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『東京インバージョン』  作者: Moon


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第47章 冷厳な回路

東京、官邸。

氷室は官邸の受付を通り、指定された執務室へ向かった。冷え切った空気の漂う廊下を進み、指定されたドアを二度、軽く叩く。

「入れ」

低い声に促されて入ると、デスクの向こうから乾が冷徹な視線を向けていた。

「氷室か。何の用だ」

氷室は、宮崎で確認した帳簿の記録と、大蔵省時代に自分が作成したメモと実務資料の写しをまとめた薄いファイルを、無言でデスクの上に差し出した。

乾はそれを一瞥し、パラパラとページをめくる。その手が、大正期の例外規定と現代の資産移管が接続している特定のページで、わずかに止まった。

「……これは、どこから手に入れた」

「宮崎の組合の記録と、かつての私が残した実務データの突き合わせです」

乾の表情がわずかに強張る。

「……お前、何を企んでいる」

氷室は乾を見据えた。

「この資産の管理と所有のねじれは、誰が意図して作ったものですか。あなたが知っているはずだ」

乾はファイルを乱暴に閉じ、政治家としての冷徹な仮面の裏側を隠すように、冷たく言い放った。

「……氷室。そこから先は、お前が扱う話じゃない」

「なぜです。現場の人間がどう動こうと、大元の構造が歪んでいれば、すべての努力は無意味になる」

「お前はいつもそうだ」

乾は氷室を真っ直ぐに睨みつけた。

「お前は、自分で正しいと思った判断を、すべて自分の正当性の証明にしたがる。だが、その判断の次に何が起きるか、お前は何も見えていない」

「……御子神は、知っていますね」

乾の表情が、一瞬だけ硬質な緊張を帯びた。

「……お前、何を言っている」

「御子神は、この例外規定を意図的に利用し、軍需産業と結託しながら資産の移管を操作している。あなたも、それを黙認しているはずだ」

乾は、机の上の万年筆を静かに握り直した。

「……証拠はあるのか」

「あります。宮崎の組合の記録と、かつての私が残した実務データの突き合わせがそれを証明している」

乾は、しばらく沈黙したのち、冷ややかな笑みを浮かべた。

「……氷室。お前がそれをどう叫ぼうと、御子神は『システムが規定通りに動いたまでだ』と言い逃れする。現場が知らぬ間に仕組みが動き、誰も全体の全体像を把握していない。その構造自体が彼らを守っているのだ。お前の出る幕はない」

「……それでも、記録は残る」

「お前は、ここで終わりだ」

氷室はそれ以上言い返さなかった。

政治の表舞台で計算され尽くしたその冷厳な言葉の重みを受け止め、氷室は静かに身を翻し、執務室を後にする。廊下に響く足音は乾いていた。

霞が関の巨大な構造と、地方の小さな組合のあいだにある途方もない乖離。その圧倒的な隔たりこそが、御子神のような狡猾な者たちが不正を隠蔽し、システムを意のままに利用するための温床になっていた。氷室は冷たい廊下の途中で一度立ち止まり、自らの足元に広がる構造の深淵を見据えながら、静かに歩を進めた。

官邸の重い自動扉が閉じ氷室はしばらく、その前に立っていた。

それから歩き出した。

車に頼ることもせず、氷室はただ夜の明かりの中を歩いた。背後で告げられた言葉を噛みしめることもなく、氷室は次の場所へと静かに消えていった。


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