ面会・選定委員会・送金の時刻表の不気味な一致などが、目に見える具体的な物証として提示されていた。
SNSのタイムラインは、瞬く間に御子神の名前で埋め尽くされた。
「結局、この男が裏で全部引いていたのか」
「政治家と企業がグルになった汚職構造を許すな」
画面の向こうで渦巻くのは、分かりやすい悪人を見つけ出し、それを糾弾することで正義感を満たそうとする人々の単純な欲望だった。
テレビのコメンテーターたちは「責任追及の徹底」を声高に叫び、ワイドショーは御子神個人の私生活や人間関係を面白おかしく消費していく。
だが、その狂騒の陰で、TR-7042という複雑な処理コードの意味や、大正期の例外規定、あるいは海外を経由した高度な資金循環のスキームが詳細に検証されることはなかった。
世間が求めていたのは、複雑な構造の解明などではない。ただ「誰が悪いのか」という問いに対する、単一の明確な名前だけだったからだ。
世田谷の静けさに包まれた自宅の書斎で、御子神は無言でテレビの画面を見つめていた。
自らがシステムの「調整役」として長年扱ってきた巨額の資金と構造が、いつの間にか「御子神保一という一人の悪徳フィクサーの犯罪」として綺麗に切り出され、物語として収めていく過程を、冷めた心地で眺めていた。
同じ時刻。官邸の執務室で乾は手元の端末に流れるニュース速報を一瞥し、静かに画面を伏せた。
御子神という人間が個人として悪者に仕立て上げられ、構造から切り離されて孤立していく流れは、システムを防衛するための最も円滑なプログラム通りだった。
そして、浅草の雑居ビル街の片隅。
氷室は雑踏のなかでスマートフォンの画面を覗き込み、世間が一人の「犯人」を差し出すことで安心して思考を止める様子を、ただ静かに見つめていた。
人間は、自らが生きる構造の毒を直視する代わりに、常に誰かを犠牲者として差し出すことで平穏を買い戻そうとする。
不都合な構造を覆い隠すための、巨大な「報道」という名の免責処理が、東京の夜を呑み込んでいった。




