第14章 如月の呼吸
夜更け。
内閣府の法務調整室の会議室は、蛍光灯の白い光に沈んでいた。デジタル時計の青い数字が、無機質に時間を刻んでいる。如月は長いテーブルの端に座り、手元に届いた別部署からの照会書類に目を落としている。
第一候補者。第二候補者。第三候補者――。
名目に覚えがあった。以前、自分が民間のコンサルタントとして整理した人員配置のデータが、省庁間を回遊し、別の名目でここに戻ってきている。
第三候補者の欄には、十年間その部署を支えてきた職員の名前があった。しかし、直近三年の数字の傾きが、その名簿の価値を容赦なく塗り替えている。如月は指先でその文字をなぞった。
「……十年か」
誰に向けたわけでもない声が、静まり返った部屋に落ちる。
ここで選考を差し戻せば、明日の朝の取締役会に間に合わない。上層部からの指示は明確だった。今日中に確定させろ、と。如月はペンを握り直した。
「……適正」
一文字ずつ、書類の余白に記入していく。
すべての欄を埋め尽くすと、如月はゆっくりと書類を閉じた。指の腹には、ボールペンを強く押し当てた赤い痕が残っていた。
如月は椅子から立ち上がり、会議室のドアを開けて廊下に出る。如月は開け放した窓の近くへと歩き、深夜の冷たい風を少しだけ受けてから、自席へと引き返した。
同じ夜。
雑居ビルの狭い一室を出た氷室舵は、近くのコンビニエンスストアの自動ドアをくぐり、冷え切った空気のなかで缶コーヒーを手に取っていた。
レジの少し手前で、一人の男が足をとめている。
カゴの中には、値引きシールの貼られた弁当と、水が一本。男はレジの液晶画面に表示された合計金額を見ると、一度だけ動きを止めた。
小銭入れの中を、指先が何度か探った。男は一度、画面から目を離した。
男は何も言わず、弁当を持ったまま陳列棚へ戻った。
氷室はその背中を見た。
レジの店員が気まずそうに目を逸らす。
氷室の手が、コートのポケットの中で一度だけ動いた。財布に触れ、しかし、そのまま指を引っ込める。
何も言わず、氷室は自分の缶コーヒーをレジに置き、セミセルフレジに千円札を挿入した。硬貨が返却口にチャリンと落ちる。
釣りを受け取り店を出る。
自動ドアが閉まる直前、ガラスの向こうで、さきほどの男が小さなパンを手に取っているのが見えた。氷室はその場に立ち止まらず、深夜の冷えたアスファルトへと歩き出した。




