第77話 ユミエラのピンチ②
「おにい、ちゃ……」
ユミエラは小さく呟いた。
ギシギシと鳴る床は地面に変わり、緑がしげる。
ダンジョン化の瞬間、ユミエラは、起きてポトフを寸胴鍋いっぱいに作っていたところだった。
ベッドにスマホを置きっぱなしにして、十合炊き炊飯器の中身はチャーハンにしようと思っていた。
そこに、突然の大地震が起きてユミエラは台所にうずくまった。
余震はなく、ただ景色がいっぺんしていた。
ベッドもスマホもない。
せめてとっさに包丁ぐらい、握ればよかった。
「――きて、くれるよ、おにいちゃんなら」
ルクスは、今頃はルクの実を取り終えているはずだ。
実がとれたときは、いつもすぐに帰ってきてくれた。
きっと、すぐにも助けにきてくれる。
自慢の兄なのだ。
「……ダンジョンの中、って不思議」
寝込むことになってから、ユミエラはユーナの家に連れていかれる以外出かけたことがない。
こんな形で、海外旅行のような体験をするとは思わなかった。
兄のルクスは毎日のように、こうした経験をしているのだろうか。
ガサガサと草を踏み分けてくる音がした。
「おにいちゃ……」
ユミエラは思わず自分の口を覆った。
頭が二つある大きな鳥が、大きな木の間から顔を出す。
ユミエラは、素手だ。
ルクスほどではない怪力と、闇魔法、吸血能力しかもたない。
しかも十二の子供だ。
とびかかって勝てるわけもない。
ユミエラは、息を殺しながら素足で移動を開始した。
なにより怖いのは、途中でお腹が空くことだ。
アの実は、今日ルクの実が手に入るからと残りは全部食べ切ってしまった。
アイテムボックスに入っているのは、ケニーが配達してくれたコンビニ食が数点しかない。
空腹がなおらない病気のユミエラは、冗談ではなく餓死を恐れていた。
モンスターに食べられるか、飢えて死ぬか。
今のユミエラには、木に登るほどの元気もない。
ただただ、心の中で兄を呼びながらダンジョンの奥地へと這っていくことしか出来ない。
***
「ルクス、そこを右に曲がれ!」
「はい! でもこの道が、ユミエラとは限らないですよね……」
「いや。ひときわ弱った反応がある。可能性としては高い」
弱った反応、と言われてルクスは唇を噛み締めた。
もしかしたら、ユミエラは食事前にダンジョンに飲み込まれたのかもしれない。
ユーナが呼び戻してくれた半妖病院の医師からは、回復には向かっているが食べ物は切らさないように言われている。
なおかつ、ユミエラが少し回復して料理できるようになったので最近のルクスは食材を渡すだけ。
作り置きを鍋ごと渡して、アイテムボックスに入れさせておけばよかった。
「アタシたちは、他の人も助けながら向かうけど、ゲボクはユミエラをまっすぐ助けに行きなさい! 他は任せて」
「……はいっ!!」
――焦るな。他のことは先輩たちがやってくれる。
ルクスは、フォレストロックタイガーを一撃で葬ってそのまま走り去った。
今のルクスには、回収している暇などない。
「疾風旋回!!」
道なきジャングルで、ルクスは魔剣ドルトウィンに力をこめた。
ナビゲーションの通りに突っ切るとしたら、マーダートレントごと周囲の木を根こそぎスライスするしかない。
木々をへし折っていく音で、モンスターが寄ってくるのは分かっている。
それでも、いまのルクスにはユミエラしか見えていない。
「あと少しだ。対象は動きが止まった。もう一キロもないぞ、ルクス、急げ!」
ネオの声に後押しされて、ルクスはモンスターをなぎ倒しながら突き進む。
おいしげる木さえなければ、ユミエラの細く弱った体が見えるはずだ。
ルクスの勢いは激しいが、純白のコートがはためく中、汚れも草木も折れていく。
ドワーフの郷で魔剣と武具を用意してもらえなかったら、こうはいかなかっただろう。
走るルクスを追いかけて、フォレストロックタイガーがあぎとを向ける。
ルクスは、魔剣の風魔法でその首を吹っ飛ばした。
「ユミエラーーー!!」
「おにいちゃーーーーん!!」
確かに、ユミエラの声がした。
ルクスの足が限界を超えて速度をあげる。
その目には、弱っているが確実に生きているユミエラの姿が見えた。
「ユミエラーー!!」
駆け寄ったのは、ルクスだけではなかった。




