第39章 交錯する停滞
午後十二時十五分。
赤坂の高級料亭、奥座敷。障子が外の喧騒を完全に遮断していた。庭に面した濡れ縁には、陽光が斜めに差し込み、磨き上げられた黒塗りの膳の端に白い光の斑点を作っていた。
堂島は、椀の蓋を音を立てずに開け、立ち昇る微かな湯気をじっと見つめていた。その手元にあるスマートフォンの画面は、数分おきに小さく震え続けている。開かなくとも、そこに記されている文字の重みは痛いほど分かっていた。北関東の再編スキームの停滞、官庁街からの突き上げ、そして官邸中枢での澱んだ沈黙。
「……で、乾はどう動いている」
堂島は顔を上げず、座敷の隅に控えていた秘書官に低い声を投げた。その声音には、怒りよりも、冷徹な計算が滲んでいた。
「総理の乾は、危機管理センターに張り付いたまま、各省庁からの問い合わせをすべて受け止めていますが……」
「だが、なんだ」
「霞が関の実務レベルでは、すでにデータの紐付けが外れていることが察知されています。特に総合政策課のあたりからは、午後の一斉会見を前に、リークめいた動きが出始めています」
堂島は鼻で小さく息を吐き箸を置いた。箸置きと膳の木肌が触れ、乾いた音が座敷の静寂に落ちる。
「御子神は何と言っている」
「連絡がつきません。昨夜の修正指示を出して以降、民間側の端末も、個人の回線も、すべて応答を拒絶しています。」
ふっ、と堂島の口元が微かに歪んだ。冷笑とも、諦念ともつかない笑みだった。
「あいつらしいといえばらしいな。自分で引いたレールの向こうで列車が脱線したと見るや、運転席から飛び降りて、あとは勝手に転げ落ちるのを見物しているというわけだ」
「このままでは、党としても官邸をかばいきれません。野党側はすでに『国家資産管理の致命的な欠陥』として、緊急質問の準備に入っています」
秘書官が差し出したタブレットの画面には、すでに夕方のニュース番組で流れる予定のテロップ案が赤字で点滅していた。そこには、国民の誰もがまだその全容を知らない「0.7%の空白」が、国家の根幹を揺るがすスキャンダルとして冷酷に書き立てられていた。
堂島は再び手元のスマートフォンに目をやった。
震えが止まった画面の中では、無数の電子メールが「未読」の数字を増やし続けている。誰もが責任の所在を探し、誰もが決定を下さないまま、ただシステムだけが静かに、しかし確実に破綻へ向けて加速していく。
「放置しろ」
堂島は静かに言った。
「動けば動くほど、泥沼に嵌まるのはこちらだ。……午後の一時までは、ただの『通信不良』で押し通せ。その後のことは、崩れ落ちた瓦礫のなかで考える」
外の庭木を揺らす風の音が、障子の向こうでかすかに響いていた。
政治という名の巨大な合意形成の装置が、その歯車を完全に噛み合わせを失ったまま、ただ虚しく空転を始めていた。




