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『東京インバージョン』  作者: Moon


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第15章 結節の夜

深夜。

会社の喫煙コーナーには、換気扇の低い唸りが続いていた。誰かが残していった煙が、天井近くに薄く漂っている。壁に掛けられたデジタル時計の青い数字が、無機質に時間を刻んでいた。

松永はプラスチック製の椅子に座り、指先でタバコのパッケージを弄んでいた。

「松永さん、まだ残ってたんですか」

同僚の声に、松永はわずかに肩を揺らして振り返った。同僚はコーヒーマシンの前に立ち、温かいマグカップを両手で包んでいる。

「……ああ。ちょっと、な」

松永が答えた。

「リストの調整、終わりました?」

「……ああ。すべて、問題ない」

松永はそう答えた。

同僚はコーヒーを一口飲んだ。

「そうですか。じゃあ、明日の朝の会議には間に合いますね」

「……そうだな」

同僚がマグカップを置く。

「お先に失礼します」

「お疲れ」

自動ドアが閉まる。

松永はタバコのパッケージをテーブルに置いた。一本取り出しかけたが指が止まる。そのまま箱へ戻した。

しばらく椅子に座っていた。換気扇の音だけが続いている。

松永はゆっくり息を吐き立ち上がり、喫煙コーナーを出た。

廊下を歩き自分の机の前で足を止める。デスクの上には、調整を終えたリストが置かれていた。松永は一度だけその束に手を置き、紙の端が指先に触れた。

松永はリストを持ち上げ鞄に入れた。

「……本当に、これでよかったのか」

誰に向けた言葉でもない呟きを落とし、そのまま会社を出た。

駐車場まで歩き、車のドアを開けて運転席に滑り込む。エンジンをかけると、車内に低い振動が伝わってきた。

松永はハンドルを握った。

フロントガラスの向こうで、夜のオフィス街の明かりが流れていく。

赤信号で車が止まる。

松永は助手席に置いた鞄を見た。

その中に、今日「問題ない」としたリストが入っている。

松永は目を逸らさず、信号が変わるのを待った。

夜の底では、地方局の監視端末から吸い上げられた電圧データのログ、組合事務所から送られた帳簿、霞が関を回った人員調整データ、そして直人の通した0.3%のズレを含んだ配分が、それぞれ別の処理番号を与えられ、静かに記録されていた。


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