2-18話 家族
白い家の窓際で、一匹の白い猫が、微睡んでいた。
暖かな、陽だまりの中、幸せそうに。
その向こう側には、ミーニャがずっと渇望し、探し続けていた人がいる。
〝あの子〟だ――はぐれてしまった時より、随分と大人びていたけれど。
その面影を、ミーニャが忘れるはずもない。人間のことは、よく分からないけれど、きっと人間の中で世界一、美人で優しい〝あの子〟のことを。
そして。
〝あの子〟と良く似た、〝あの子〟を一回り小さくしたような、可愛らしい娘と――微笑みながら、抱き合っていた。
傍らの、腕を組んで眼を細める男は、ちょっぴり鼻につくけれど。
そこには、家族がいた。
その家族は、〝あの子〟は、とても、とても、幸せそうだった。
――そこに、ミーニャが、いなくても――
「…………」
その光景を目の当たりにして、求め続けていた〝あの子〟の姿を、ようやく見つけて――
なのに駆け出すことも出来ず立ち尽くすミーニャに、窓際で微睡んでいた白い猫が気付いたのか、ピン、と耳を立てて警戒のポーズを取る。
見知らぬ侵入者を警戒し、今にも威嚇してきそうな、白い猫。
その向こう側には、まだミーニャに気付いていない、幸せそうな家族が見える。
立ち尽くしていた、ミーニャは――恐るべき力を持つモンスターにして、人間程度はどうとでも出来るワー・キャットは、その口を不意に歪めて――
「――ニャあ~んだ、よかったぁ」
――微笑みを作り、心底から安堵した声で、そう言った。
最後に、もう一度だけ。
窓の向こう、白い猫の更に向こう側。
家族と一緒に幸せそうに笑う〝あの子〟の姿を、記憶に焼き付けるように、じっ、と見つめる。
そうしてミーニャは――迷い猫の少女は、背を向けた。
風のような速さで駆け上がってきた丘を、今度はゆっくりと下りていく。
一歩一歩、踏みしめるたびに、ミーニャは痛感していた。
きっと〝あの子〟は、ミーニャが迷い続けていた長い間に、どこかで気持ちの折り合いをつけた。
それから新しい人生を、しっかりと、歩いていたのだろう。
そうして人目を、いや、モンスターの目を避けるように、隠れ住む〝あの子〟たちの前に――今さらミーニャが出ていったところで、どうなるのか。
戸惑わせてしまうだけだ。怯えさせてしまうだけだ。たとえ優しい〝あの子〟が受け入れてくれたとしても、気を遣わせてしまうだけだろう。
愛しい〝あの子〟を、〝あの子〟が選んだ家族を、怖がらせてしまうくらいなら。
もういないことにして、このまま、去ってしまうほうがいい。
〝ただの猫〟だった頃とは違う、今は人の形に近づいた、いとも容易く切り裂ける鋭い爪を出せる、ワー・キャットの手を見つめながら。
ああ、こんなにもモンスターとなってしまったミーニャは、今さら痛感する。
そこには。
そこには、ミーニャの〝居場所〟は、もう無いのだと。
「……ニャハハっ、まあ別に、どうってことニャいけどっ」
今まで通りに、戻るだけだ。いや、どんな形であれ心の引っ掛かりが取れた分、気が楽になったかもしれない。
猫又国で、猫又女王の世話になってもいい。いや、何なら心置きなく旅にでも出ようか。どうせもうミーニャは独り、気楽なものだ。
ミーニャは軽快に笑いながら、鉛のように重い足取りで、丘を下る。
〝ニャハハ〟と笑いながら上を向いて、ゆっくり、ゆっくりと、歩いていく。
〝あの子〟の住む家から――離れていき――
「――っ。……う、にゃあ……ぁ……っ」
金色の大きな瞳を縁取る端、眦から、つう、と一筋の涙が伝った。
それを皮切りに――堤防が決壊したように、止め処なく、溢れ出す。
「う、にゃあ、ああっ……にゃああぁ……にゃあぁ――」
ミーニャが〝あの子〟の幸せを願う気持ちは、ずっと幸せでいて欲しいと祈る気持ちは、決して嘘ではない。
けれどミーニャは、探し、求め、追い続けていた、愛しい〝あの子〟を。
何千回の夜を過ごしても、忘れ得なかった、あの幸せな記憶を。
帰りたかった、家を。
〝あの子〟を――たった一人の家族を。
失ってしまった。
とぼとぼと、立ち止まるような遅さで、歩きながら。
「にゃあぁ――ん……にゃあぁ――ん……」
迷子のまま、子猫のように、鳴き声を上げ続ける。
家族を失くした、迷い猫を――
「――――にゃ、あ?」
ふわり、誰かが片腕で、軽々と抱き上げた。
寒さに震える迷子の猫を抱き上げるように、巨大な棺桶を担いだ青年が、ワー・キャットの少女を小脇に抱える。
「ミーニャ。俺は、この棺桶にいつか一緒に入るような、家族を求めて旅人をしている。……俺は決して、キミの前の飼い主の代わりにはなれない。きっとそれは、誰にもなれないのだろう」
「……にゃ、う……」
「だけど。それでもだ。キミの前の飼い主が、今は新しい人生を歩いているように。新しい家族に、なることはできる。だから」
幼子をあやすような、中々にらしくない声色で、白髪の青年は――アインは、穏やかに問いかけた。
「俺の――俺たちの、家族になってくれないか? ミーニャ――」
「っ――――!」
いつの間にか、無表情ながら美貌のメイドが右側を、ピンクブロンドの魔女娘が左側を、並んで歩いている。
ミーニャは。
拾い上げられたままの姿勢で、ミーニャは――
「……うん……なる……家族に……なる……!」
今、長い間、彷徨い続けてきた迷い猫は――
巨大棺桶を担ぐ青年の小脇に抱えられ、両側からメイドと魔女娘に撫でまわされている。
ずっと探し求めていた〝あの子〟とは、ずいぶんと違うけれど。
陽だまりのような暖かで幸せな記憶とは、それはもう似ても似つかない、珍妙な連中だけれど。
ぽろぽろと、大粒の涙を流しながら。
――旅人の家族に、迎え入れられたのだった――




