10
殿下の提案から三日後、北部へ向かう馬車の中。見慣れた景色は徐々に変わっていく。街並みはまばらになったかと思えば、すぐに山道へと入っていった。
「寒くないか?この辺りは平地と比べて冷える」
「お気遣いありがとうございます。クロードが厚手のものを要してくれていたので平気です」
「そうか」
殿下はホッとしたのか少し息を吐くと、再び無言で景色を眺め始める。気まずい空気が僕たちの間に流れていた。
何を話せばいいのか分からない……!定期訪問で会話はしてるけど、内容は学んだことについてが多い。それにいつもはクロードか殿下の付き人のユリウスさんがいるから、会話に困ったら二人が助け舟を出してくれてた。
でも今は殿下と僕しかいない。何話せばいい?婚約者の旅行って皆何話してるの?ああもう……こんなことなら他の貴族と交流をしていれば良かった……!
「「あのっ」」
とりあえずなにか話そうと言葉を出すと、殿下と被ってしまった。
「も、申し訳ありません殿下」
「いや、俺の方こそ悪かったな。話を遮って」
「僕の方は他愛のないことですので、どうぞお先に」
「俺の方も大した話ではない。シリルから話せ」
「……」
話せと言われても……本当に大した事ない話題だし面白くもなんともないだろうから、そう言われても困る。
この気まずい空気をとりあえず何とかしたくて、何でもいいから話そうとしただけだ。改めて言われたら何を話せばいいのか分からなくなる。
「シリル?」
「……」
「どうした、具合でも悪いのか?」
「いえ……その…………お恥ずかしながら……話せと言われても……何を話せばいいのか……分からないのです……。僕は話があまり……その、得意ではないので」
しどろもどろになりながら答える。そんな僕を気遣ってか、殿下は優しく微笑みながら話す。
「ああ、そんなことを気にしていたのか」
「そんなことって……」
「気を悪くしたならすまない。違うんだ。シリルが話すならどんなにつまらない歴史の話でも、俺は構わない。シリルが俺と会話してくれるだけで嬉しい」
「っ!」
「だから俺にとってはそんなことなんだ」
「……そう、ですか」
顔に熱が集まっていくのが分かる。甘い声で言われどう返せばいいのか困る。
「まぁ、俺は沈黙でも構わない。シリルと過ごせるだけで充分幸せだからな」
「……」
ああもう、本当に困る。そんな風に言わないで欲しい。
殿下からの好意はありがたいし、返したいと思っている。でも与えられる好意に慣れて、一度目と同じようにまた……酷い扱いを受けることになったら……。またあの方を愛する殿下を見たら。
……何を考えているんだ。分かりきってる未来なんだから気にすることはない。大丈夫、最初からそのつもりだったんだ。殿下があの方を愛する日がやって来て、殿下からの好意が無くなっても何も悲しくない。当然の結果なのだから。
「やはり具合が悪いのか。馬車を止めよう」
「だっ、大丈夫です。具合は全く悪くないので進みましょう」
「本当か?」
「はい」
「……シリルが言うなら。だが我慢はするな。悪くなったらすぐ俺に言え」
「分かりました。お気遣いありがとうございます」
「うん……」
「……」
また殿下との間に沈黙が流れる。でも、不思議と嫌ではない。殿下が沈黙でも構わないと言ってくれたからだろうか。
言葉を交わさなくていいなら、今はそれに甘えたい。
***
「―――ル、―――リル、シリル」
「あっ、で、殿下」
「ようやく目を覚ましたな。着いたぞ」
「すみません……起こしていただきありがとうございます」
馬車に揺られいつの間にか眠っていたようだ。殿下に起こされ窓の外を見ると、辺りはすっかり暗くなっていた。
「もう夜なんですね……」
「北部は首都に比べ夜が来るのが早いんだ。シリルが眠ってからそんなに時間は経っていないが、冷えるから早く離宮に入ろう」
「はい」
先に馬車を降りる殿下。その後に続いて馬車を降りると、冷たい空気が頬を撫で少しだけ身震いする。はぁ、と息を吐くだけで白くなり、どれだけ寒いのかが分かる。
「シリル、俺の……」
「シリル様、これ羽織った方がいいっすよ」
そう言っていつの間にか近くにいたクロードがコートを僕の肩にかけてくれる。冷えかけた身体が少しずつ暖かくなっていく。
「ありがとうクロード」
「いえいえシリル様を思えば当然のことっすよ。こんなに寒い場所なら降りる前に渡せれば良かったんですけど」
「……」
クロードが冷たい目線を殿下に送る。まるで責めているような嫌な態度。クロードのなぜか殿下を敵対している態度は二年経っても変わらない。むしろ年々悪化している気さえしてくる。
セドリックからどんな引き継ぎがあったのかは知らないけど、流石に今のは度が過ぎる。
肩にかけられたコートを取ってクロードに持たせ、殿下の隣に立って話しかける。
「シリル様!」
「馬車の中が暖かかったから、寒さに驚きましたが慣れれば問題ありませんね」
「シリルその格好は冷えるぞ。さっきのコートをちゃんと着た方がいい」
「大丈夫です。離宮はすぐそこなんですから、入れば直ぐに身体も暖まります。行きましょう」
「……ああ、そうだな」
殿下と並んで歩き、皇族が北部滞在で使う離宮へと足を進める。
離宮と言うけれど皇城と違い豪華絢爛さはなく、どちらかと言えば貴族の別邸に近い趣がある。お忍び用で使う場所だから、分かりやすいのは命の危険を考えてこういう造りにしたそうだ。
僕は豪華な方が気が引けるから、素朴な雰囲気の方が落ち着くからありがたい。
「お待ちしておりました。アレク様、シリル様」
「出迎えありがとうユリウス」
「いえ、長旅お疲れ様です。お二人の部屋は暖めておりますので、夕食の準備ができるまでゆっくりお過ごしください」
「ありがとうございます。ユリウスさん」
「いいえ、アレク様の大切な婚約者をお迎えするのですから当然です」
にこりと笑みを浮かべるユリウスさん。出発した時に居なかったから、てっきり皇城に残っていると思っていた。先に北部に来てたんだ。
「ユリウス、シリルに部屋の案内を頼む。俺は夕食まで執務室に籠るから時間になったら呼んでくれ」
「かしこまりました」
「シリル何か足りないものがあればユリウスに言ってくれ。すぐに用意させる」
「お気遣いありがとうございます」
「ではまた、夕食の時間に」
そう言って僕を残して殿下は奥へと消えていく。僕を置いて言ってしまわれる後ろ姿が、少し……。
「シリル様、お部屋を案内します。着いてきてください」
「はっ、はい」
ユリウスさんに声をかけられハッとする。
さっきの殿下に置いていかれて……いや、そんなことない。長旅で疲れたんだろう。馬車の中で眠ってしまったぐらいだし。今日は夕食を頂いたら早めに休もう。
「北部滞在中はこちらのお部屋でお過ごしください。雪を見たいとアレク様から伺っておりましたので、積もっていく様を楽しめるよう一階の部屋にさせて頂いております」
通された部屋は暖炉がありとても暖かい。大きな本棚にベッドも広く、窓際にはソファーとテーブルがあって景色も楽しめそうだ。
「滞在に足りないものがあれば仰ってください。いつでもご用意しますので」
「充分です。いいお部屋を用意していただきありがとうございます」
「いえ。私は夕食の準備がありますので一旦失礼します。時間になったら呼びに参ります」
恭しく頭を下げるユリウスさんが部屋から出て行くのを見送り、暖炉前のソファーに座り一息つく。
「ふぅ……クロード」
「……はい」
「さっきの言動は失礼だよ。まるで殿下が気遣いできない言い方、いくらなんでも酷すぎる」
「すみません……でも、別にアイツをたてなくても……シリル様は婚約破棄を目指してるんすよね?」
指摘されなぜか胸が少しだけ痛む。
クロードの言う通り婚約破棄を目指している。でだからと言って、時間が無い中準備してくれた旅行に水を刺すような無礼は許せない。いくら僕のことを思っての発言だとしても。
「クロード」
「っ、はい」
「一人にして欲しい」
「それは聞けません。もしシリル様の身になにかあれば、俺はセドリック様に顔向けできません」
「ここは皇族の方が使う離宮なんだから心配ないよ。いいから一人にして」
「しかし……」
「クロード」
「……かしこまりました」
少しキツめに言うと、クロードは大人しく部屋から出て行ってくれた。
「はぁ……」
僕の気持ちを考えての言動なのは分かってるけど、流石に今日のは許してはいけない。今度クロードに釘を差しておかないと。殿下からはまだ何もされてないんだから、さっきのような言動はさせないようにしないと。
ふと、窓の外に動くものが見えた気がしそちらを見ると。
「……雪?」
雪が降っているのが見えた。ここに来た時は降ってなかったのに。
首都ではあまり見ることのない雪に少し興奮し窓に近寄る。
白い雪が降ってくる光景があまりにもキレイで、もっと近くで見たくなってしまう。庭に面している窓を開け外に出る。
「わぁ……」
空を見上げる。深々と降る雪と寒さに、色々考えていた頭がすーっと冴えていく。北部に連れてきてもらえて良かった。こんなにいい景色が見れて良かった。
「シリル!」
しばらく一人でぼんやり空を眺めていると名前を呼ばれる。声のした方を見ると、殿下が血相を変えて僕の方に向かって来る。
「こんな寒空の下でなにしてるんだ?いつから外にいたんだ?従者のクロードはどうした?」
「で、殿下」
こちらに近づきながら矢継ぎ早に質問してくる殿下。あまりの勢いに少しだけ後ずさる。
「長旅で疲れているのに外に出たらダメだろ。首都では暖かくとも北部の夜はかなり冷えるんだぞ。ただでさえシリルは身体が強くないんだから」
「すみません……雪が見たくて外に出てしまいました」
「あっ……いや、怒ってるわけじゃないんだ。ただ心配で……」
「分かってます。僕の方こそご心配をお掛けし申し訳ありません」
「いや……まだ雪を見るならこれを」
殿下は持っていた上着を僕の肩にかけようとすると、殿下の手が少しだけ僕に触れる。
「す、すまない」
手は直ぐに離れて行ってしまう。
「いえ、大丈夫です……上着ありがとうございます。とても暖かいです」
「それは良かった。外で雪を見たくなる気持ちは分かるが、長くいるのは身体に良くない。部屋の窓からゆっくり見た方がいい」
「分かりました」
「……では、俺はこれで失礼する」
「あっ」
踵を返し去っていこうとする殿下の服を思わず掴んでしまう。僕の行動が予想外だったのか、殿下は驚いた顔をしている。
「シリル?」
「えっと……」
咄嗟の行動に自分自信に驚く。どうしてこんなことを?いや、それよりも早く離さないと……でも、もう少しだけ……一緒にいて欲しい。
「せ、せっかくなので一緒に雪を見ませんか?」
「俺と?」
「はい……」
「ふっ、分かった。でもシリルの身体が冷えてきってはいけないから、あと少しだけだぞ」
「はい」
誘いに乗ってくれたことが少し嬉しくて、つい表情が緩んでしまう。
ああ……ダメだなぁ、この気持ちは抱えたらダメなのに。殿下を怖いと思う気持ちもまだあるのに、どうしようもなく殿下に惹かれてしまう僕がいる。
「……好きに、なりたくないのに」
小さく小さく呟いた言葉は、雪に混じってそっと消えていく。
僕の気持ちも雪のように静かに消えてしまえばいいのに。




