第31章 御子神(崩れ)
深夜の執務室。
天井近くのダクトが、微かに低い駆動音を立てている。
御子神は黒い革張りの椅子に深く腰掛け、目の前のモニタに表示された空白を見つめていた。
最上段には、数時間前に自身が下した修正の完了を告げるステータスが表示されている。だが、その下のツリーの末端で、TR-7042の行だけが宙吊りになって残っていた。
「――乾」
低い声が落ちる。
背後で別の端末資料に目を通していた乾は、音もなく立ち上がり、御子神の背後へと歩み寄った。
「何ですか」
「この行だ。TR-7042の同期が、まだ落ちていない」
乾はモニタの表示を覗き込み、手元の資料に目を落とした。
「昨日の再同期で、ここだけ残っています」
「なぜだ」
「このままだと、明日の集計に残ります」
御子神はわずかに目を細めた。
画面の隅には、一件だけ警告が残っている。
「TR-7042は、物流の障害記録ではありません」
乾は淡々と言う。
御子神は顔を上げる。
「何だ」
「納品と稼働、それから委託条件の確認が終わったものを、次の管理先へ回す処理です」
「何を移す」
乾は一度、画面を見た。
「設備と、その運用権です」
「設備?」
「工場だけではありません。倉庫、通信設備、保全部品、それに関連する契約です」
その説明を受け、御子神はわずかに息を吸い込み、そして吐き出した。
椅子の背から体を起こし、前を向いたまま告げた。
「放置すれば、どうなる」
「朝になれば、北関東側から問い合わせが来ます」
「それだけか」
「去年の改修記録と照合されれば、ここだけ説明がつきません」
「もう一度、修正をかける」
乾は画面から目を離さなかった。
「それを切れば、現場からは過去データが消えたように見えます」
「構わない」
御子神は画面を見たまま言った。
「最初の処理に戻せ」
乾はそれ以上言葉を発せず、わずかに顎を引いた。
「……分かりました」
乾は手元のデスクの端に置かれた内線電話を取り、番号を押した。繋がった相手に静かな、しかし有無を言わせないトーンで命じる。
「――例の件、予定どおり進めてください」
受話器を置く。
モニタの表示が更新され、その下に、一件だけ警告が残っていた。
窓の外がわずかに白み始めていた。
大通りを走るタクシーが減り、交差点を清掃車が曲がっていく。新聞販売店の前では、最初の束が積まれ始めていた。




