0-2話 旅人の過去・中編
「――――――ロゼ?」
薄暗い地下室に、アインの声が反響し、他人の声のように響く。
幼い頃からずっと、〝入ってはいけないぞ〟と禁じられ続けていた部屋。
初めて入ることを許したのは、久方ぶりに屋敷へ帰宅した、両親だ。
寒々しいほど冷えた地下室の中央には、硬質な鉄製の、剥き出しの寝台がある。
その、上に――
胸の中央――心臓、に――ナイフを突き立てられた――メイドの、姿が――
「ロゼ――――ロゼ?」
アインが、何度呼んでも、返事はない。
あの、陽だまりのように温かで柔らかな声は、返ってこない。
顔からは、すっかり血の気も失せている。
鮮血の流れる胸元は、もう上下もしていない。
まるで悪夢のような、悪い冗談のような、目を逸らしたくなるような、そんな光景の中――場違いなまでに明るい、父のような生き物の、大声が響いた。
「おお、かの偉大なる造物主の末裔よ、最後のフランケン様よ! 人間の中より生まれし、不世出の天才よ! 我らは貴方様の信奉者、その人間の究竟に至りし知啓を持って、我らをお導きください!!」
いやに芝居がかった恰幅のよい男の声を、アインが他人事のよう聞いていると、母のような生き物も調子を合わせるように甲高い声を発する。
「不幸にも親を亡くした貴方様を、お救い致しましたのは、このワタクシめら! 我が子のように情愛を注ぎしも、全てこの日のため!」
「十八歳のお誕生日、お祝い申し上げよう――ハッピーバースデー、フランケン! さあ今こそ、その賢者たる叡智を示したまえ!」
「ご安心ください、材料ならば、そう其処に! 貴方様と同じく孤児であった、その娘を! 卑しくもメイド如きの存在に、造物主の誕生を祝わせましょう!」
「人の身でありながら、かつて怪物を生み出せし、その伝説を! ただの人間では、目にするだけでも正気を失うと言われる、造物主の奇跡を! どうか此処で、ご存分に顕現したまえ! そして――」
「巨万の富を!」「無窮の栄華を!」「恒久の繁栄を!」「永劫の幸福を!」
「不老の時を!!」「永遠の命を!!」
「「どうか我らに、齎したまえ!!」」
地下室の反響のせいか、異様な高笑いが、人間の声ではなく、悪魔の如くに聞こえる。アインが本で読み識った、妙な設備のある地下室から、小躍りする足取りで親ではなかった生き物らが退室した。
扉の開閉に伴い、漏れ入ってきたのは、雷鳴。
屋敷を覆う邪悪な空気か、それとも今のアインの心が呼んだのか、まるで大地を揺るがすかの如き雷鳴が轟いていた。
その轟音に導かれて、アインの、すっぽりと抜け落ちていた記憶――赤子から幼少期までの記憶が、甦る。
そう難しい話でもない。先ほど親ではなかった生き物が述べたような、〝アインを救って引き取った〟などという話は、つまらない嘘だ。
真実は、人間の国が人間の国を滅ぼし、その騒ぎで孤児となった〝フランケンの末裔〟を攫ってきた、という顛末。
ご丁寧に、記憶を消す〝魔法の薬〟まで飲ませて――
思えばあの親ではなかった男女は、アインが何となしに錬金を成し遂げた際、異様なまでに喜んでいたこともあった。
そう、本当に簡単な話だ。要は、全てが偽り。
あの父母は本物の親ではなかったし、この屋敷での生活は閉じ込められていただけで、幸せな家族などではなかった。
そんな中で、真実は、二つだけ。
アインという名前。
そして、ロゼ――――ロゼ。
ロゼだけだ、ロゼだけが本物の家族だった。
そのロゼは今、心臓を貫かれ、冷たい鉄の寝台に、横たわっている。
自分の名前などより大切な、たった一人の真実を――奪われた。
アインは聡かったはずの頭脳で、そのことを、今ようやく理解する。
「……ああ」
まるで納得したような呟き……続いて。
「ああ。……ああ、あ?」
その目は、虚ろ。
口元に、力はない。
大切な、たった一人を、奪われて――充分だった。
「ああ。あ、ああ? ああ。ああああ、あああああああ」
〝ただの人間〟が、なってしまうのには、充分すぎた。
その、絶望と狂乱の果てに――
『ああアあアああァアああアああああアあああああああ』
閉ざされた地下すら揺らすほど、轟かす雷鳴の中で、〝ただの人間〟が――
――怪物になってしまうのには、充分だった――
◆ ◆ ◆
〝賢者の石〟〝万能の霊薬〟〝ヒヒイロカネ〟〝仙丹〟――形や効果は違えど、そのいずれもが〝賢者の叡智〟に類するものとされる、即ち《叡智の結晶》だ。
まだ齢十八を数えたばかりのアインが、どのようにしてその境地に至ったのか、本人の驚異的な記憶力を持ってしても、もはや思い出せないだろう。
だが、その身を焼き尽くすような絶望と狂乱の果て、アインはそれを創造せしめた。
アインが創造したのは、〝心臓と薔薇〟を融合したような造形の、薄紅色に輝く《叡智の結晶》。
その〝賢者の叡智〟たる結晶は既に、鉄の寝台に横たわる、ロゼの胸の中にある。
怪物の力をさえ超越する結晶が、ロゼの中で脈打ち、その身から失われていた血液を、生命の原動たる元素を――その人の魂を、息づかせていた。
ロゼの、太陽のような金髪は、今や陽が沈んだように――
代わりに静かな月光を彷彿させる、銀色に染まっている。
暫し、時を置き――すう、とロゼの唇から、呼吸音がした。
ぱちり、開いた瞼から薄紅色の瞳が覗く。
上半身を起こす彼女に、アインは、こう尋ねた。
「おはよう、ロゼ――俺のことが、分かるか?」
その質問に、快活で、常に笑顔を浮かべていたような彼女は――
全くの無表情で、アインを真っ直ぐ見つめながら、答えた。
「イエス、マスター・アイン――ロゼは、マスターのことを、理解しております」
「そうか――――分かった」
造物主たる、アインは。
アイン=シュタイン=フランケンは。
〝分かった〟という言葉通りに、全部を、理解していた。
一度、創造できたのなら、もう一度できるということも、あるだろう。
あの偽りの父母も、そのつもりのはずだ。
「では、ロゼ」
ならば、とアインは、大して感情も無く、為すべきことを口にした。
「全て、燃やし尽くすとしようか」
「イエス、マスター・アイン――命令受諾。
〝ロゼ=ザ・ゼロ〟――この身、この命の全て、マスターと供に――」




